阿波岐原森林公園、一ツ葉入江 (あわきがはらしんりんこうえん)、(ひとつばいりえ) (一ツ葉砂丘、一ツ葉海岸、砂洲(さす)、クロマツ林、宮崎港、南防波堤、内防波堤、サンマリーナ宮崎、阿波岐原森林公園 総合案内所、一ツ葉の砂丘、一ツ葉の浜、一ツ葉公園)  (宮崎県 宮崎市 新別府町 前浜)







<標高、位置>  「阿波岐原森林公園 総合案内所 (あわきがはらしんりんこうえん そうごうあんないしょ)」は
標高 数 m
 北緯31度55分07秒  東経131度27分34秒

<標高、位置>  「一ツ葉入江 (ひとつばいりえ)」の北端は
標高 0 m
 北緯31度55分27秒  東経131度27分52秒


 「阿波岐原森林公園」は宮崎県 宮崎市 新別府町 上和田 1336-1 にあります。 広いので新別府町、山崎町、阿波岐原町にまたがっています。 昭和32年(1956年)2月4日に阿波岐原森林公園を広域公園に決定し、開設は昭和61年4月1日です。 都市計画公園区域 390.9 ha 。 主な施設(周辺施設を含む)はみやざき臨海公園(サンマリーナ宮崎、サンビーチ一ツ葉)、宮崎市フェニックス自然動物園、国際海浜エントランス、、フローランテ宮崎、市民の森、シーガイア、新別府公園、フェニックス カントリー クラブなどです。

 「一ツ葉入江 (一ツ葉入り江)」は大淀川の河口から北に細長い形をしています。 南北の長さは3.2 km です。 入江はラグーン、潟湖(せきこ)とも呼(よ)ばれます。 海の一部が、砂洲(さす)などによって外海と遮断(しゃだん)されてできた湖沼(こしょう)です。 多くは1ヵ所から数ヵ所の口があって外海と水が出入りします。 塩分は海水に近いか汽水(きすい、海水と淡水との混合によって生じた低塩分の海水で内湾・河口部などの海水です。)です。 一ツ葉入江は、宮崎港建設の工事で一ツ葉砂丘が一部掘削され外海との水路ができました。 それで、一ツ葉砂丘は南北の2つに分(わ)かれました。 現在の宮崎港は人工的な港として、昭和56年から整備が進められました。 6年後の昭和62年に、一ツ葉入江と外海を隔てていた砂洲を切り開いて港内と外海が直接つながり、北航路ができて宮崎市に大型港が誕生しました。 それまでは大淀川の河口だけから船は出入りしていました。 一ツ葉入江には野鳥が多く飛来します。 カルガモ、マガモ、シギ類(チュウシャクシギ、ハマシギ、キアシシギ、ソリハシシギ、アオアシシギ)、シロチドリ、コアジサシ、ズグロカモメ、カラシラサギなどが見られます。

 「宮崎港」は宮崎市 港、港東、新別府町、阿波岐原町にまたがる港です。 大淀川の河口の北岸(左岸(下流を見て左。))の一ツ葉入江に位置する河口港です。 昭和44年(1969年)に開港し、宮崎県が港湾管理者です。 昭和12年(1937年)に赤江港から宮崎港に呼(よ)び名が変わりました。 それまでは赤江港と呼ばれていて重要な港でした。 鎌倉時代から赤江港は使われていました。 文明年間(1469年から1487年、戦国時代)は大陸交易の寄港地となりました。 文化年間(1804年から1818年、江戸時代後期)頃から、上方交易(大阪、神戸など。)が活発になりました。 当時は赤江港は大淀川の南岸(右岸(下流を見て右。))に位置して飫肥藩(おびはん)領の東北端の場所でした。 明治時代は大淀川を用いた内陸部(宮崎市 高岡町、国富町 本庄)と結ばれていました。 しかし、大正12年(1923年)に国鉄 日豊本線が開通し、また河口港によく見られる砂堆積(たいせき)によって航路の維持が困難になり、赤江港は衰退しました。 昭和33年(1958年)から改修工事が始まり、昭和44年(1969年)に一ツ葉入江に宮崎港が出来ました。 宮崎港には漁港、フェリーターミナル、国際コンテナターミナルなどがあります。
 宮崎港は港湾区域告示 昭和38年6月、港湾区域面積 1983 ha、南防波堤 2600 m、内防波堤 450 m、岸壁水深 9 m(50000トン級) 延長 300 m、航路・泊地水深 9 m。
 宮崎港ではチヌ、サヨリ、スズキ、コノシロ、アジコ、サビキなどが釣(つ)れます。


