鹿児島神宮、JR 隼人駅 (鈴かけ馬おどり、初午祭 (はつうまさい)、国無形民俗文化財、鈴かけ馬踊り、ミス霧島、大隅国 一の宮、正八幡宮、宮内原用水、亀石、逆S字形文様 (平城京跡で発掘された隼人楯 (たて)に描かれている文様)、JR 日豊本線、JR 肥薩線)  (鹿児島県 霧島市 隼人町)







<標高、位置>  鹿児島神宮は
標高 約40 m
 北緯31度45分13秒  東経130度44分16秒

<標高、位置>  JR 隼人駅 (はやとえき)は
標高 約10 m
 北緯31度44分38秒  東経130度44分25秒


 「鹿児島神宮」は鹿児島県 霧島市 隼人町 内 2496 にあります。
鹿児島神宮は式内社 (大社)、大隅国 一の宮、旧社格は官幣大社 (かんぺいたいしゃ)、現在は別表神社です。
主祭神は、天津日高彦穂穂出見尊(あまつひだかひこほほでみのみこと、山幸彦)と豊玉比売命(とよだまひめのみこと、山幸彦の妻の豊玉姫)です。
相殿神は八幡神を合祀 (ごうし)したので[仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、仲姫命]、それと太伯 (句呉の祖、国内では鹿児島神宮だけです。)です。 太伯は中国の周王朝の王の長男で中国の呉 (ご、句呉)という国の祖です。
明治時代初期の廃仏毀釈 (はいぶつきしゃく)まであった神宮寺は弥勒院 (みろくいん)でした。 弥勒院跡は今は宮内小学校になっています。
鹿児島神宮の創建は社殿によると、神武天皇のときに山幸彦の宮殿の高千穂宮を神社にしたものと言われています。 鹿児島神宮の北西13 km の所に山幸彦の御陵と言われる高屋山稜があります。
戦国時代〜江戸時代は島津に、鹿児島神宮は大切にされました。
主な祭事は旧暦2月の初午の日に近い日曜日に行われる初午祭 (はつうまさい)、旧暦5月5日に行われる御田植祭 (おたうえさい)などがあります。
国指定 重要文化財として、色々威胴丸 (2)(島津貴久 奉納)、かん糸威鎧、刀 (伝 則重)、刀 (相州住秋広) 南北朝時代の明徳3年作。
鹿児島県指定 有形文化財として、本殿・拝殿・勅使殿 (ちょくしでん) (島津重豪が建立しました。)、鹿児島神宮文書 (4)。
「県指定 有形文化財 鹿児島神宮本殿・拝殿・勅使殿 (ちょくしでん)」の説明板から、
 鹿児島神宮本殿は、宝暦6年 (西暦1756年)島津重豪によって再建されたとされ、県内最大の木造建造物として文化財的価値が高いため、鹿児島県より有形文化財 (建造物)として指定されました。
 本殿の構造は、柱間が正面7間、側面4間の入母屋造りで、正面に前室を設けてあります。 本殿の壁画は薩摩藩の画家 木村探元の筆になると伝えられています。
 本殿につながる拝殿は縦長で、天井 (てんじょう)の格子 (こうし)には、花や野菜等が色彩豊かに描かれています。 勅使殿は神殿社殿の入口に位置し、天皇から幣帛(へいはく、神に奉献する物の総称です。)を託 (たく)された勅使 (ちょくし)をお迎えする所として作られています。

 鹿児島神宮の初午祭 (はつうまさい)のときに国無形民俗文化財の「鈴かけ馬」が踊 (おど)ります。 初午祭は旧暦2月の初午 (はつうま)の日に近い日曜日に行われます。
 「鈴懸馬 (すずかけうま)の由来」の説明板から、
 起源は不祥ですが、御祭神 ヒコホホデミノミコトが、農耕畜産魚猟等の殖産を御指導。御奨励された御神恩に酬 (むく)い併 (あわ)せて五穀豊穣厄除招福をも祈 (いの)る特殊な神事であります。
 神宮創建時から行われて居たと思われますが、記録として養和元年 (1181年)には神宮にて、神馬を飼育していたことが古文書にも見え、また一説には天文12年 (1543年)島津貴久 公の正月18日の霊夢により今日の鈴かけ馬の参詣 (さんけい)の日になったとも伝えられています。 その後飼育が隣の加治木町 木田郷に移されたので、この神馬が年1回この日を期して、氏子中の馬と共に盛装して参拝するもので、太鼓、鉦 (かね)、三味線 (しゃみせん)の賑 (にぎ)やかな囃子 (はやし)と陽気な歌声に馬も足拍子 (びょうし)よろしく人馬一体となって踊りつつ神詣するものであります。
 当日は遠来の客で境内 (けいだい)は賑 (にぎ)わって居り、全国に類を見ない壮観です。 また社頭では初鼓、或は神話に因 (ちな)む鯛車化粧箱、その他 郷土玩具 (がんぐ)の土鈴、鳩笛 (はとぶえ)、羽子板 (はごいた)等が出されています。 歌謡の1例 さても見事な八幡馬場よ 鳥居 (とりい)に御鳩 (はと)が巣をかける

