長崎鼻、知覧 特攻平和会館、池田湖、枕崎漁港、桜島 (標高 1117 m)、城山 (標高 108 m)、国指定名勝文化財 仙巌園 (磯庭園)、福山の黒酢 (くろず)、指宿 (いぶすき)の砂風呂 (長崎鼻の龍宮神社 (浦島太郎 伝説の発祥の地です。)、薩摩長崎鼻灯台、池田湖パラダイス、枕崎、開聞岳 (標高 924 m)、さつま白波 薩摩酒造 花渡川蒸溜所、知覧平和公園、磯庭園 (いそていえん)、磯御殿、ぢゃんぼ餅 (もち)、鶴嶺神社 (つるがねじんじゃ)、尚古集成館 (しょうこしゅうせいかん)、国指定史跡 集成館跡、城山からの鹿児島市の展望、桜島フェリー、薩摩城 (見学工場)、薩摩路見どころ)  (鹿児島県 指宿市、枕崎市、南九州市 知覧町、鹿児島市、霧島市)







<標高、位置>  薩摩長崎鼻灯台は
標高 約10 m
 北緯31度09分25秒  東経130度35分15秒

<標高、位置>  竜宮神社は
標高 数 m
 北緯31度09分28秒  東経130度35分17秒

<標高、位置>  枕崎漁港 (まくらざきぎょこう)は
標高 数 m
 北緯31度16分02秒  東経130度17分23秒

<標高、位置>  開聞岳 (かいもんだけ)は
標高 924 m
 北緯31度10分48秒  東経130度31分42秒

<標高、位置>  池田湖は
標高 約70 m
 北緯31度14分12秒  東経130度33分45秒

<標高、位置>  城山 (しろやま)は
標高 108 m
 北緯31度35分48秒  東経130度33分03秒

<標高、位置>  仙巌園 (せんがんえん)は
標高 数 m
 北緯31度37分07秒  東経130度34分47秒

<標高、位置>  桜島 (さくらじま)は
標高 1117 m
 北緯31度35分33秒  東経130度39分24秒


 「長崎鼻」は鹿児島県 指宿市 山川 岡児ヵ水 にあります。
錦江湾 (きんこうわん)の出入口で、薩摩半島の最南端の長崎鼻は指宿カルデラの外輪山の一角です。 長崎鼻からは東シナ海や開聞岳 (標高 924 m)を見渡せます。 長崎鼻には竜宮伝説が伝わっていて、竜宮鼻という別名もあります。 ウミガメの産卵地です。 白い薩摩長崎鼻灯台があり、霧島錦江湾国立公園に指定されています。 長崎鼻の西には弓なりの砂浜が続いていて、その端に薩摩富士とも呼 (よ)ばれる開聞岳があります。 近くにある長崎鼻パーキングガーデンは椰子 (やし)やハイビスカスなど約1000種類の亜熱帯植物とリスザル、インコ、オラウータン、ネズミ、ミニブタなどがいます。 フラミンゴやチンパンジーのショーもあります。
「龍宮神社と長崎鼻について」の説明板から、
(1)この龍宮神社は古事記、日本書紀にある豊玉姫 (乙姫様 (おとひめさま))を祀 (まつ)ってあります。 長崎鼻には古くから浦島太郎伝説があり、発祥 (はっしょう)の地と言われています。 古書に「竜宮城ハ琉球ナリ」と云 (い)われ、黒潮浮かぶ遥 (はる)か南の琉球城を彷彿 (ほうふつ)とさせます。
(2)この海岸一帯の砂浜には、今もたくさんのウミガメが産卵のために上陸します。 ウミガメが産卵する場所は、近くに豊かな漁礁 (ぎょしょう)があり亀にとってもたくさんの餌 (えさ)があること、また外敵が少なく安全で、孵化 (ふか)した赤ちゃん亀が無事に海に戻 (もど)れるような、砂浜が広がっていることが挙げられます。
(3)つまり、ウミガメが上陸する海岸は、海の幸を育 (はぐく)む豊かな自然があることから、昔から漁師や釣り人達は海の守り神として亀を大切にしました。 亀が漁網にでもかかれば手厚くもてなし、お酒を振る舞い海に帰してあげました。 こうしたことから神話伝説ともあいまって、浦島太郎や乙姫様 (海神の娘)を祀 (まつ)って信仰する風習は日本のいたる所にあります。
(4)長崎鼻の龍宮神社は浦島太郎と乙姫様 (おとひめさま)が出会った縁結びの神様として、また家内安全・商売繁盛・航海安全の守り神として今も多くの人が参拝に訪 (おとず)れます。

 「枕崎漁港 (まくらざきぎょこう)」は鹿児島県 枕崎市 汐見町にあります。
枕崎漁港の管理者は鹿児島県で、枕崎市漁業協同組合があります。 1951年9月7日に特定第3種漁港に指定されました。 カツオ、アジ、サバ、マグロ、イワシなどが荷揚げされています。 まき網漁業、釣り (沿岸カツオ1本釣り、遠洋)などが行われています。 枕崎市はカツオ節の水産加工が量・質ともに日本一です。

 「指宿いわさきホテル (いぶすきいわさきホテル)」は鹿児島県 指宿市 十二町 3755 にあります。
名物の砂風呂 (すなぶろ)もあります。

 「開聞岳 (かいもんだけ)」は鹿児島県 指宿市 開聞 川尻 にあります。
開聞岳は鹿児島県の薩摩半島の南端付近にあります。 標高 924 m の火山で1964年 (昭和39年)3月に霧島錦江湾国立公園に指定されました。 日本百名山、新日本百名山に選ばれています。 薩摩富士とも呼 (よ)ばれます。 指宿市にあります。 約4000年前に活動を始めました。 平成12年12月12日から下旬にかけて噴気が観測されました。

 「池田湖」は鹿児島県 指宿市 池田 にあります。
約5500年前に火山活動がありました。 地下の噴出物が抜 (ぬ)けたところに地面が落ち込みました。 それで池田カルデラが出来ました。 池田カルデラに雨水がたまって池田湖が出来ました。 池田湖の直径は約3.5 km、周囲は約15 km、湖面の標高は66 m、深さは233 m、湖底には湖底火山 (直径 約800 m、湖底からの高さ 約150 m)があります。 池田湖とまわりの窪地 (くぼち)は池田カルデラと言われます。 池田湖には龍神伝説があります。 1961年頃から池田湖に巨大水生動物がいるとうわさされ、「イッシー」と呼 (よ)ばれました。 1978年9月3日に指宿市池崎地区の住民約20名がイッシーを見ました。 池田湖には市天然記念物のオオウナギ (大きい物は体長2 m)がいます。 また、池田湖に放流された大型魚ハクレンがいます。 その2つがイッシーの正体ではないかという説もあります。

 「知覧特攻平和会館 (ちらんとっこうへいわかいかん)」は鹿児島県 南九州市 知覧町 郡 17881 にあります。
知覧には本土最南端の陸軍の特攻基地がありました。 陸軍知覧飛行場からは1000機以上が出撃しました。 隊員の多くは訓練を終 (お)えたばかりの10代、20代の若者たちでした。 ベテランのパイロットはそのころには戦死してほとんど残っていませんでした。 知覧特攻平和会館には第2次世界大戦の末期にあった沖縄戦で爆弾を積 (つ)んだ飛行機で敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係する資料を展示してあります。 知覧がこの出撃基地だったのでこの地に知覧特攻平和会館が建設されました。 遺品 約4500点、遺影 (写真) 1036柱 (知覧からの出撃者は436名)が展示されています。 太平洋戦争中に太刀洗陸軍飛行学校 知覧分校として設立されて、戦争末期に知覧分校から知覧特攻基地に名称変更されました。 その跡地に知覧特攻平和会館はあります。 特攻平和観音は特攻隊員の精神の顕彰と世界平和を祈 (いの)って1955年 (昭和30年)9月28日に建立されました。 毎年5月3日に知覧特攻基地戦没者慰霊祭が行われています。
「三角兵舎」の説明板から、
 三角兵舎は特攻隊員の宿舎でありました。 敵の目を欺 (あざむ)くため、松林の中に半地下壕 (ごう)をつくり、屋根には杉の幼木をかぶせ擬装 (ぎそう)してありました。
 各地から集った隊員は2〜3日後には雲のかなた沖縄の空に散華 (さんげ)されました。 出撃の前夜は、この三角兵舎で壮行会が催 (もよお)され、酒を汲 (く)みかわしながら隊歌をうたい、薄暗い裸電球の下で遺書を書き、また別れの手紙等をしたためて、出撃して征 (い)ったのです。
ここに三角兵舎を復元し当時をしのぶよすがとするものであります。