写真A: 阿波岐原森林公園 (あわきがはらしんりんこうえん)の入り口である十字路です。 右に行くと一ツ葉有料道路を通って高層ホテル オーシャン45、佐土原町に行きます。 左に行くと宮崎港、大淀川に行きます。 奥に進むと一ツ葉稲荷神社、手前に進むと阿波岐原森林公園に行きます。 北西を見たものです。



写真B: 「阿波岐原森林公園、管理事務所、駐車場、トイレ、思い出とゴミは持ち帰りましょう。 阿波岐原森林公園 管理事務所」と書いてある大きな看板(かんばん)があります。



写真C: 南東に車で進めます。 駐車場、管理事務所、トイレなどもあります。 阿波岐原森林公園。
「阿波岐原森林公園」は宮崎県 宮崎市 新別府町 上和田 1336-1 にあります。 広いので新別府町、山崎町、阿波岐原町にまたがっています。 昭和32年(1956年)2月4日に阿波岐原森林公園を広域公園に決定し、開設は昭和61年4月1日です。 都市計画公園区域 390.9 ha 。 主な施設(周辺施設を含む)はみやざき臨海公園(サンマリーナ宮崎、サンビーチ一ツ葉)、宮崎市フェニックス自然動物園、国際海浜エントランス、、フローランテ宮崎、市民の森、シーガイア、新別府公園、フェニックス カントリー クラブなどです。



写真D: ここが阿波岐原森林公園 (あわきがはらしんりんこうえん)です。 遊歩道が見えます。 東を見たもの。



写真E: 「ハマユウの実」がありました。



写真F: ハマユウです。



写真G: 黒松が多くあります。 阿波岐原森林公園 (あわきがはらしんりんこうえん)です。



写真H: 「白砂青松 (一ツ葉海岸松林の再生を願って)、松のみどり自主管理促進事業、<事業主体>檍(あおき)振興会、平成11年〜14年度 宮崎森林管理者 前浜国有林94ろ林小班 面積 1.86 ha、植栽本数 4750本(黒松、抵抗性松)、宮崎県緑化功労者表彰 (平成15年4月29日)」と書かれています。



写真I: このあたりは細い道になっています。 篠(しの、小さい竹)が生えています。 黒松もあります。 阿波岐原森林公園。



写真J: ここで舗装(ほそう)してある遊歩道にぶつかりました。



写真K: 阿波岐原森林公園の遊歩道です。



写真L: 釣竿(つりざお)に使用される竹が生えています。 子供の頃に一ツ葉稲荷神社の竹をとってきて、火で炙(あぶ)り出てきた油を雑巾(そうきん)で拭(ふ)き取り、投げ釣りの糸を通す小さな輪を数カ所しばりつけて投げ釣りの竿(さお)を作ったことがあります。



写真M: 開いているゲートが見えます。 阿波岐原森林公園です。



写真N: 「通行止 この道路は、私たちの大切な森林、海岸保安林を保護管理する管理道です。 ゴミの不法投棄、タバコの投げ捨て厳禁、宮崎森林管理署」と書いてある看板(かんばん)がゲートにあります。



写真O: 「潮害防備保安林、この保安林は地域の潮害の防備に役立っています。 森林には、樹木の樹冠や幹(みき)がついたてのような役割をして津波や高潮などの勢いを弱め、また海水の塩分を多量に含んだ強い風から農地や家屋などを守ってくれるはたらきがあります。 このような森林のはたらきを特に発揮させるために、この付近一帯の森林は潮害防備保安林に指定されています。
次の行為をしようとするときは、県知事の許可などを必要とします。 1.立木竹の伐採および損傷、2.樹根、土石の採掘、その他の土地の形質の変更。 たばこの投げ捨てやたき火は止めましょう。
林野庁 九州森林管理局」
と書いてあります。