 「JR 隼人駅 (はやとえき)」は鹿児島県 霧島市 隼人町 内山田 1丁目1-1 にあります。
隼人駅はJR九州の駅です。 日豊本線の駅であり、肥薩線の終点駅でもあります。 地上駅でホームは2面3線です。 1901年 (明治34年)6月10日に開業しました。 日豊本線の国分駅 (上り、2.6 km)と加治木駅 (下り、6.9 km)の間にある駅です。 また肥薩線の日向山駅 (2.6 km)の隣 (とな)りの駅です。 直営駅でみどりの窓口があります。

 JR 隼人駅前の広場に逆S字形の模様が描かれています。 この逆S字形文様は、奈良県の平城京跡で発掘された隼人族が使用した「隼人楯 (たて)」に描かれている文様と思われます。


写真A: 「ようこそ 西郷どんゆかりの地 隼人 (はやと)へ」と書いてある大きな看板 (かんばん)があります。 鹿児島県 霧島市 隼人町です。



写真B: JRの隼人駅 (はやとえき)です。 屋根の上に丸に十の字の島津の家紋 (かもん)も書いてあります。 左に時計と2つの渦巻 (うずま)き模様の看板 (かんばん)があります。 花も植えてあります。
この逆S字形文様は、奈良県の平城京跡で発掘された隼人族が使用した「隼人楯 (たて)」に描かれている文様と思われます。



写真C: 鹿児島神宮の赤い一の鳥居 (とりい)です。 奥に山も見えます。



写真D: ニの鳥居 (とりい)、参道、赤い灯明 (とうみょう)、建物などがあります。
「鹿児島神宮」は鹿児島県 霧島市 隼人町 内 2496 にあります。
鹿児島神宮は式内社 (大社)、大隅国 一の宮、旧社格は官幣大社 (かんぺいたいしゃ)、現在は別表神社です。
主祭神は、天津日高彦穂穂出見尊(あまつひだかひこほほでみのみこと、山幸彦)と豊玉比売命(とよだまひめのみこと、山幸彦の妻の豊玉姫)です。
相殿神は八幡神を合祀 (ごうし)したので[仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、仲姫命]、それと太伯 (句呉の祖、国内では鹿児島神宮だけです。)です。 太伯は中国の周王朝の王の長男で中国の呉 (ご、句呉)という国の祖です。
明治時代初期の廃仏毀釈 (はいぶつきしゃく)まであった神宮寺は弥勒院 (みろくいん)でした。 弥勒院跡は今は宮内小学校になっています。
鹿児島神宮の創建は社殿によると、神武天皇のときに山幸彦の宮殿の高千穂宮を神社にしたものと言われています。 鹿児島神宮の北西13 km の所に山幸彦の御陵と言われる高屋山稜があります。
戦国時代〜江戸時代は島津に、鹿児島神宮は大切にされました。
主な祭事は旧暦2月の初午の日に近い日曜日に行われる初午祭 (はつうまさい)、旧暦5月5日に行われる御田植祭 (おたうえさい)などがあります。
国指定 重要文化財として、色々威胴丸 (2)(島津貴久 奉納)、かん糸威鎧、刀 (伝 則重)、刀 (相州住秋広) 南北朝時代の明徳3年作。
鹿児島県指定 有形文化財として、本殿・拝殿・勅使殿 (ちょくしでん) (島津重豪が建立しました。)、鹿児島神宮文書 (4)。



写真E: 鹿児島神宮の境内 (けいだい)です。 二の鳥居の付近です。 「鹿児島神宮」は鹿児島県 霧島市 隼人町 内 2496 にあります。



写真F: 奥に宮内小学校が見えます。 明治時代初期の廃仏毀釈 (はいぶつきしゃく)まであった鹿児島神宮の神宮寺は弥勒院 (みろくいん)でした。 弥勒院跡は今は宮内小学校になっています。



写真G: 振 (ふ)り返ったものです。 奥遠くに赤い一の鳥居 (とりい)が見えます。



写真H: 鹿児島神宮の境内です。 二の鳥居があります。 左に黄色の工事の車両が見えます。



写真I: 「奉納木馬 昭和18年11月吉日」と書いてあります。 左に「町指定文化財初午 (はつうま)祭に伴う18日の馬の芸能」と書いてある標識棒 (標柱)があります。 建物の中に着飾った白馬の木馬が見えます。



写真J: 境内 (けいだい)には楠 (くすのき)が多くあります。 内側から見た二の鳥居です。



写真K: 鹿児島神宮にある初午祭の鈴かけ馬の像です。 木馬の背にも飾 (かざ)りがあります。



写真L: 石段、石灯籠 (いしどうろう)、外灯、建物などがあります。 鹿児島神宮の境内 (けいだい)です。



写真M: 「神話伝説の里 案内図 隼人町商工会 隼人町特産品協会」があります。
大隅国一ノ宮 正八幡宮 鹿児島神宮、初午祭 (鈴かけ馬おどり)、現在地なども載 (の)っています。