 「城山 (しろやま)」は鹿児島県 鹿児島市 城山町 にあります。
城山は鹿児島市の中央にある標高 108 m の山です。 西南戦争最後の激戦地です。 国の史跡になっています。 昔は鶴丸山、上之山と呼ばれていました。 大部分はシラスでできています。 西郷軍司令部のあった西郷洞窟や西郷隆盛終焉の地 (しゅうえんのち)などの西南戦争の史跡があります。 名称は中世に地元の豪族である上山 氏が山城を造ったことに由来 (ゆらい)します。 1906年 (明治39年)に城山公園 (広さ 15.6 ha )が開設されました。 西郷洞窟は城山公園には入っていません。

 「仙巌園 (せんがんえん)」は鹿児島県 鹿児島市 吉野町 にあります。
「国指定名勝文化財 仙巌園 (せんがんえん) 通称 磯庭園」の説明板から、
 島津 氏は、12世紀末、源頼朝から島津荘地頭職、薩摩・大隅・日向3ヶ国の守護職に任命された惟宗忠久が島津を名乗ったことにはじまります。
 江戸時代になると、島津 氏は、琉球の支配も認められ、72万石の外様大名として南九州を統治し続けました。
 磯庭園は正式名称を仙巌園といい、万治元年 (1658年)、19代島津光久が鎌田出雲政近の大磯下津浜門屋敷を御用地と成し、御仮屋を建てたのが始まりとされています。 島津藩ではすでに18代 島津家久が城山に鶴丸城を建て、島津 氏の居城としており、仙巌園に建てられた御殿は、島津 家の別邸として代々の藩主に受け継がれました。
 江戸時代中期、21代 吉貴の代には、中国より江南竹が移植され、曲水の庭が作庭されたと伝わっています。 また、27代の斉興の代には、庭池拡張が行われ、同時に千尋巌、集仙台、筆塚などが造られました。 さらに、廃藩置県後には29代の忠義が移り住み、正門が造られ、ほぼ現在の形に整 (ととの)えられました。
 なお、この仙巌園は、昭和33年 (1958年)に名勝として国の文化財に指定されています。
 「(磯 (いそ))御殿 (ごてん)」の説明板から、
 磯 (いそ)の御殿は、万治元年 (1658年)、19代 島津光久が御仮屋を建てたのが始まりとされています。 その後、屋敷の南側に一亭を構 (かま)え、落日の日に鶴が亭前に舞い降りたことから、喜鶴亭と名付けられました。 以後、この御殿は島津 家の別邸として使用されてきました。
 明治4年には、廃藩置県がおこなわれ、島津 家の居城であった鶴丸城が島津 家の手を離れたため、島津 家の鹿児島での生活の場は磯 (いそ)に移りました。 そして、明治17年には、磯の御殿は大規模な改築を行い、その改良の費用は当時のお金で、3535円21銭 (せん)6厘 (りん)だったといいます。 明治21年には、29代 島津忠義が、この御殿に住み、一時本邸として使用されていました。
 現存する建物は明治17年の約2分の1で、25部屋余りとなっています。 庭園に面した部分は、当時当主であった忠義が使用していた部屋で、寝室、居間、謁見の間 (えっけんのま)など8部屋余りからなっています。
 「ぢゃんぼ餅 (もち)」の説明板から、
 小さな餅に2本の竹串 (たけくし)を差 (さ)しきつね色に焼いて「たれ」をつけたのが「ぢゃんぼ餅」です。
 この名の語源は「両棒」で、両は中国語で「りゃん」鹿児島 (薩摩)では「ぢゃん」となまって2つを意味します。
 昔 武士が大小を差しているのを「両棒差し」ともいっていたことから、餅に2本の竹串を差した格好 (かっこう)が武士の「両棒差し」に似ているので「ぢゃんぼ」と呼ばれます。
 餅の焦 (こ)げの香ばしさと、しょうゆ又はみそ、砂糖、その他の調味料を入れた独特の「たれ」とがかもしだす昔の素朴な風味をそのまま伝えています。

 「鶴嶺神社 (つるがねじんじゃ)」は鹿児島県 鹿児島市 吉野町 9698-2 にあります。
「鶴嶺神社と亀寿姫 (ジメサァ)」の説明板から、
 鶴嶺神社には、島津家歴代当主とその家族らがまつられています。 亀寿姫も御祭神の1人です。
 亀寿姫は元亀2年 (1571年)、第16代 島津義久の3女でのちに第18代 島津家久の夫人となりました。
 亀寿姫は幼い頃 豊臣秀吉の人質となる等 薄幸の生涯を送りましたが、心優しい人であったと伝えられています。 また、法名の持明院にちなんで、「ジメサァ (持明院様)」と呼ばれ良妻賢母の鑑 (かがみ)とも敬 (うやま)われました。 昔、島津氏の祈願所  大乗院 (鹿児島市 清水町)にあった白地蔵は、いつしか「ジメサァ」の名で親しまれるようになり、鶴嶺神社で分けていただいた紅でお化粧をして差し上げると女児が美しく育つ、あるいは鶴嶺神社におまいりすれば美しい女性になるという信仰が生まれ、女性の美しさを守ってくださる神様として知られるようになりました。 そして今も、姫をまつった鶴嶺神社には多くの方々が参拝に訪れています。

 「尚古集成館 (しょうこしゅうせいかん)」は鹿児島県 鹿児島市 吉野町にあります。
博物館です。 薩摩藩第28代当主の島津斉彬によって始められた集成館事業の1つとして1923年5月22日に開館しました。 現在は島津興業が運営しています。 島津家の史料、薩摩焼 (焼き物)、薩摩切子 (きりこ、ガラス細工)などを展示しています。 本館は1865年に機械工場として建てられました。 国の重要文化財です。 仙巌園の隣 (とな)りにある石造洋風建築です。

 「桜島 (さくらじま)」は鹿児島県 鹿児島市 にあります。
桜島は錦江湾 (きんこうわん)にあり、面積 約77平方キロメートル、東西 約12 km、南北 約10 km、周囲 約55 kmの火山島です。 1914年 (大正3年)の噴火で大隅半島と陸続きになりました。 桜島は約2万6000年前に活火山 (御岳 (おんたけ、別名は桜島北岳)により形成されました。 桜島は全域が鹿児島市に属し、霧島錦江湾国立公園に入っているところもあります。

 「桜島フェリー」は九州本土の鹿児島港 (桜島フェリーターミナル)と桜島港を結ぶ鹿児島市営のフェリーです。 1934年 (昭和9年)11月19日から運航を始めました。

 「坂元の黒酢 (くろず)の坂元醸造株式会社 工場」は鹿児島県 霧島市 福山町 福山 4907-2 にあります。
鹿児島 霧島市 福山町で壺 (つぼ)を使用した米酢 (こめず)作りが江戸時代後期 (1800年代)に始まりました。 「坂元のくろず」もそのころに始まり、昔と変わらない製法で作っています。 野外の壺畑 (つぼばたけ)で作られます。 発酵の音を聞き、蓋 (ふた)となっている麹 (こうじ)の固さを竹の棒でチェック、酢になった頃には味覚も使って育てます。 普通の酢よりもアミノ酸やペプチドが多く含まれています。 くろずの発酵、熟成には化石燃料は使用せずに太陽エネルギーを利用しています。

 「かごしま産業特産品センター 薩摩城」は鹿児島県 鹿児島市 七ッ島 1-5-1 にあります。
近代的な設備での かるかん (お菓子)、さつま揚 (あ)げの製造工程を見学できます。 販売もしています。 天守閣 (てんしゅかく)からは錦江湾 (きんこうわん)などの景色を楽しめます。

 「錦江湾公園 (きんこうわんこうえん)」は鹿児島県 鹿児島市 平川町 1818番 にあります。
標高 126 m の丘陵 (きゅうりょう)にあります。 フィールドアスレチック、多目的広場、キャンプ場、バラ園、日本の H−U A 型ロケットの実物大模型 、展望台などがあります。


写真A: ツアーのバスです。



写真B: 「指宿温泉宿泊とみどころ薩摩路ぐるり周遊2日間」と書いてあります。



写真C: 鹿児島県 霧島市 福山町 福山 にある坂元の黒酢 (くろず)の情報館です。



写真D: 「坂元醸造くろず情報館、壺畑 (つぼばたけ)」と書いてあります。



写真E: 2階に上 (あ)がります。



写真F: 黒酢 (くろず)の壺 (つぼ)があります。



写真G: 説明がありました。



写真H: 壺 (つぼ)の中の米麹 (こめこうじ)、地下水、蒸し米の入れ方の図があります。



写真I: 奥に壺畑 (つぼばたけ)があります。 黒酢 (くろず)をここで作ります。 遠くに錦江湾 (きんこうわん)が見えます。



写真J: 壺畑 (つぼばたけ)には多くの黒酢 (くろず)を作るための壺 (つぼ)が並 (なら)べてあります。
「坂元の黒酢 (くろず)の坂元醸造株式会社 工場」は鹿児島県 霧島市 福山町 福山 4907-2 にあります。
鹿児島 霧島市 福山町で壺 (つぼ)を使用した米酢 (こめず)作りが江戸時代後期 (1800年代)に始まりました。 「坂元のくろず」もそのころに始まり、昔と変わらない製法で作っています。 野外の壺畑 (つぼばたけ)で作られます。 発酵の音を聞き、蓋 (ふた)となっている麹 (こうじ)の固さを竹の棒でチェック、酢になった頃には味覚も使って育てます。 普通の酢よりもアミノ酸やペプチドが多く含まれています。 くろずの発酵、熟成には化石燃料は使用せずに太陽エネルギーを利用しています。