写真P: 阿波岐原森林公園の遊歩道です。 左にポールが5本見えます。



写真Q: 「告、これから先は公園です。 関係者以外の車両(バイクも含む)の乗り入れは固くお断りします。 宮崎市役所街路公園課」と書いてあります。



写真R: 「ヒメヤブランの花」が咲いていました。
ヒメヤブランはユリ科です。 野原や林床などに生(は)える多年草。 茎の高さは20 cm 足(た)らずで、その頂(いただき)にわずかな数の花が穂状花序にまばらに付いています。 花期は6月〜9月で紫色の花を平(たい)らに開き、黄色がオシベで白色はメシベです。 分布は北海道(西南部)、本州、四国、九州、沖縄です。



写真S: 「国有保安林、ごみ捨て禁止! ごみを捨てると法律により処罰されます。 宮崎営林署・宮崎市・宮崎北警察署」と書いてある看板(かんばん)があります。



写真T: 「空と海 心をつなぐ森づくり、平成15年度 松林の自主管理推進事業、事業主体 宮崎市檍(あおき)振興会、場所 前浜国有林94イ、面積 2700 平方メートル、植樹本数 抵抗性マツ500本」と書いてある看板があります。



写真U: 左は一ツ葉の松林です。 右は竹が茂(しげ)っています。 阿波岐原森林公園です。
このあたりは昭和30年頃の面影(おもかげ)をよく残しています。
ここ一ツ葉入り江の北端部分と一ツ葉の砂丘、一ツ葉の海岸(砂浜)には子供の頃に、学校の3月の別れ遠足で毎年来ていました。 海の砂浜でそのころは塩田を用いた塩作りが行われていました。 入り江の北端西部にはコンクリートの家の土台が当時残っていました。 そこから南遠くの海岸付近の海で第2次世界大戦中に敷設(ふせつ)された機雷(触れたりすると爆発して敵の船を沈めるもの。)を爆発させて破棄(はき)する時の大きな煙りと爆発音が聞こえたことを思い出します(昭和30年前後の頃。)。 その少し西の松林にブランコの遊具がありました。 当時は、おもちゃのような小舟に釣り針を付けた長い釣り糸をとりつけ風下に流して、ボラ釣りが行われていました。 私の海、波、砂浜の原風景はこの一ツ葉です。



写真V: ここで別の遊歩道と合流します。 左は黒松です。



写真W: 一ツ葉入江 (ひとつばいりえ)が見えてきました。 宮崎市にある一ツ葉入江の北端が見えています。 一ツ葉入江は大淀川の河口から北に細長くのびている入江です。 北東を見た景色です。
「一ツ葉入江 (一ツ葉入り江)」は大淀川の河口から北に細長い形をしています。 南北の長さは3.2 km です。 入江はラグーン、潟湖(せきこ)とも呼(よ)ばれます。 海の一部が、砂洲(さす)などによって外海と遮断(しゃだん)されてできた湖沼(こしょう)です。 多くは1ヵ所から数ヵ所の口があって外海と水が出入りします。 塩分は海水に近いか汽水(きすい、海水と淡水との混合によって生じた低塩分の海水で内湾・河口部などの海水です。)です。 一ツ葉入江は、宮崎港建設の工事で一ツ葉砂丘が一部掘削され外海との水路ができました。 それで、一ツ葉砂丘は南北の2つに分(わ)かれました。 現在の宮崎港は人工的な港として、昭和56年から整備が進められました。 6年後の昭和62年に、一ツ葉入江と外海を隔てていた砂洲を切り開いて港内と外海が直接つながり、北航路ができて宮崎市に大型港が誕生しました。 それまでは大淀川の河口だけから船は出入りしていました。