写真N: 石段の近くに大きな楠 (くすのき)があります。



写真O: 大きな楠 (くすのき)と石灯籠 (いしどうろう)、石段などです。 鹿児島神宮。



写真P: 大きな楠 (クスノキ)の中部です。



写真Q: 鹿児島神宮の神橋、赤い建物、建物、石段が見えます。 神橋を渡ったところの左右に赤い御門神社があります。



写真R: 宮内原用水、神橋、建物です。



写真S: 「鈴懸馬 (すずかけうま)の由来」の説明板があります。
 起源は不祥ですが、御祭神 ヒコホホデミノミコトが、農耕畜産魚猟等の殖産を御指導。御奨励された御神恩に酬 (むく)い併 (あわ)せて五穀豊穣厄除招福をも祈 (いの)る特殊な神事であります。
 神宮創建時から行われて居たと思われますが、記録として養和元年 (1181年)には神宮にて、神馬を飼育していたことが古文書にも見え、また一説には天文12年 (1543年)島津貴久 公の正月18日の霊夢により今日の鈴かけ馬の参詣 (さんけい)の日になったとも伝えられています。 その後飼育が隣の加治木町 木田郷に移されたので、この神馬が年1回この日を期して、氏子中の馬と共に盛装して参拝するもので、太鼓、鉦 (かね)、三味線 (しゃみせん)の賑 (にぎ)やかな囃子 (はやし)と陽気な歌声に馬も足拍子 (びょうし)よろしく人馬一体となって踊りつつ神詣するものであります。
 当日は遠来の客で境内 (けいだい)は賑 (にぎ)わって居り、全国に類を見ない壮観です。 また社頭では初鼓、或は神話に因 (ちな)む鯛車化粧箱、その他 郷土玩具 (がんぐ)の土鈴、鳩笛 (はとぶえ)、羽子板 (はごいた)等が出されています。 歌謡の1例 さても見事な八幡馬場よ 鳥居 (とりい)に御鳩 (はと)が巣をかける
と書かれています。



写真T: 鹿児島神宮の石垣 (いしがき)、石段です。



写真U: 「御神木 樹齢凡 (およ)そ800年 建久年間植樹」と書いてある看板 (かんばん)があります。 しめ縄のある大きな神木 (クスノキ)のそばに赤い建物 (雨之社)があり、豊玉彦命 (豊玉姫の父)を祀 (まつ)ってあります。 石段、石垣 (いしがき)もあります。 鹿児島神宮。



写真V: 神木 (クスノキ)の中部です。



写真W: 神木の上部です。



写真X: 鹿児島神宮の手水舎 (ちょうずや)と左の石灯籠 (いしどうろう)です。



写真Y: 龍の口から水が流れています。 御手洗 (みたらい)です。 鹿児島神宮。



写真Z: 「龍宮の亀石 (かめいし)」と書いてあります。 溶岩のようです。 上に御神籤 (おみくじ)をしばりつける所が見えます。
浦島太郎伝説の元となった山幸彦も龍宮に釣り針を探しに行きました。 山幸彦とその妻の豊玉姫は鹿児島神宮の主祭神です。



写真AA: 亀石と石垣 (いしがき)、石の柵 (さく)、石段、看板 (かんばん)などがあります。



写真AB: 左に「県指定 有形文化財 鹿児島神宮本殿・拝殿・勅使殿 (ちょくしでん)」と書いてある標柱があります。
「県指定 有形文化財 鹿児島神宮本殿・拝殿・勅使殿 (ちょくしでん)」の説明板があります。
 鹿児島神宮本殿は、宝暦6年 (西暦1756年)島津重豪によって再建されたとされ、県内最大の木造建造物として文化財的価値が高いため、鹿児島県より有形文化財 (建造物)として指定されました。
 本殿の構造は、柱間が正面7間、側面4間の入母屋造りで、正面に前室を設けてあります。 本殿の壁画は薩摩藩の画家 木村探元の筆になると伝えられています。
 本殿につながる拝殿は縦長で、天井 (てんじょう)の格子 (こうし)には、花や野菜等が色彩豊かに描かれています。 勅使殿は神殿社殿の入口に位置し、天皇から幣帛(へいはく、神に奉献する物の総称です。)を託 (たく)された勅使 (ちょくし)をお迎えする所として作られています。
隼人町教育委員会」
と書かれています。