写真K: 壺畑の奥に海面が見えます。 送電線鉄塔もあります。 「坂元の黒酢 (くろず)の坂元醸造株式会社 工場」は鹿児島県 霧島市 福山町 福山 4907-2 にあります。



写真L: 壺畑 (つぼばたけ)のそばに携帯電話の基地局アンテナがあります。



写真M: 壁に説明板があります。



写真N: 2階です。



写真O: 「くろずの製法」の説明板です。



写真P: 近くの山が見えます。 これは昔に大噴火した姶良カルデラ (あいらカルデラ)の外輪山です。



写真Q: 黒酢の製品が並んでいます。



写真R: 「くろず情報館、壺畑 (つぼばたけ)」の看板 (かんばん)があります。



写真S: バスが止 (と)まっています。



写真T: 駐車場です。



写真U: 近くの様子 (ようす)です。



写真V: 山と民家が見えます。 これは昔に大噴火した姶良カルデラ (あいらカルデラ)の外輪山です。



写真W: 奥にも壺畑 (つぼばたけ)が小さく見えます。 山は昔に大噴火した姶良カルデラ (あいらカルデラ)の外輪山です。



写真X: 山の近くにも黒酢 (くろず)の壺畑があります。
「坂元の黒酢 (くろず)の坂元醸造株式会社 工場」は鹿児島県 霧島市 福山町 福山 4907-2 にあります。
鹿児島 霧島市 福山町で壺 (つぼ)を使用した米酢 (こめず)作りが江戸時代後期 (1800年代)に始まりました。 「坂元のくろず」もそのころに始まり、昔と変わらない製法で作っています。 野外の壺畑 (つぼばたけ)で作られます。 発酵の音を聞き、蓋 (ふた)となっている麹 (こうじ)の固さを竹の棒でチェック、酢になった頃には味覚も使って育てます。 普通の酢よりもアミノ酸やペプチドが多く含まれています。 くろずの発酵、熟成には化石燃料は使用せずに太陽エネルギーを利用しています。



写真Y: 壺 (つぼ)が多く並 (なら)んでいます。



写真Z: 錦江湾 (きんこうわん)の奥に上部が雲に隠 (かく)れた桜島が見えます。 国道220号線です。



写真AA: 錦江湾の様子 (ようす)です。



写真AB: 錦江湾の奥に対岸がうっすらと見えます。 手前にテトラポットがあります。



写真AC: 桜島と大隅半島 (おおすみはんとう)が溶岩でつながった部分が見えます。 手前に漁港があります。
桜島は標高 1117 m です。



写真AD: 遠くに養殖の筏 (いかだ)のようなものが多く見えています。 桜島と錦江湾、漁港です。



写真AE: 手前の堤防に魚釣りの人がいます。 桜島と錦江湾です。
「桜島 (さくらじま)」は鹿児島県 鹿児島市 にあります。
桜島は錦江湾 (きんこうわん)にあり、面積 約77平方キロメートル、東西 約12 km、南北 約10 km、周囲 約55 kmの火山島です。 1914年 (大正3年)の噴火で大隅半島と陸続きになりました。 桜島は約2万6000年前に活火山 (御岳 (おんたけ、別名は桜島北岳)により形成されました。 桜島は全域が鹿児島市に属し、霧島錦江湾国立公園に入っているところもあります。



写真AF: 桜島の火山が見えます。 右寄りに噴煙が見えます。



写真AG: 手前に溶岩の岩が見えます。



写真AH: 「桜島ドライブイン」に着きました。 桜島の火山がよく見えます。 「旅の駅 桜島 特産品 レストラン」と書いてあります。



写真AI: ドライブインから見た桜島の火山です。



写真AJ: 美しい桜島の火山が見えます。
「桜島 (さくらじま)」は鹿児島県 鹿児島市 にあります。
桜島は錦江湾 (きんこうわん)にあり、面積 約77平方キロメートル、東西 約12 km、南北 約10 km、周囲 約55 kmの火山島です。 1914年 (大正3年)の噴火で大隅半島と陸続きになりました。 桜島は約2万6000年前に活火山 (御岳 (おんたけ、別名は桜島北岳)により形成されました。 桜島は全域が鹿児島市に属し、霧島錦江湾国立公園に入っているところもあります。



写真AK: 桜島の火山です。



写真AL: 桜島の火山。



写真AM: 桜島の火山が見えます。



写真AN: 食堂です。



写真AO: 「火の島観光センター 桜島ドライブイン」と箸 (はし)入れに書いてあります。



写真AP: ドライブインの食堂です。



写真AQ: 桜島ドライブインです。



写真AR: 桜島の海岸です。



写真AS: 奥は錦江湾 (きんこうわん)です。



写真AT: 桜島の海岸線です。



写真AU: 駐車場です。



写真AV: 左寄りの看板 (かんばん)の上に桜島大根の大きな模型が載 (の)っています。



写真AW: ドライブインと桜島の火山です。



写真AX: 駐車場。



写真AY: 錦江湾などがよく見えます。



写真AZ: 双眼鏡で見ると楽しめます。



写真BA: 対岸もうっすらと見えています。



写真BB: 養殖の筏 (いかだ)のようなものが海面にあります。



写真BC: 桜島から見た錦江湾 (きんこうわん)です。



写真BD: 大型船も錦江湾に見えています。



写真BE: 桜島の溶岩のそばに大きな桜島大根の模型があります。 「我むねの 燃ゆる思ひに くらぶれば 煙は薄し 桜島山」と彫 (ほ)ってある歌碑 (かひ)があります。



写真BF: ベンチもあります。



写真BG: 記念写真のスポットです。



写真BH: 桜島山を背景に溶岩、桜島大根、歌碑 (かひ)があります。



写真BI: 車が止まっています。



写真BJ: 桜島を1周する車道に車がいます。
「桜島 (さくらじま)」は鹿児島県 鹿児島市 にあります。
桜島は錦江湾 (きんこうわん)にあり、面積 約77平方キロメートル、東西 約12 km、南北 約10 km、周囲 約55 kmの火山島です。 1914年 (大正3年)の噴火で大隅半島と陸続きになりました。 桜島は約2万6000年前に活火山 (御岳 (おんたけ、別名は桜島北岳)により形成されました。 桜島は全域が鹿児島市に属し、霧島錦江湾国立公園に入っているところもあります。



写真BK: 飲料水などの自動販売機も見えます。



写真BL: 花も咲いていました。



写真BM: 果物 (くだもの)の「ビワ」を販売しています。



写真BN: ミカンの「たんかん」を販売しています。



写真BO: これが桜島大根の本物です。 大きな丸い大根です。



写真BP: 植 (う)わっている桜島大根です。



写真BQ: 溶岩で作った灰皿です。



写真BR: 左下の岩も桜島の溶岩のようです。



写真BS: 桜島の港 (桜島港)に着きました。 「桜島フェリー」と書いてあります。 フェリーでこれから九州本土の鹿児島市に渡ります。
「桜島フェリー」は九州本土の鹿児島港 (桜島フェリーターミナル)と桜島港を結ぶ鹿児島市営のフェリーです。 1934年 (昭和9年)11月19日から運航を始めました。



写真BT: 桜島フェリーにはバス、自動車なども乗船します。



写真BU: 桜島フェリーの中です。



写真BV: 桜島フェリーの見晴 (みは)らしの良い部屋にソファがあります。



写真BW: 「ドルフィンライナー」というフェリーが隣 (とな)りに見えます。 桜島の港です。
「桜島フェリー」は九州本土の鹿児島港 (桜島フェリーターミナル)と桜島港を結ぶ鹿児島市営のフェリーです。 1934年 (昭和9年)11月19日から運航を始めました。



写真BX: 港の防波堤や対岸が見えます。 桜島フェリーから見たものです。



写真BY: 錦江湾 (きんこうわん)の船が見えます。



写真BZ: 対岸の鹿児島市の建物が見えます。 手前の防波堤に魚釣りの人たちがいます。



写真CA: フェリーの中です。



写真CB: 桜島フェリーの甲板 (かんぱん)です。



写真CC: 対岸の鹿児島市の建物などが見えます。



写真CD: 九州本土に上陸しました。
「鶴嶺神社 (つるがねじんじゃ)と亀寿姫 (ジメサァ)」の説明板が鶴嶺神社にあります。
 鶴嶺神社には、島津家歴代当主とその家族らがまつられています。 亀寿姫も御祭神の1人です。
 亀寿姫は元亀2年 (1571年)、第16代 島津義久の3女でのちに第18代 島津家久の夫人となりました。
 亀寿姫は幼い頃 豊臣秀吉の人質となる等 薄幸の生涯を送りましたが、心優しい人であったと伝えられています。 また、法名の持明院にちなんで、「ジメサァ (持明院様)」と呼ばれ良妻賢母の鑑 (かがみ)とも敬 (うやま)われました。 昔、島津氏の祈願所  大乗院 (鹿児島市 清水町)にあった白地蔵は、いつしか「ジメサァ」の名で親しまれるようになり、鶴嶺神社で分けていただいた紅でお化粧をして差し上げると女児が美しく育つ、あるいは鶴嶺神社におまいりすれば美しい女性になるという信仰が生まれ、女性の美しさを守ってくださる神様として知られるようになりました。 そして今も、姫をまつった鶴嶺神社には多くの方々が参拝に訪れています。
と書かれています。