写真X: 宮崎市にある一ツ葉入江の北端です。
私が子供だった頃に小学校の3月の別れ遠足で、毎年このあたりに遠足で来ていました。
ここ一ツ葉入り江の北端部分と一ツ葉の砂丘、一ツ葉の海岸(砂浜)には子供の頃に、学校の3月の別れ遠足で毎年来ていました。 海の砂浜でそのころは塩田を用いた塩作りが行われていました。 入り江の北端西部にはコンクリートの家の土台が当時残っていました。 そこから南遠くの海岸付近の海で第2次世界大戦中に敷設(ふせつ)された機雷(触れたりすると爆発して敵の船を沈めるもの。)を爆発させて破棄(はき)する時の大きな煙りと爆発音が聞こえたことを思い出します(昭和30年前後の頃。)。 その少し西の松林にブランコの遊具がありました。 当時は、おもちゃのような小舟に釣り針を付けた長い釣り糸をとりつけ風下に流して、ボラ釣りが行われていました。 私の海、波、砂浜の原風景はこの一ツ葉です。



写真Y: 一ツ葉入江の東岸にある砂丘(さきゅう)が見えます。 この後にその砂丘を歩きます。 東を見たもの。
ここ一ツ葉入り江の北端部分と一ツ葉の砂丘、一ツ葉の海岸(砂浜)には子供の頃に、学校の3月の別れ遠足で毎年来ていました。 海の砂浜でそのころは塩田を用いた塩作りが行われていました。 入り江の北端西部にはコンクリートの家の土台が当時残っていました。 そこから南遠くの海岸付近の海で第2次世界大戦中に敷設(ふせつ)された機雷(触れたりすると爆発して敵の船を沈めるもの。)を爆発させて破棄(はき)する時の大きな煙りと爆発音が聞こえたことを思い出します(昭和30年前後の頃。)。 その少し西の松林にブランコの遊具がありました。 当時は、おもちゃのような小舟に釣り針を付けた長い釣り糸をとりつけ風下に流して、ボラ釣りが行われていました。 私の海、波、砂浜の原風景はこの一ツ葉です。



写真Z: 3つのコンクリートの物があります。 ここが昭和30年頃に一ツ葉稲荷神社から一ツ葉の浜、一ツ葉入江に来る道だったと思われます。 黒松が茂っています。 西を見たもの。
ここ一ツ葉入り江の北端部分と一ツ葉の砂丘、一ツ葉の海岸(砂浜)には子供の頃に、学校の3月の別れ遠足で毎年来ていました。 海の砂浜でそのころは塩田を用いた塩作りが行われていました。 入り江の北端西部にはコンクリートの家の土台が当時残っていました。 そこから南遠くの海岸付近の海で第2次世界大戦中に敷設(ふせつ)された機雷(触れたりすると爆発して敵の船を沈めるもの。)を爆発させて破棄(はき)する時の大きな煙りと爆発音が聞こえたことを思い出します(昭和30年前後の頃。)。 その少し西の松林にブランコの遊具がありました。 当時は、おもちゃのような小舟に釣り針を付けた長い釣り糸をとりつけ風下に流して、ボラ釣りが行われていました。 私の海、波、砂浜の原風景はこの一ツ葉です。



写真AA: 3つのコンクリートの物です。 奥に広場が見えます。 「一ツ葉公園」です。 西を見たもの。
ここ一ツ葉入り江の北端部分と一ツ葉の砂丘、一ツ葉の海岸(砂浜)には子供の頃に、学校の3月の別れ遠足で毎年来ていました。 海の砂浜でそのころは塩田を用いた塩作りが行われていました。 入り江の北端西部にはコンクリートの家の土台が当時残っていました。 そこから南遠くの海岸付近の海で第2次世界大戦中に敷設(ふせつ)された機雷(触れたりすると爆発して敵の船を沈めるもの。)を爆発させて破棄(はき)する時の大きな煙りと爆発音が聞こえたことを思い出します(昭和30年前後の頃。)。 その少し西の松林にブランコの遊具がありました。 当時は、おもちゃのような小舟に釣り針を付けた長い釣り糸をとりつけ風下に流して、ボラ釣りが行われていました。 私の海、波、砂浜の原風景はこの一ツ葉です。