写真AC: 鹿児島県 霧島市 隼人町 内 2496 にある鹿児島神宮です。 しめ縄もあります。 「御参拝はこの上です。」と書いてある看板 (かんばん)があります。
この赤い建物は拝殿の前にある勅使殿 (ちょくしでん)です。
「鹿児島神宮」は鹿児島県 霧島市 隼人町 内 2496 にあります。
鹿児島神宮は式内社 (大社)、大隅国 一の宮、旧社格は官幣大社 (かんぺいたいしゃ)、現在は別表神社です。
主祭神は、天津日高彦穂穂出見尊(あまつひだかひこほほでみのみこと、山幸彦)と豊玉比売命(とよだまひめのみこと、山幸彦の妻の豊玉姫)です。
相殿神は八幡神を合祀 (ごうし)したので[仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、仲姫命]、それと太伯 (句呉の祖、国内では鹿児島神宮だけです。)です。 太伯は中国の周王朝の王の長男で中国の呉 (ご、句呉)という国の祖です。
明治時代初期の廃仏毀釈 (はいぶつきしゃく)まであった神宮寺は弥勒院 (みろくいん)でした。 弥勒院跡は今は宮内小学校になっています。
鹿児島神宮の創建は社殿によると、神武天皇のときに山幸彦の宮殿の高千穂宮を神社にしたものと言われています。 鹿児島神宮の北西13 km の所に山幸彦の御陵と言われる高屋山稜があります。
戦国時代〜江戸時代は島津に、鹿児島神宮は大切にされました。
主な祭事は旧暦2月の初午の日に近い日曜日に行われる初午祭 (はつうまさい)、旧暦5月5日に行われる御田植祭 (おたうえさい)などがあります。
国指定 重要文化財として、色々威胴丸 (2)(島津貴久 奉納)、かん糸威鎧、刀 (伝 則重)、刀 (相州住秋広) 南北朝時代の明徳3年作。
鹿児島県指定 有形文化財として、本殿・拝殿・勅使殿 (ちょくしでん) (島津重豪が建立しました。)、鹿児島神宮文書 (4)。



写真AD: 手前の石段を上ります。 鹿児島神宮の勅使殿 (ちょくしでん)。



写真AE: この建物でお札 (ふだ)、お守り、交通安全のステッカーなどを販売しています。 石垣 (いしがき)、石の柵 (さく)、外灯も見えます。



写真AF: ここにも石段があります。 上に赤い建物や大きな木が見えます。



写真AG: この奥から石段を登ってきました。 右は赤い手水舎 (ちょうずや)、石灯籠 (いしどうろう)、「亀石 (かめいし)」、看板 (かんばん)などが見えます。



写真AH: 赤い手水舎 (ちょうずや)、柵 (さく)があります。 柵の奥は崖 (がけ)になっています。



写真AI: 「おみくじ 100円」と書いてある小屋があります。 その奥に国旗掲揚のポールが見えます。 奥は崖 (がけ)になっています。



写真AJ: 鹿児島神宮の境内 (けいだい)です。



写真AK: 鹿児島神宮の赤い建物 (勅使殿 (ちょくしでん))です。 勅使殿は神殿社殿の入口に位置し、天皇から幣帛(へいはく、神に奉献する物の総称です。)を託 (たく)された勅使 (ちょくし)をお迎えする所として作られています。
「県指定 有形文化財 鹿児島神宮本殿・拝殿・勅使殿 (ちょくしでん)」の説明板から、
 鹿児島神宮本殿は、宝暦6年 (西暦1756年)島津重豪によって再建されたとされ、県内最大の木造建造物として文化財的価値が高いため、鹿児島県より有形文化財 (建造物)として指定されました。
 本殿の構造は、柱間が正面7間、側面4間の入母屋造りで、正面に前室を設けてあります。 本殿の壁画は薩摩藩の画家 木村探元の筆になると伝えられています。
 本殿につながる拝殿は縦長で、天井 (てんじょう)の格子 (こうし)には、花や野菜等が色彩豊かに描かれています。 勅使殿は神殿社殿の入口に位置し、天皇から幣帛(へいはく、神に奉献する物の総称です。)を託 (たく)された勅使 (ちょくし)をお迎えする所として作られています。