写真CE: 「鶴嶺神社 (つるがねじんじゃ)」は鹿児島県 鹿児島市 吉野町 9698-2 にあります。
「丸に十の字の島津の家紋 (かもん)と鶴嶺神社」と書いてある石柱があります。 石段、石垣 (いしがき)、外灯、社殿などが見えます。



写真CF: 鹿児島市 吉野町にある鶴嶺神社 (つるがねじんじゃ)です。



写真CG: 「国指定名勝文化財 仙巌園 (せんがんえん) 通称 磯庭園」の説明板があります。
 島津 氏は、12世紀末、源頼朝から島津荘地頭職、薩摩・大隅・日向3ヶ国の守護職に任命された惟宗忠久が島津を名乗ったことにはじまります。
 江戸時代になると、島津 氏は、琉球の支配も認められ、72万石の外様大名として南九州を統治し続けました。
 磯庭園は正式名称を仙巌園といい、万治元年 (1658年)、19代島津光久が鎌田出雲政近の大磯下津浜門屋敷を御用地と成し、御仮屋を建てたのが始まりとされています。 島津藩ではすでに18代 島津家久が城山に鶴丸城を建て、島津 氏の居城としており、仙巌園に建てられた御殿は、島津 家の別邸として代々の藩主に受け継がれました。
 江戸時代中期、21代 吉貴の代には、中国より江南竹が移植され、曲水の庭が作庭されたと伝わっています。 また、27代の斉興の代には、庭池拡張が行われ、同時に千尋巌、集仙台、筆塚などが造られました。 さらに、廃藩置県後には29代の忠義が移り住み、正門が造られ、ほぼ現在の形に整 (ととの)えられました。
 なお、この仙巌園は、昭和33年 (1958年)に名勝として国の文化財に指定されています。
と書かれています。



写真CH: 「島津家」と書いてあります。



写真CI: 「薩摩藩主別邸 名勝 仙巌園」と書いてある標柱があります。



写真CJ: 石垣 (いしがき)と大砲があります。



写真CK: ソテツの木と石垣 (いしがき)があります。



写真CL: 丸に十の字の島津の家紋 (かもん)が見えます。



写真CM: 門があります。 仙巌園です。



写真CN: 門の上部にも「丸に十の字」の島津の家紋 (かもん)があります。



写真CO: 石塀 (いしべい)と門です。 仙巌園です。



写真CP: 庭に大きなソテツの木があります。 仙巌園の建物が見えます。 外灯もあります。 裏には山があります。



写真CQ: 仙巌園の庭です。



写真CR: 塀 (へい)と門柱があります。 松の木、建物、外灯が見えます。



写真CS: 「御殿 (ごてん)」の説明板があります。
 磯 (いそ)の御殿は、万治元年 (1658年)、19代 島津光久が御仮屋を建てたのが始まりとされています。 その後、屋敷の南側に一亭を構 (かま)え、落日の日に鶴が亭前に舞い降りたことから、喜鶴亭と名付けられました。 以後、この御殿は島津 家の別邸として使用されてきました。
 明治4年には、廃藩置県がおこなわれ、島津 家の居城であった鶴丸城が島津 家の手を離れたため、島津 家の鹿児島での生活の場は磯 (いそ)に移りました。 そして、明治17年には、磯の御殿は大規模な改築を行い、その改良の費用は当時のお金で、3535円21銭 (せん)6厘 (りん)だったといいます。 明治21年には、29代 島津忠義が、この御殿に住み、一時本邸として使用されていました。
 現存する建物は明治17年の約2分の1で、25部屋余りとなっています。 庭園に面した部分は、当時当主であった忠義が使用していた部屋で、寝室、居間、謁見の間 (えっけんのま)など8部屋余りからなっています。
と書かれています。



写真CT: 仙巌園 (せんがんえん)にツツジが咲いていました。



写真CU: ツツジの上に石灯籠 (いしどうろう)が見えます。 磯御殿 (いそごてん)です。 鹿児島市 吉野町にある仙巌園です。



写真CV: 仙巌園から見た桜島の火山です。 錦江湾 (きんこうわん)も見えます。 幟 (のぼり)が数本立っています。 ツツジの花が咲いています。



写真CW: 黒松が庭にあります。



写真CX: 松の木の下に「亀石 (かめいし)」があります。



写真CY: 仙巌園から見える山の岩に「千尋巌」と白い字で書いてあります。 手前の建物は仙巌園のものです。



写真CZ: 裏山の崖 (がけ)の岩に「千尋巌」と書いてあります。 仙巌園です。



写真DA: 「丸に十の字」の島津の家紋 (かもん)が5つ並んでいる幟 (のぼり)が立っています。 鹿児島市 吉野町にある仙巌園です。



写真DB: 磯御殿 (いそごてん)とも呼 (よ)ばれ美しい庭園です。 仙巌園。



写真DC: 「両棒餅」と書いてある看板 (かんばん)があります。 仙巌園です。



写真DD: 看板 (かんばん)もあります。



写真DE: 「ぢゃんぼ餅 (もち)」の説明板があります。
 小さな餅に2本の竹串 (たけくし)を差 (さ)しきつね色に焼いて「たれ」をつけたのが「ぢゃんぼ餅」です。
 この名の語源は「両棒」で、両は中国語で「りゃん」鹿児島 (薩摩)では「ぢゃん」となまって2つを意味します。
 昔 武士が大小を差しているのを「両棒差し」ともいっていたことから、餅に2本の竹串を差した格好 (かっこう)が武士の「両棒差し」に似ているので「ぢゃんぼ」と呼ばれます。
 餅の焦 (こ)げの香ばしさと、しょうゆ又はみそ、砂糖、その他の調味料を入れた独特の「たれ」とがかもしだす昔の素朴な風味をそのまま伝えています。
と書かれています。



写真DF: 奥に大砲と石垣 (いしがき)が見えています。



写真DG: 石垣と大砲です。 仙巌園です。



写真DH: 「尚古集成館 (しょうこしゅうせいかん)」と門柱に書いてあります。 仙巌園の近くです。
「尚古集成館 (しょうこしゅうせいかん)」は鹿児島県 鹿児島市 吉野町にあります。
博物館です。 薩摩藩第28代当主の島津斉彬によって始められた集成館事業の1つとして1923年5月22日に開館しました。 現在は島津興業が運営しています。 島津家の史料、薩摩焼 (焼き物)、薩摩切子 (きりこ、ガラス細工)などを展示しています。 本館は1865年に機械工場として建てられました。 国の重要文化財です。 仙巌園の隣 (とな)りにある石造洋風建築です。



写真DI: 「日本初の工場群 国指定史跡 集成館跡」の説明板があります。



写真DJ: 入り口に「尚古集成館」と書いてあります。
「尚古集成館 (しょうこしゅうせいかん)」は鹿児島県 鹿児島市 吉野町にあります。
博物館です。 薩摩藩第28代当主の島津斉彬によって始められた集成館事業の1つとして1923年5月22日に開館しました。 現在は島津興業が運営しています。 島津家の史料、薩摩焼 (焼き物)、薩摩切子 (きりこ、ガラス細工)などを展示しています。 本館は1865年に機械工場として建てられました。 国の重要文化財です。 仙巌園の隣 (とな)りにある石造洋風建築です。



写真DK: 昔の大砲が展示してあります。 尚古集成館です。



写真DL: 「城山ドン広場、城山展望台、城山遊歩道、シティビューのりば」の道しるべがあります。
城山は標高 108 m です。



写真DM: 鹿児島県 鹿児島市 城山町 にある城山です。



写真DN: 「城山」から鹿児島市の町並み (まちなみ)がよく見えます。 割と近くに鳥居 (とりい)も見えます。 錦江湾 (きんこうわん)も見えます。 高い建物が多くあります。
「城山 (しろやま)」は鹿児島県 鹿児島市 城山町 にあります。
城山は鹿児島市の中央にある標高 108 m の山です。 西南戦争最後の激戦地です。 国の史跡になっています。 昔は鶴丸山、上之山と呼ばれていました。 大部分はシラスでできています。 西郷軍司令部のあった西郷洞窟や西郷隆盛終焉の地 (しゅうえんのち)などの西南戦争の史跡があります。 名称は中世に地元の豪族である上山 氏が山城を造ったことに由来 (ゆらい)します。 1906年 (明治39年)に城山公園 (広さ 15.6 ha )が開設されました。 西郷洞窟は城山公園には入っていません。