写真AL: 鹿児島神宮の拝殿の中です。 天井 (てんじょう)に絵をかいてあります。 本殿、拝殿、勅使殿は1直線に並んでいます。
「鹿児島神宮」は鹿児島県 霧島市 隼人町 内 2496 にあります。
鹿児島神宮は式内社 (大社)、大隅国 一の宮、旧社格は官幣大社 (かんぺいたいしゃ)、現在は別表神社です。
主祭神は、天津日高彦穂穂出見尊(あまつひだかひこほほでみのみこと、山幸彦)と豊玉比売命(とよだまひめのみこと、山幸彦の妻の豊玉姫)です。
相殿神は八幡神を合祀 (ごうし)したので[仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、仲姫命]、それと太伯 (句呉の祖、国内では鹿児島神宮だけです。)です。 太伯は中国の周王朝の王の長男で中国の呉 (ご、句呉)という国の祖です。
明治時代初期の廃仏毀釈 (はいぶつきしゃく)まであった神宮寺は弥勒院 (みろくいん)でした。 弥勒院跡は今は宮内小学校になっています。
鹿児島神宮の創建は社殿によると、神武天皇のときに山幸彦の宮殿の高千穂宮を神社にしたものと言われています。 鹿児島神宮の北西13 km の所に山幸彦の御陵と言われる高屋山稜があります。
戦国時代〜江戸時代は島津に、鹿児島神宮は大切にされました。
主な祭事は旧暦2月の初午の日に近い日曜日に行われる初午祭 (はつうまさい)、旧暦5月5日に行われる御田植祭 (おたうえさい)などがあります。
国指定 重要文化財として、色々威胴丸 (2)(島津貴久 奉納)、かん糸威鎧、刀 (伝 則重)、刀 (相州住秋広) 南北朝時代の明徳3年作。
鹿児島県指定 有形文化財として、本殿・拝殿・勅使殿 (ちょくしでん) (島津重豪が建立しました。)、鹿児島神宮文書 (4)。
「県指定 有形文化財 鹿児島神宮本殿・拝殿・勅使殿 (ちょくしでん)」の説明板から、
 鹿児島神宮本殿は、宝暦6年 (西暦1756年)島津重豪によって再建されたとされ、県内最大の木造建造物として文化財的価値が高いため、鹿児島県より有形文化財 (建造物)として指定されました。
 本殿の構造は、柱間が正面7間、側面4間の入母屋造りで、正面に前室を設けてあります。 本殿の壁画は薩摩藩の画家 木村探元の筆になると伝えられています。
 本殿につながる拝殿は縦長で、天井 (てんじょう)の格子 (こうし)には、花や野菜等が色彩豊かに描かれています。 勅使殿は神殿社殿の入口に位置し、天皇から幣帛(へいはく、神に奉献する物の総称です。)を託 (たく)された勅使 (ちょくし)をお迎えする所として作られています。



写真AM: 鹿児島神宮の拝殿です。 右はお賽銭箱 (さいせんばこ)です。



写真AN: 鹿児島神宮の拝殿。 下に3つの御幣 (ごへい)があります。



写真AO: お札 (ふだ)、お守り、交通安全のステッカーなどを販売しています。 巫女 (みこ)さんが見えます。



写真AP: 奥に末社があります。 鹿児島神宮です。



写真AQ: 鹿児島神宮の建物です。 赤色に塗 (ぬ)ってあります。



写真AR: 木の階段があります。



写真AS: テントの下にベンチ、灰皿があります。



写真AT: 大きな木、赤い建物、「おみくじ」と書いてある小屋などがあります。 手前はテントです。
大きな木の左の赤い建物は武内神社、右の赤い建物は隼風神社です。



写真AU: 鹿児島神宮の大きな本殿です。 千木 (ちぎ)は外切りで、5本の円筒形をした鰹木 (かつおぎ)があります。 この本殿は鹿児島県で一番大きな木造建築です。



写真AV: 左寄りの建物 (四所神社)には、3本の鰹木 (かつおぎ)があります。 右は本殿です。



写真AW: 左に石の柵 (さく)が見えます。 鹿児島神宮の境内 (けいだい)です。



写真AX: 「第3駐車場←」、「大駐車場→」の看板 (かんばん)があります。 鹿児島神宮です。



写真AY: 鹿児島神宮は標高 約40 m です。 霧島市 隼人町 (はやとちょう)の建物などが下方に見えています。



写真AZ: 鹿児島神宮の道路です。 鎖 (くさり)を張 (は)ってあります。



写真BA: 下方に隼人町の町並 (まちな)み、山などが見えます。



写真BB: 鹿児島神宮の立木です。 赤い建物も見えます。



写真BC: 「出口→」の看板 (かんばん)があります。 下方の住宅、建物などが見えています。 遠くの山も見えます。



写真BD: 鹿児島神宮の絵馬 (えま)を掛 (か)ける所 (絵馬堂)です。 願い事を書いてある多くの絵馬が見えます。 左下に古札納箱もあります。



写真BE: 「おみくじ結び処 (どころ)」と書いてある看板 (かんばん)があります。 多くのおみくじを紐 (ひも)に縛 (しば)りつけてあります。



写真BF: 鹿児島神宮の建物です。 右下の小型の建物にはおみくじを置いてあります。



写真BG: 亀石 (かめいし)です。



写真BH: 「龍宮の亀石」と書いてある看板 (かんばん)もあります。



写真BI: 石段の下で境内 (けいだい)の掃き掃除 (はきそうじ)が行われていました。 左にソテツの木もあります。



写真BJ: 手前に敷石 (しきいし)があります。 鹿児島神宮の社務所です。



写真BK: 社務所です。 外灯もあります。



写真BL: 鹿児島神宮の境内 (けいだい)です。



写真BM: 石段が見えます。



写真BN: 鹿児島神宮の石の神橋です。



写真BO: 石段から見下 (お)ろしたものです。 左の建物は「奉納木馬」を置いてある建物です。 奥に二の鳥居 (とりい)が見えます。 観光バスも来ていました。 右に石灯籠 (いしどうろう)があります。