写真DO: 左遠くに桜島が見えます。 上部は霞 (かす)んでいます。 桜島の建物も白く見えています。 中央付近にお寺のような大きな屋根が見えます。 手前に緑のネットがあるゴルフ練習場と思われるものがあります。



写真DP: 鹿児島市にある城山の展望台です。 ベンチもあります。 鹿児島市を見渡せます。
「城山 (しろやま)」は鹿児島県 鹿児島市 城山町 にあります。



写真DQ: 桜島の上部がうっすらと見えます。 錦江湾 (きんこうわん)に白いフェリーと思われるものが見えています。 中央下部に緑色の屋根の古い建物が見えます。 城山からの景色です。



写真DR: 錦江湾にある防波堤、照明、白い船、船の白い航跡が見えます。 桜島の多くの建物なども見えます。 防波堤の手前に面白 (おもしろ)い形の建物があります。 城山からの眺望 (ちょうぼう)です。



写真DS: 右寄りの山の上にテレビ送信アンテナと思われるものが見えます。 高層ビル、高層マンションなどが多くあります。 城山からの展望です。



写真DT: 城山からの展望です。



写真DU: 赤と白に塗 (ぬ)られた高いアンテナが見えます。 手前に大通りがあります。 錦江湾の海面が見えます。 城山からの眺望 (ちょうぼう)。



写真DV: 中央に大きな屋根の寺と思われるものがあります。 錦江湾の防波堤、照明、桜島の白い建物も見えます。 城山からの景色です。



写真DW: 左右の防波堤の間を船が通ります。  港の近くに高い塔があります。 港の中にも船がいます。 港 (鹿児島港)の岸壁 (がんぺき)が見えます。



写真DX: 手前の港 (鹿児島港)に船が向かって来ています。 桜島からのフェリーと思われます。  防波堤の手前に面白い形の建物があります。 城山公園の展望所から見たものです。



写真DY: 城山公園から見た桜島と九州本土の鹿児島市です。



写真DZ: 城山にある石碑 (せきひ)です。 ベンチもあります。



写真EA: 鹿児島市にある城山です。 外灯、時計などもあります。 奥に売店があります。



写真EB: 古い木もあります。



写真EC: 城山の展望所です。



写真ED: ここから鹿児島市の市街地を見下 (お)ろせます。



写真EE: 西郷隆盛の軍服の模型があって記念写真を撮 (と)ることができます。 下に桜島大根の模型が見えます。 右は売店です。 氷も販売しています。 手前に猫 (ねこ)が寝ています。 城山公園です。



写真EF: 「城山自然遊歩道」の絵地図があります。 夏陰城跡、西郷隆盛洞窟、君崎谷、西郷終焉の地 (しゅうえんのち)、小鳥の森 (ドン広場)、シイの原生樹林、新照院へ、展望台 (現在地)、自然遊歩道コース、史跡 天然記念物 指定地、藩政時代の水道遺跡、照国神社、薩摩藩士碑、探勝園、西郷隆盛銅像、城山自然遊歩道 探勝園側入口、美術館、博物館、国道10号線、黎明館 (れいめいかん)、鶴丸城跡、私学校跡などが載 (の)っています。



写真EG: 鹿児島市にある城山の展望台です。
「城山 (しろやま)」は鹿児島県 鹿児島市 城山町 にあります。
城山は鹿児島市の中央にある標高 108 m の山です。 西南戦争最後の激戦地です。 国の史跡になっています。 昔は鶴丸山、上之山と呼ばれていました。 大部分はシラスでできています。 西郷軍司令部のあった西郷洞窟や西郷隆盛終焉の地 (しゅうえんのち)などの西南戦争の史跡があります。 名称は中世に地元の豪族である上山 氏が山城を造ったことに由来 (ゆらい)します。 1906年 (明治39年)に城山公園 (広さ 15.6 ha )が開設されました。 西郷洞窟は城山公園には入っていません。



写真EH: 展望台の真 (ま)ん中に囲 (かこ)ってある木があります。



写真EI: 飲料水などの自動販売機があります。



写真EJ: 「丸に十の字」の島津の家紋 (かもん)の形をしています。



写真EK: バス、乗用車も見えます。



写真EL: 鹿児島市街地を走っている路面電車です。 上に電線とパンタグラフが見えます。 車体には広告があります。



写真EM: バスから見た鹿児島市の道路です。 右上に路面電車の電線もあります。 下には路面電車のレールが見えます。 広い道路の中央を路面電車が通ります。



写真EN: 路面電車が見えて来ました。



写真EO: 鹿児島市の路面電車が近付いてきました。 電車のヘッドライト、パンタグラフ、屋根上のクーラーも見えます。



写真EP: 路面電車の駅です。 プラットホームがあります。 青と紫の路面電車が停車中です。 横断歩道もあります。 上には外灯があります。 鹿児島市の市街地です。



写真EQ: 鹿児島県 指宿市 (いぶすきし)にある指宿いわさきホテルです。 海に船が見えます。 プール、松の木もあります。
「指宿いわさきホテル (いぶすきいわさきホテル)」は鹿児島県 指宿市 十二町 3755 にあります。



写真ER: ホテルからプール、松の木、芝生 (しばふ)、海岸線、白い航跡も見える船などが見えます。



写真ES: 指宿いわさきホテルには名物の「砂風呂 (すなぶろ)」があります。



写真ET: 見晴 (みは)らしの良いところにホテルは建っています。



写真EU: 今日はここに一泊 (いっぱく)します。



写真EV: 「天然砂むし、砂風呂 (すなぶろ)の写真」の看板 (かんばん)があります。 「→天然 砂むし湯 SAND BATH」の標識もあります。 鹿児島県 指宿市にある指宿いわさきホテルです。



写真EW: 「指宿 (いぶすき)いわさきホテル」と書いてあります。



写真EX: 「Ibusuki Iwasaki Hotel」と書いてあります。



写真EY: ワシントン椰子 (やし)もあります。



写真EZ: ホテルでの夕食です。



写真FA: 夕食です。



写真FB: 指宿いわさきホテルでの夕食です。



写真FC: ホテルでの朝食です。



写真FD: 松の木とホテルの建物です。



写真FE: ホテルでの朝食です。



写真FF: 開聞岳 (かいもんだけ、標高 924 m)が見えて来ました。 「開聞岳 (かいもんだけ)」は鹿児島県 指宿市 開聞 川尻 にあります。
「開聞岳 (かいもんだけ)」は鹿児島県 指宿市 開聞 川尻 にあります。
開聞岳は鹿児島県の薩摩半島の南端付近にあります。 標高 924 m の火山で1964年 (昭和39年)3月に霧島錦江湾国立公園に指定されました。 日本百名山、新日本百名山に選ばれています。 薩摩富士とも呼 (よ)ばれます。 指宿市にあります。 約4000年前に活動を始めました。 平成12年12月12日から下旬にかけて噴気が観測されました。



写真FG: 畑の奥にうっすらと開聞岳 (標高 924 m)が見えます。



写真FH: 手前にソテツの木があります。 開聞岳 (かいもんだけ)は形の美しい山です。



写真FI: 開聞岳です。



写真FJ: 「P 指宿市長崎鼻 無料駐車場」、「兼 長崎鼻 パーキングガーデン」と書いてあります。 左にバスが見えます。 右下に犬がいます。



写真FK: 長崎鼻の近くから見た開聞岳 (かいもんだけ、標高 924 m)です。 「おみやげ」、「お食事」、「お手洗い」と書いてある建物があります。 ワシントン椰子 (やし)などがある駐車場が見えます。



写真FL: 長崎鼻の近くから見た開聞岳 (標高 924 m)です。 手前にワシントン椰子 (やし)があります。
「開聞岳 (かいもんだけ)」は鹿児島県 指宿市 開聞 川尻 にあります。
開聞岳は鹿児島県の薩摩半島の南端付近にあります。 標高 924 m の火山で1964年 (昭和39年)3月に霧島錦江湾国立公園に指定されました。 日本百名山、新日本百名山に選ばれています。 薩摩富士とも呼 (よ)ばれます。 指宿市にあります。 約4000年前に活動を始めました。 平成12年12月12日から下旬にかけて噴気が観測されました。



写真FM: うっすらと開聞岳が見えます。



写真FN: 長崎鼻の近くです。



写真FO: 「P 指宿市長崎鼻 無料駐車場」、「兼 長崎鼻 パーキングガーデン」と書いてあります。



写真FP: 「公園入口」、「長崎鼻入口 駐車場」と建物に書いてあります。 「たばこ」と書いてあります。 観光客もいます。 おみやげ屋です。 右にハイビスカスの赤い花が見えます。