写真BP: 「隼人町立 歴史民俗資料館←」の看板 (かんばん)が左にあります。 中央は木馬を置いてある建物です。



写真BQ: 奥に二の鳥居 (とりい)が見えます。 観光バスも来ていました。



写真BR: 奉納木馬が見えます。



写真BS: 奉納木馬の建物の上部です。 左は外灯です。



写真BT: 「奉納木馬 昭和18年11月吉日」と書いてあります。



写真BU: 川は宮内原用水です。 橋があります。



写真BV: 宮内原用水のそばにツツジが咲いています。



写真BW: 左の建物に「外苑会館 (がいえんかいかん)」と書いてあります。



写真BX: 建物に「神宮参拝者休憩所」と書いてあります。 「お写真処 (どころ) お初参り 七五三 七草 成人式 ←」と書いてある看板 (かんばん)もあります。



写真BY: 幟 (のぼり)もあります。 このあたりは坂になっています。



写真BZ: トイレです。



写真CA: 神宮参拝者休憩所です。



写真CB: 大きな楠 (くすのき)の左に観光バスが見えます。 右は宮内原用水です。



写真CC: 宮内原用水にかかっている神橋、石灯籠 (いしどうろう)、建物、大きな楠 (クスノキ)です。



写真CD: 「大隅一の宮 鹿児島神宮 交通安全 菊の紋 (もん)」と書いてあるステッカーです。



写真CE: 自動車の交通安全ステッカーです。



写真CF: 鹿児島神宮の境内 (けいだい)です。



写真CG: 鹿児島神宮 初午祭 (はつうま祭)の「鈴かけ馬」です。 飾りを付けた白馬を3人の人が引いています。 造花、俵 (たわら)などの飾りが見えます。



写真CH: 青い法被 (はっぴ)を着た人たちもいます。



写真CI: 鈴かけ馬の後ろに馬を運んできた車両が見えます。 「栗山鈴かけ馬保存会 無形民俗文化財」と書いてある法被 (はっぴ)を着た人たちがいます。 造花、俵 (たわら)、紐 (ひも)、布などの飾りを馬に付けてあります。



写真CJ: 霧島市 隼人町にある鹿児島神宮 初午祭 (はつうま祭)の鈴かけ馬です。



写真CK: 車道を鈴かけ馬が歩いています。



写真CL: 白馬の胸に多くの鈴を付けてあります。 この鈴が「鈴かけ馬」の名の由来 (ゆらい)です。 「隼人 (はやと)」と書いてある札 (ふだ)を馬の鼻に付けてあります。 女の人が手綱 (たずな)を引いています。
起源は不祥ですが、御祭神 ヒコホホデミノミコトが、農耕畜産魚猟等の殖産を御指導。御奨励された御神恩に酬 (むく)い併 (あわ)せて五穀豊穣厄除招福をも祈 (いの)る特殊な神事であります。
 神宮創建時から行われて居たと思われますが、記録として養和元年 (1181年)には神宮にて、神馬を飼育していたことが古文書にも見え、また一説には天文12年 (1543年)島津貴久 公の正月18日の霊夢により今日の鈴かけ馬の参詣 (さんけい)の日になったとも伝えられています。 その後飼育が隣の加治木町 木田郷に移されたので、この神馬が年1回この日を期して、氏子中の馬と共に盛装して参拝するもので、太鼓、鉦 (かね)、三味線 (しゃみせん)の賑 (にぎ)やかな囃子 (はやし)と陽気な歌声に馬も足拍子 (びょうし)よろしく人馬一体となって踊りつつ神詣するものであります。
 当日は遠来の客で境内 (けいだい)は賑 (にぎ)わって居り、全国に類を見ない壮観です。 また社頭では初鼓、或は神話に因 (ちな)む鯛車化粧箱、その他 郷土玩具 (がんぐ)の土鈴、鳩笛 (はとぶえ)、羽子板 (はごいた)等が出されています。 歌謡の1例 さても見事な八幡馬場よ 鳥居 (とりい)に御鳩 (はと)が巣をかける



写真CM: 鈴かけ馬の左奥に「奉納 初午祭」と書いてある幟 (のぼり)が見えます。



写真CN: 黄色の法被 (はっぴ)を着た人たちがいます。



写真CO: きれいに飾ってある白馬です。



写真CP: 白馬の横腹に俵 (たわら)、長い布、「隼人国分 サティ」と書いてある布が見えます。



写真CQ: 後ろから見た鈴かけ馬です。 後ろ足の足首に赤い布を巻いてあります。



写真CR: 馬の胸に大きめの鈴をたくさん付けてあります。



写真CS: 白馬の頭から桃色の布を垂 (た)らしてあります。



写真CT: 馬の背に「丸に十の字」の島津の家紋 (かもん)があります。 「18」と書いてある丸い札 (ふだ)が背中の飾りに付いています。 左奥に祭りの出店が見えます。



写真CU: 馬の後ろ足の足首に赤い布を巻いてあります。 後ろの人は馬の両側面からの紐 (ひも)を両手で持っています。 「光洋」と背中に書いてある法被 (はっぴ)を着た人がいます。 奥にたこ焼きなどの出店があります。