写真FQ: 2つ赤い鳥居 (とりい)が見えます。



写真FR: 「龍宮神社」と書いてある石碑 (せきひ)があります。 左にソテツの木があります。



写真FS: これが長崎鼻です。 薩摩長崎鼻灯台が見えます。 薩摩半島の最南端です。 観光客もいます。
「長崎鼻」は鹿児島県 指宿市 山川 岡児ヵ水 にあります。
錦江湾 (きんこうわん)の出入口で、薩摩半島の最南端の長崎鼻は指宿カルデラの外輪山の一角です。 長崎鼻からは東シナ海や開聞岳 (標高 924 m)を見渡せます。 長崎鼻には竜宮伝説が伝わっていて、竜宮鼻という別名もあります。 ウミガメの産卵地です。 白い薩摩長崎鼻灯台があり、霧島錦江湾国立公園に指定されています。 長崎鼻の西には弓なりの砂浜が続いていて、その端に薩摩富士とも呼 (よ)ばれる開聞岳があります。 近くにある長崎鼻パーキングガーデンは椰子 (やし)やハイビスカスなど約1000種類の亜熱帯植物とリスザル、インコ、オラウータン、ネズミ、ミニブタなどがいます。 フラミンゴやチンパンジーのショーもあります。



写真FT: 「長崎鼻」は鹿児島県 指宿市 山川 岡児ヵ水 にあります。 岩が多く薩摩長崎鼻灯台があります。 木も茂 (しげ)っています。



写真FU: 長崎鼻は薩摩半島 (さつまはんとう)の最南端です。



写真FV: 長崎鼻は景勝地です。



写真FW: 「龍宮神社と長崎鼻について」の説明板があります。
(1)この龍宮神社は古事記、日本書紀にある豊玉姫 (乙姫様 (おとひめさま))を祀 (まつ)ってあります。 長崎鼻には古くから浦島太郎伝説があり、発祥 (はっしょう)の地と言われています。 古書に「竜宮城ハ琉球ナリ」と云 (い)われ、黒潮浮かぶ遥 (はる)か南の琉球城を彷彿 (ほうふつ)とさせます。
(2)この海岸一帯の砂浜には、今もたくさんのウミガメが産卵のために上陸します。 ウミガメが産卵する場所は、近くに豊かな漁礁 (ぎょしょう)があり亀にとってもたくさんの餌 (えさ)があること、また外敵が少なく安全で、孵化 (ふか)した赤ちゃん亀が無事に海に戻 (もど)れるような、砂浜が広がっていることが挙げられます。
(3)つまり、ウミガメが上陸する海岸は、海の幸を育 (はぐく)む豊かな自然があることから、昔から漁師や釣り人達は海の守り神として亀を大切にしました。 亀が漁網にでもかかれば手厚くもてなし、お酒を振る舞い海に帰してあげました。 こうしたことから神話伝説ともあいまって、浦島太郎や乙姫様 (海神の娘)を祀 (まつ)って信仰する風習は日本のいたる所にあります。
(4)長崎鼻の龍宮神社は浦島太郎と乙姫様 (おとひめさま)が出会った縁結びの神様として、また家内安全・商売繁盛・航海安全の守り神として今も多くの人が参拝に訪 (おとず)れます。
山川町 岡児ヶ水 長崎鼻観光土産品店組合
と書かれています。



写真FX: 長崎鼻にある「龍宮神社」です。



写真FY: 長崎鼻の龍宮神社です。 おみくじを売っている赤い箱があります。



写真FZ: 「長崎鼻 竜宮神社」と書いてあります。



写真GA: 山川漬 (づけ)、知覧茶、かつお節 (ぶし)などを販売しています。



写真GB: ハイビスカスの赤い花が咲いていました。 長崎鼻です。



写真GC: ハイビスカスの花、芭蕉 (ばしょう)、ワシントン椰子 (やし)などもあります。



写真GD: 鹿児島県 指宿市 山川にある長崎鼻です。



写真GE: 「長崎鼻パーキングガーデンのあゆみ」の説明板があります。
長崎鼻パーキングガーデンは昭和41年 (1966年)9月に開園しました。



写真GF: 「長崎鼻パーキングガーデンのあゆみ」の説明板。



写真GG: 「ここの白蛇様は 長崎鼻パーキングガーデン内にある白蛇神社へお遷ししました。」と書いてある看板 (かんばん)があります。



写真GH: 「ここの白蛇様は 長崎鼻パーキングガーデン内にある白蛇神社へお遷ししました。」と書いてある看板と建物です。



写真GI: 「長崎鼻入口 駐車場」と書いてある建物のところに戻 (もど)って来ました。



写真GJ: 開聞岳 (かいもんだけ)と駐車場が見える所です。 長崎鼻の近くです。



写真GK: 駐車場と建物、うっすらと開聞岳も見えます。



写真GL: 長崎鼻のそばから見た開聞岳 (かいもんだけ、標高 924 m)です。



写真GM: 池田湖のそばに恐竜 (イッシー)の大きな像があります。 ワシントン椰子 (やし)もあります。
「池田湖」は鹿児島県 指宿市 池田 にあります。



写真GN: 「皇太子殿下 妃殿下 御来園記念碑」があります。 狸 (たぬき)の像、階段、高いワシントン椰子 (やし)、ツツジの花、石灯籠 (いしどうろう)などが見えます。



写真GO: 「IKEDAKO PARADISE 池田湖パラダイス」と書いてあります。



写真GP: 巨大な鰻 (うなぎ)(オオウナギ)を飼 (か)ってあります。



写真GQ: 大きなウナギ (オオウナギ)が泳いでいます。



写真GR: 白い恐竜 (イッシー)の奥に池田湖、駐車場が見えます。 左は石碑 (せきひ)、右はツツジの花です。



写真GS: 太鼓橋 (たいこばし)が池田湖畔 (こはん)にあります。 柵 (さく)があります。 対岸の山並み (やまなみ)も見えます。



写真GT: 池田湖のそばにある太鼓橋 (たいこばし)です。



写真GU: 池田湖のそばに遊歩道があります。 右に建物があります。 車道も見えます。



写真GV: 池田湖は標高 約70 m です。 「池田湖」は鹿児島県 指宿市 池田 にあります。



写真GW: 指宿市にある池田湖です。
「池田湖」は鹿児島県 指宿市 池田 にあります。
約5500年前に火山活動がありました。 地下の噴出物が抜 (ぬ)けたところに地面が落ち込みました。 それで池田カルデラが出来ました。 池田カルデラに雨水がたまって池田湖が出来ました。 池田湖の直径は約3.5 km、周囲は約15 km、湖面の標高は66 m、深さは233 m、湖底には湖底火山 (直径 約800 m、湖底からの高さ 約150 m)があります。 池田湖とまわりの窪地 (くぼち)は池田カルデラと言われます。 池田湖には龍神伝説があります。 1961年頃から池田湖に巨大水生動物がいるとうわさされ、「イッシー」と呼 (よ)ばれました。 1978年9月3日に指宿市池崎地区の住民約20名がイッシーを見ました。 池田湖には市天然記念物のオオウナギ (大きい物は体長2 m)がいます。 また、池田湖に放流された大型魚ハクレンがいます。 その2つがイッシーの正体ではないかという説もあります。



写真GX: 鹿児島県 指宿市 池田にある「池田湖」です。



写真GY: 池田湖畔 (こはん)です。



写真GZ: 右端は太鼓橋 (たいこばし)です。



写真HA: 白い恐竜の頭と首、塔、駐車場、ワシントン椰子 (やし)、建物などが見えます。



写真HB: 池田湖のそばを車道が通っています。



写真HC: 池田湖と遠くの山も見えます。



写真HD: 池田湖の奥にうっすらと開聞岳 (かいもんだけ)が見えています。
「開聞岳 (かいもんだけ)」は鹿児島県 指宿市 開聞 川尻 にあります。
開聞岳は鹿児島県の薩摩半島の南端付近にあります。 標高 924 m の火山で1964年 (昭和39年)3月に霧島錦江湾国立公園に指定されました。 日本百名山、新日本百名山に選ばれています。 薩摩富士とも呼 (よ)ばれます。 指宿市にあります。 約4000年前に活動を始めました。 平成12年12月12日から下旬にかけて噴気が観測されました。



写真HE: 太鼓橋 (たいこばし)の上です。



写真HF: 池田湖の湖面に白っぽい筋 (すじ)が見えます。 これは何でしょうか? イッシーでしょうか?