写真CV: 「溝辺町 光洋牧場」と法被 (はっぴ)に書いてあります。 たくさんの鈴が見えます。 奥に氷屋、甘栗 (あまぐり)などの出店が見えます。



写真CW: 車道の脇 (わき)に出店が並 (なら)んでいます。



写真CX: このときは霧雨が降っていました。 車道は歩行者天国になっています。



写真CY: 「みずぶえ」、たこ焼きなどの出店が見えます。



写真CZ: 「名物 加治木 (かじき)まんじゅう 島津の家紋 (かもん)」と書いてある出店があります。



写真DA: 「都城」と胸に書いてある人が鈴掛馬の手綱 (たづな)を引いています。 宮崎県 都城市からも鈴かけ馬が来ていました。 馬の背中に日の丸、「15」と書いてある札 (ふだ)、造花、馬の胸に多くの鈴も見えます。



写真DB: 踊りの着物を着た多くの女の人たちがいます。 白足袋 (しろたび)に草履 (ぞうり)を履 (は)いています。 中央右寄りに神主さんと思われる人がいます。 奥に高い葉の付いた竹、幟 (のぼり)、鹿児島神宮の二の鳥居 (とりい)があります。 ここは鹿児島神宮の参道です。



写真DC: 小さな馬 (ポニー)の鈴かけ馬です。 馬の前掛けに鈴が多く見えます。 馬の背に「隼人町 内山田 奉納馬」と書いてある旗があります。 「16」と書いてある札 (ふだ)も見えます。 「シルバー人材センター」と書いてある黄色の法被 (はっぴ)を着た人が手綱 (たづな)を持っています。 後方で黄色の法被の女性たちの踊りが舞われています。



写真DD: 黄色の法被 (はっぴ)の背中に「はやと」と書いてあります。



写真DE: 鹿児島神宮の参道で黄色の法被の女性たちが踊りを披露 (ひろう)しています。 奥に鹿児島神宮の二の鳥居 (とりい)があります。



写真DF: 鹿児島県 霧島市 隼人町にある鹿児島神宮の境内 (けいだい)です。



写真DG: 鹿児島神宮の石段、石段の手すり、赤い建物、石の柵 (さく)、外灯、「隼人まつり」と書いてある幟 (のぼり)などが見えます。



写真DH: 初午祭 (はつうま祭)のときの鹿児島神宮の境内 (けいだい)です。 赤い法被 (はっぴ)、青い法被の人たちが踊 (おど)っています。 しめ縄に御幣 (ごへい)を付けてあります。 幟 (のぼり)も2本見えます。



写真DI: 鹿児島神宮の亀石 (かめいし)です。



写真DJ: 多くの人で境内 (けいだい)が埋 (う)め尽 (つ)くされています。 建物 (勅使殿)に幕 (まく)もあります。



写真DK: 鹿児島神宮の境内 (けいだい)です。 左は勅使殿、中央は拝殿、右は本殿です。



写真DL: 「宮崎県 都城市 じゃんかん馬踊保存会」の幟 (のぼり)が見えます。 飾ってある馬と編笠 (あみがさ)をかぶった踊りの女の人が多くいます。 鹿児島神宮。



写真DM: 初午祭 (はつうま祭)のときの鹿児島神宮です。



写真DN: 鹿児島神宮の赤い社殿、石垣 (いしがき)、石の柵 (さく)、登り坂などが見えます。



写真DO: 左は鹿児島神宮の駐車場です。 奥に橙色 (だいだいいろ)や青の法被 (はっぴ)を着た人たちがいます。 赤い建物も見えます。



写真DP: 初午祭 (はつうま祭)のときの鹿児島神宮の神宮参拝者休憩所、駐車場です。



写真DQ: 鹿児島神宮の境内 (けいだい)です。 奥に駐車場があります。



写真DR: このあたりは坂道になっています。



写真DS: 「祝 七五三」と書いてある幟 (のぼり)もあります。



写真DT: 鹿児島神宮 初午祭 (はつうま祭)に来た人たちです。



写真DU: 宮内原用水が下に見えます。



写真DV: 「ミス霧島」の若い女の人たちです。 和服に「ミス霧島」と書いてあるタスキ、白足袋 (たび)、赤い鼻緒 (はなお)の草履 (ぞうり)を履 (は)いていらっしゃいます。 奥に駐車場があります。



写真DW: 「鹿児島神宮」と書いてある幟 (のぼり)があります。 左の建物は木像の鈴かけ馬が置いてある建物です。



写真DX: 木に「ユキヤナギの花」が咲いていました。



写真DY: バス停「宮内 のりば」です。 鹿児島神宮の近くです。



写真DZ: 奥にJR九州の鉄道が見えています。 神宮6丁目あたりです。



写真EA: 「神宮6丁目2」と書いてあります。



写真EB: 鹿児島神宮の近くです。



写真EC: 隼人町 (はやとちょう)の町の様子 (ようす)です。



写真ED: 霧島市 隼人町。



写真EE: 「丸に十の字の島津の家紋 (かもん) 隼人駅 (はやとえき)」と屋根に書いてあります。 「有村タクシー」と書いてある看板 (かんばん)もあります。 右に駅の跨線橋 (こせんきょう)が見えています。
「JR 隼人駅 (はやとえき)」は鹿児島県 霧島市 隼人町 内山田 1丁目1-1 にあります。