写真HG: 池田湖畔 (こはん)の様子 (ようす)です。



写真HH: 池田湖です。
「池田湖」は鹿児島県 指宿市 池田 にあります。
約5500年前に火山活動がありました。 地下の噴出物が抜 (ぬ)けたところに地面が落ち込みました。 それで池田カルデラが出来ました。 池田カルデラに雨水がたまって池田湖が出来ました。 池田湖の直径は約3.5 km、周囲は約15 km、湖面の標高は66 m、深さは233 m、湖底には湖底火山 (直径 約800 m、湖底からの高さ 約150 m)があります。 池田湖とまわりの窪地 (くぼち)は池田カルデラと言われます。 池田湖には龍神伝説があります。 1961年頃から池田湖に巨大水生動物がいるとうわさされ、「イッシー」と呼 (よ)ばれました。 1978年9月3日に指宿市池崎地区の住民約20名がイッシーを見ました。 池田湖には市天然記念物のオオウナギ (大きい物は体長2 m)がいます。 また、池田湖に放流された大型魚ハクレンがいます。 その2つがイッシーの正体ではないかという説もあります。



写真HI: 「旅の駅」と建物に書いてあります。 白い恐竜、塔、ワシントン椰子 (やし)、駐車場、自動販売機も見えます。



写真HJ: 「旅の駅 LAKE SIDE VIEW」、「IKEDAKO PARADISE 池田湖パラダイス」と建物に書いてあります。



写真HK: 白い恐竜 (イッシー)の像です。



写真HL: 「薩摩酒造 花渡川蒸溜所 明治蔵」と書いてあります。 右にバスが見えます。



写真HM: 「いらっしゃいませ 明治蔵入口はこちらです。」と書いてあります。 左端に赤い丸型の郵便ポストがあります。 花がいろいろ咲いています。 奥に瓶 (かめ)が積 (つ)んであります。 テーブル、椅子 (いす)もあります。



写真HN: 「さつま白波 醸良 焼酎」と書いてあります。



写真HO: 大きな瓶 (かめ)を積 (つ)み重ねてあります。



写真HP: 明治蔵です。



写真HQ: 「薩摩酒造 花渡川蒸溜所 明治蔵 見学記念」と書いてあります。



写真HR: 建物の入り口が見えます。 赤い円筒形の郵便ポストがあります。



写真HS: 薩摩酒造 花渡川蒸溜所 明治蔵です。



写真HT: 屋根の上に「さつま 白波」と書いてあります。



写真HU: 「さつま白波」と書いてあります。 外灯も見えます。



写真HV: 「花渡川 ビアハウス」、「明治蔵」と書いてあります。



写真HW: 「まくらざき」と書いてあるポスターがあります。



写真HX: 枕崎市 (まくらざきし)での昼食です。



写真HY: 海の幸も出ました。



写真HZ: 「登録 さつま 商標 本格焼酎 白波」と書いてある酒樽 (さかだる)があります。



写真IA: 「枕崎 ぶえん鰹 (かつお)」と書いてあります。



写真IB: 枕崎漁港 (まくらざきぎょこう)が見えます。 漁船が港に停泊 (ていはく)しています。
「枕崎漁港 (まくらざきぎょこう)」は鹿児島県 枕崎市 汐見町にあります。



写真IC: 枕崎漁港に自動車も来ています。 建物の上に「まくらざき ぎょこう、カツオの模型」の看板 (かんばん)が見えます。 その下に横に長い絵が書いてあります。



写真ID: 枕崎漁港の漁船が多く見えます。
「枕崎漁港 (まくらざきぎょこう)」は鹿児島県 枕崎市 汐見町にあります。
枕崎漁港の管理者は鹿児島県で、枕崎市漁業協同組合があります。 1951年9月7日に特定第3種漁港に指定されました。 カツオ、アジ、サバ、マグロ、イワシなどが荷揚げされています。 まき網漁業、釣り (沿岸カツオ1本釣り、遠洋)などが行われています。 枕崎市はカツオ節の水産加工が量・質ともに日本一です。



写真IE: 枕崎漁港 (まくらざきぎょこう)とまわりの景色を見渡 (みわた)せます。



写真IF: 枕崎漁港の食堂です。



写真IG: 手前に軽トラックが来ています。 漁船の様子 (ようす)がよく分かります。 遠くの山も見えます。 枕崎漁港です。



写真IH: 左手前の漁船に黄色の浮きをたくさん積 (つ)んであります。 漁船のアンテナなども見えます。



写真II: 「枕崎漁港 (まくらざきぎょこう)」は鹿児島県 枕崎市 汐見町にあります。 活気のある漁港です。



写真IJ: 遠くに面白 (おもしろ)い形の山があります。 港の水面に浮きが見えます。



写真IK: 「レストラン お魚センター (直営)」と書いてあります。



写真IL: 「枕崎市の主な観光コース、枕崎市観光協会」の説明板があります。



写真IM: 「枕崎産 かつお」と書いてあります。 生きの良い鰹 (かつお)を販売しています。



写真IN: 枕崎市の海産物店です。 「つけあげ」と書いてあります。



写真IO: 大漁旗を飾 (かざ)ってあります。 いろいろな海産物を販売しています。



写真IP: 「美しく出会う時 枕崎」のポスターがあります。



写真IQ: 「ようこそ 枕崎港へ お魚センター直営 歓迎 枕崎お魚センター」と書いてあります。



写真IR: 「遠方よりお越しの方 ドライアイスをご利用下さい。」と書いてあります。 海産物店です。
「枕崎漁港 (まくらざきぎょこう)」は鹿児島県 枕崎市 汐見町にあります。
枕崎漁港の管理者は鹿児島県で、枕崎市漁業協同組合があります。 1951年9月7日に特定第3種漁港に指定されました。 カツオ、アジ、サバ、マグロ、イワシなどが荷揚げされています。 まき網漁業、釣り (沿岸カツオ1本釣り、遠洋)などが行われています。 枕崎市はカツオ節の水産加工が量・質ともに日本一です。



写真IS: 「かつおパック」、「昆布 (こんぶ)コーナー」、「おつけもの」と書いてあります。



写真IT: 第2次世界大戦のときの沖縄戦に、ここ知覧 (ちらん)から特攻機が飛び立ちました。 石灯籠 (いしどうろう)があります。



写真IU: ここは、第2次世界大戦の頃 (ころ)は飛行場でした。 この飛行場から特攻機が出撃 (しゅつげき)しました。 両側に多くの石灯籠 (いしどうろう)が並 (なら)んでいます。 これが有名な桜並木です。



写真IV: 観光案内所があります。



写真IW: 「観光案内所 知覧町観光協会」と書いてあります。



写真IX: 「知覧茶、大きな急須 (きゅうす)」の看板 (かんばん)があります。



写真IY: 「平和公園内施設案内図」があります。



写真IZ: 左には車が見えます。



写真JA: 「←特攻平和会館」と書いてある看板 (かんばん)があります。 石灯籠 (いしどうろう)、その左に飛行機、右に花があるプランターが見えます。
「知覧特攻平和会館 (ちらんとっこうへいわかいかん)」は鹿児島県 南九州市 知覧町 郡 17881 にあります。
知覧には本土最南端の陸軍の特攻基地がありました。 陸軍知覧飛行場からは1000機以上が出撃しました。 隊員の多くは訓練を終 (お)えたばかりの10代、20代の若者たちでした。 ベテランのパイロットはそのころには戦死してほとんど残っていませんでした。 知覧特攻平和会館には第2次世界大戦の末期にあった沖縄戦で爆弾を積 (つ)んだ飛行機で敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係する資料を展示してあります。 知覧がこの出撃基地だったのでこの地に知覧特攻平和会館が建設されました。 遺品 約4500点、遺影 (写真) 1036柱 (知覧からの出撃者は436名)が展示されています。 太平洋戦争中に太刀洗陸軍飛行学校 知覧分校として設立されて、戦争末期に知覧分校から知覧特攻基地に名称変更されました。 その跡地に知覧特攻平和会館はあります。 特攻平和観音は特攻隊員の精神の顕彰と世界平和を祈 (いの)って1955年 (昭和30年)9月28日に建立されました。 毎年5月3日に知覧特攻基地戦没者慰霊祭が行われています。



写真JB: 見学者たちも見えます。



写真JC: 石碑 (せきひ)があります。



写真JD: 「知覧特攻平和会館 (ちらんとっこうへいわかいかん)」は鹿児島県 南九州市 知覧町 郡 17881 にあります。
右に飛行機と特攻隊員の銅像、中央に鳥居 (とりい)、左に石灯籠 (いしどうろう)、ベンチなどが見えます。



写真JE: 知覧平和公園にある特攻隊員の像と飛行機です。



写真JF: 特攻隊員の像です。 特攻隊員の銅像「とこしえに」は昭和49年に建立されました。



写真JG: 飛行機を展示してあります。 「富士T-3  81-5502」です。 1978年4月に航空自衛隊へ引き渡し、2005年5月に知覧特攻平和会館 屋外に展示されました。