写真EF: JR 隼人駅 (はやとえき)前です。 隼人駅は所属線である日豊本線と、隼人駅を終点と する肥薩線の2路線が乗り入れる接続駅となっています。 右に渦 (うず)巻きが2つある絵の大きな看板 (かんばん)があります。 その下に黄色の花も見えます。
 この逆S字形文様は、奈良県の平城京跡で発掘された隼人族が使用した「隼人楯 (たて)」に描かれている文様と思われます。
「JR 隼人駅 (はやとえき)」は鹿児島県 霧島市 隼人町 内山田 1丁目1-1 にあります。
隼人駅はJR九州の駅です。 日豊本線の駅であり、肥薩線の終点駅でもあります。 地上駅でホームは2面3線です。 1901年 (明治34年)6月10日に開業しました。 日豊本線の国分駅 (上り、2.6 km)と加治木駅 (下り、6.9 km)の間にある駅です。 また肥薩線の日向山駅 (2.6 km)の隣 (とな)りの駅です。 直営駅でみどりの窓口があります。



写真EG: JR 隼人駅です。 ホームが見えています。



写真EH: 隼人駅の列車が見えます。 左に「はやと 隼人 こくぶ ひなたやま かじき」と書いてあります。



写真EI: 「初午祭 隼人町 初午祭実行委員会」と書いてある幟 (のぼり)があります。 ここは隼人駅の自転車置場です。 右に鉄道の架線 (かせん)の支柱も見えます。



写真EJ: JR 隼人駅に「正八幡 鹿児島神宮 初午祭 隼人温泉郷へ」の看板 (かんばん)があります。



写真EK: 「隼人駅」と書いてある表札 (ひょうさつ)、暖簾 (のれん)が駅にあります。
「JR 隼人駅 (はやとえき)」は鹿児島県 霧島市 隼人町 内山田 1丁目1-1 にあります。
隼人駅はJR九州の駅です。 日豊本線の駅であり、肥薩線の終点駅でもあります。 地上駅でホームは2面3線です。 1901年 (明治34年)6月10日に開業しました。 日豊本線の国分駅 (上り、2.6 km)と加治木駅 (下り、6.9 km)の間にある駅です。 また肥薩線の日向山駅 (2.6 km)の隣 (とな)りの駅です。 直営駅でみどりの窓口があります。



写真EL: 隼人駅 (はやとえき)の中です。 普通運賃の看板 (かんばん)、発券機できっぷの購入方法の看板、発券機、蛍光灯などがあります。



写真EM: JR 隼人駅です。 自動販売機、椅子 (いす)、木製のベンチもあります。



写真EN: 鹿児島県 霧島市 隼人町にあるJR 隼人駅 (はやとえき)です。 コインロッカー、木製ベンチ、椅子 (いす)も見えます。



写真EO: JR 日豊本線と肥薩線の「隼人駅 (はやとえき)」前です。 渦 (うず)巻きが2つある絵の大きな看板 (かんばん)があります。 その下に花を植えてあります。 その奥に太陽電池パネルがあります。 遠くの山も見えます。
この逆S字形文様は、奈良県の平城京跡で発掘された隼人族が使用した「隼人楯 (たて)」に描かれている文様と思われます。



写真EP: JR 隼人駅の入り口です。



写真EQ: 「隼人駅 発車時刻表、都城・宮崎方面← 上り、下り →鹿児島中央方面、上り 吉松方面」の看板 (かんばん)が改札口 (かいさつぐち)の上にあります。 奥に丸い時計も見えます。 緑色の列車が隼人駅に停車しています。
「JR 隼人駅 (はやとえき)」は鹿児島県 霧島市 隼人町 内山田 1丁目1-1 にあります。
隼人駅はJR九州の駅です。 日豊本線の駅であり、肥薩線の終点駅でもあります。 地上駅でホームは2面3線です。 1901年 (明治34年)6月10日に開業しました。 日豊本線の国分駅 (上り、2.6 km)と加治木駅 (下り、6.9 km)の間にある駅です。 また肥薩線の日向山駅 (2.6 km)の隣 (とな)りの駅です。 直営駅でみどりの窓口があります。



写真ER: 「隼人まつり 鈴かけ馬おどり」、「隼人まつり 初午祭 (はつうま祭)」の幟 (のぼり)が隼人駅前にあります。



写真ES: 幟 (のぼり)を立ててある車道です。 霧島市 隼人町。



写真ET: 「国 無形民俗文化財 栗山鈴かけ馬保存会」と書いてある馬を運ぶトラックが見えます。



写真EU: トラックの荷台に馬が見えています。 霧島市 隼人町です。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)