写真JH: 女性の像があります。 これは「やすらかに」の像です。 各特攻隊員の母の像です。 昭和61年3月30日に建立されました。



写真JI: 飛行機があります。 特攻機としても使われた陸軍の主力戦闘機である一式戦闘機「隼」です。



写真JJ: 知覧平和公園にある特攻機です。



写真JK: 一式戦闘機 「隼 (はやぶさ)」の説明板があります。
 ”特攻の母”として知られる鳥濱トメさんの視点から、若き特攻隊員の無残にも美しい青春を描いた、映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」 (2007年5月12日公開作品、製作総指揮・石原慎太郎)で実際の撮影に使用された「隼」。
「一式戦闘機「隼」」 大東亜戦争 (戦後は太平洋戦争ともいう。)において、陸軍の主力戦闘機として活躍した一式戦闘機「隼」V型甲をモデルに当時の資料や少飛会の意見を取り入れて忠実に復元制作された。 「隼」は当時知覧の特攻基地からは九七式戦闘機に次いで多い120機が飛び立っている。 (平成19年2月設置 知覧町)
と書かれています。



写真JL: 知覧平和公園にある特攻機 隼 (はやぶさ)です。



写真JM: 特攻機 隼 (はやぶさ)です。



写真JN: 知覧 (ちらん)平和公園にある特攻隊員の像です。



写真JO: 「とこしえに」と書いてあります。 特攻隊員の像の下部です。



写真JP: 「知覧町護国神社」と書いてあります。



写真JQ: 石碑 (せきひ)と多くの石灯籠 (いしどうろう)があります。



写真JR: 知覧町護国神社です。 奥に社殿があります。 石灯籠 (いしどうろう)も見えます。



写真JS: 知覧町護国神社の拝殿です。 狛犬 (こまいぬ)が見えます。



写真JT: 「←特攻隊員 三角兵舎」と書いてある看板 (かんばん)があります。 左奥に三角兵舎が見えます。



写真JU: 特攻隊員が寝泊 (ねと)まりした三角兵舎を再現したものです。 これはその屋根です。



写真JV: 奥の人が三角兵舎に入ろうとしています。 三角兵舎はこのように、敵から見えないように林の中にありました。



写真JW: 知覧平和公園にある特攻隊員の三角兵舎です。



写真JX: 「三角兵舎」の説明板があります。
 三角兵舎は特攻隊員の宿舎でありました。 敵の目を欺 (あざむ)くため、松林の中に半地下壕 (ごう)をつくり、屋根には杉の幼木をかぶせ擬装 (ぎそう)してありました。
 各地から集った隊員は2〜3日後には雲のかなた沖縄の空に散華 (さんげ)されました。 出撃の前夜は、この三角兵舎で壮行会が催 (もよお)され、酒を汲 (く)みかわしながら隊歌をうたい、薄暗い裸電球の下で遺書を書き、また別れの手紙等をしたためて、出撃して征 (い)ったのです。
ここに三角兵舎を復元し当時をしのぶよすがとするものであります。
と書かれています。



写真JY: 「垂直尾翼 (すいちょくびよく)」と書いてあります。 特攻機の残骸 (ざんがい)が陳列されています。 三角兵舎の中にあります。



写真JZ: 三角兵舎の寝具です。 毛布、布団などが見えます。



写真KA: 板に敷物 (しきもの)が敷いてあります。 棚 (たな)には鉄兜 (てつかぶと)が並べてあります。 三角兵舎。



写真KB: トランク (大型カバン)、服、敷 (し)いてある寝具などが見えます。 知覧平和公園の三角兵舎です。



写真KC: 三角兵舎の内側の壁 (かべ)です。



写真KD: 三角兵舎の出入口です。 扉 (とびら)があります。 「三角兵舎 入口」と書いてある看板 (かんばん)、説明板があります。



写真KE: 「庄覧平和観音」の像が三角兵舎のそばにあります。



写真KF: 知覧町護国神社の本殿と拝殿です。



写真KG: 白い像があります。



写真KH: 知覧特攻平和会館です。 1986年に建設されました。
「知覧特攻平和会館 (ちらんとっこうへいわかいかん)」は鹿児島県 南九州市 知覧町 郡 17881 にあります。



写真KI: 知覧特攻平和会館の入口です。 「知覧特攻平和会館」と書いてある門札 (もんさつ)があります。
「知覧特攻平和会館 (ちらんとっこうへいわかいかん)」は鹿児島県 南九州市 知覧町 郡 17881 にあります。
知覧には本土最南端の陸軍の特攻基地がありました。 陸軍知覧飛行場からは1000機以上が出撃しました。 隊員の多くは訓練を終 (お)えたばかりの10代、20代の若者たちでした。 ベテランのパイロットはそのころには戦死してほとんど残っていませんでした。 知覧特攻平和会館には第2次世界大戦の末期にあった沖縄戦で爆弾を積 (つ)んだ飛行機で敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係する資料を展示してあります。 知覧がこの出撃基地だったのでこの地に知覧特攻平和会館が建設されました。 遺品 約4500点、遺影 (写真) 1036柱 (知覧からの出撃者は436名)が展示されています。 太平洋戦争中に太刀洗陸軍飛行学校 知覧分校として設立されて、戦争末期に知覧分校から知覧特攻基地に名称変更されました。 その跡地に知覧特攻平和会館はあります。 特攻平和観音は特攻隊員の精神の顕彰と世界平和を祈 (いの)って1955年 (昭和30年)9月28日に建立されました。 毎年5月3日に知覧特攻基地戦没者慰霊祭が行われています。



写真KJ: 「知覧特攻平和会館」と書いてあります。



写真KK: 知覧特攻平和会館から見たものです。 道を見学者が歩いています。



写真KL: 「知覧武士の文化展」が開催されていました。 知覧特攻平和会館のそばにある「ミュージアム知覧」です。



写真KM: 「→知覧町立博物館、ミュージアム知覧」と書いてあります。



写真KN: 知覧特攻平和会館です。



写真KO: 鐘 (かね)を吊 (つ)ってある柱があります。



写真KP: 鐘 (かね)と撞木 (しゅもく、鐘を打つ棒です。)があります。 「平和の鐘 (かね)」です。



写真KQ: 「ホタル」と書いてある石碑 (せきひ)があります。 2001年に公開された高倉健の主演映画の記念碑です。 新潟県出身の宮川三郎 氏 (当時20歳)が食堂の鳥濱トメさんに「特攻したら、ホタルになって帰ってきます。」と言い残して出撃し、翌日の夜にトメさんの食堂に1匹のホタルが入ってきたという逸話 (いつわ)があります。



写真KR: 歌碑 (かひ)があります。



写真KS: 「戦史詳細図」があります。



写真KT: 戦争中はここは長い滑走路でした。 知覧の桜並木です。



写真KU: ここから特攻隊員は飛び立ちました。



写真KV: 桜並木に石灯籠 (いしどうろう)が多く設置されています。



写真KW: 「かごしま産茶 特売品センター 薩摩城」と書いてあります。 城の形をした建物です。



写真KX: 薩摩城です。 昔ここに城があったわけではありません。 観光城です。
「かごしま産業特産品センター 薩摩城」は鹿児島県 鹿児島市 七ッ島 1-5-1 にあります。
近代的な設備での かるかん (お菓子)、さつま揚 (あ)げの製造工程を見学できます。 販売もしています。 天守閣 (てんしゅかく)からは錦江湾 (きんこうわん)などの景色を楽しめます。



写真KY: 「見学工場 薩摩城」と書いてあります。



写真KZ: 薩摩城の中です。 テーブルと椅子 (いす)があります。 大きな窓があります。



写真LA: 薩摩城の上階から見た景色です。



写真LB: 薩摩城から海 (錦江湾)も見えます。 クレーンも何本か見えます。
「かごしま産業特産品センター 薩摩城」は鹿児島県 鹿児島市 七ッ島 1-5-1 にあります。
近代的な設備での かるかん (お菓子)、さつま揚 (あ)げの製造工程を見学できます。 販売もしています。 天守閣 (てんしゅかく)からは錦江湾 (きんこうわん)などの景色を楽しめます。



写真LC: 薩摩城から「明興テクノフロント」が見えます。 遠くには錦江湾と船が見えています。



写真LD: 薩摩城から遠くの景色を楽しめます。 高いクレーン、携帯電話の基地局アンテナ、錦江湾 (きんこうわん)も見えます。



写真LE: いろいろな焼酎 (しょうちゅう)を棚 (たな)に並 (なら)べてあります。



写真LF: 焼酎の瓶 (かめ)も展示してあります。 薩摩城です。



写真LG: 薩摩城の中です。



写真LH: 「かるかん制御盤」と書いてあります。 かるかんの製造工場です。



写真LI: 「かるかん」、「姫かるかん」と書いてあります。 多くのおみやげ品を販売しています。 薩摩城。



写真LJ: 薩摩城の中です。 外の風景を楽しめます。



写真LK: 中央の山の上にロケットの形をしたものが見えます。



写真LL: 山の上にロケットの形をしたものが見えます。 これは錦江湾公園にある日本の H−U A 型ロケットの実物大模型です。
「錦江湾公園 (きんこうわんこうえん)」は鹿児島県 鹿児島市 平川町 1818番 にあります。
標高 126 m の丘陵 (きゅうりょう)にあります。 フィールドアスレチック、多目的広場、キャンプ場、バラ園、日本の H−U A 型ロケットの実物大模型 、展望台などがあります。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)