写真AB: 「引照点 1 運輸省防波堤(北)」が松林にあります。 測量の基準点と思われます。
「引照点」とは測量した点が、工事などにより破損する おそれがある場合、あるいは現地に測量標などを設置できない場合に、その点を復元 するために支障のない場所に設ける点をいいます。



写真AC: 「引照点 1 運輸省防波堤(北)」と書いてある金属のまわりに四角のコンクリートがあります。
「引照点」とは測量した点が、工事などにより破損する おそれがある場合、あるいは現地に測量標などを設置できない場合に、その点を復元 するために支障のない場所に設ける点をいいます。



写真AD: 「空カン・ゴミは持ち帰りましょう 宮崎森林管理署」と書いてある看板があります。



写真AE: 一ツ葉入江の北端付近の遊歩道と松林です。 北を見た景色です。
ここ一ツ葉入り江の北端部分と一ツ葉の砂丘、一ツ葉の海岸(砂浜)には子供の頃に、学校の3月の別れ遠足で毎年来ていました。 海の砂浜でそのころは塩田を用いた塩作りが行われていました。 入り江の北端西部にはコンクリートの家の土台が当時残っていました。 そこから南遠くの海岸付近の海で第2次世界大戦中に敷設(ふせつ)された機雷(触れたりすると爆発して敵の船を沈めるもの。)を爆発させて破棄(はき)する時の大きな煙りと爆発音が聞こえたことを思い出します(昭和30年前後の頃。)。 その少し西の松林にブランコの遊具がありました。 当時は、おもちゃのような小舟に釣り針を付けた長い釣り糸をとりつけ風下に流して、ボラ釣りが行われていました。 私の海、波、砂浜の原風景はこの一ツ葉です。



写真AF: 「山火事 注意、宮崎県」と書いてある看板があります。



写真AG: 見えている左右の道は左に行くと一ツ葉有料道路、右に行くと一ツ葉の砂丘(さきゅう)やサンマリーナ宮崎 (ヨットハーバー)、サンビーチ一ツ葉 (海水浴場)に行くことができます。 北を見たもの。



写真AH: 「阿波岐原森林公園 南部区域総合案内」の看板があります。
地図が載(の)っています。 阿波岐原森林公園管理事務所、一ツ葉入り江、一ツ葉公園、サンマリーナ宮崎 (ヨットハーバー)、サンビーチ一ツ葉 (海水浴場)などが書いてあります。



写真AI: 「阿波岐原森林公園 南部区域総合案内」の看板。
阿波岐原森林公園管理事務所、一ツ葉入り江、一ツ葉公園、サンマリーナ宮崎 (ヨットハーバー)などが書いてあります。



写真AJ: この道を先に行くと一ツ葉有料道路に出ます。 西を見たもの。



写真AK: こちらを先に行くと一ツ葉砂丘 (ひとつばさきゅう)、サンマリーナ宮崎、サンビーチ一ツ葉に行きます。 これは一ツ葉入り江の北端のすぐ北の道です。 東を見たもの。



写真AL: 南を見たもの。 この松林のすぐ奥は一ツ葉入り江の北端です。



写真AM: 奥は小高くなっています。 そこが一ツ葉の砂丘(さきゅう)です。 東を見たもの。



写真AN: 高くなっています。 そこが一ツ葉の砂丘(さきゅう)です。 東を見たもの。



写真AO: 南の松林を通して一ツ葉入江の北端が見えます。 南を見たもの。



写真AP: ここが一ツ葉入江の北端です。 入江に船が見えます。 南を見たもの。



写真AQ: 「潮害防備保安林、この保安林は、潮害の防備に役立っています。 この森林は、海岸の樹林帯を形成して、海からの強風による潮の害から農作物を守ると共に、飛砂・津波・高潮などの害から、私たちの家や田畑を守るなどの役割を果たしています。 この保安林は、これらの機能を高めるため、特に指定された保安林です。 保安林内においては、次の行為は知事の許可を受けなければなりません。 1.立木竹の伐採(ばっさい)および立木の損傷、2.土石の採取および樹根の採掘、3.その他 土地の形質を変更する行為。 森林は国の宝です。 保護育成に努(つと)め、後世に引き継いで行きましょう。 たきび・たばこの吸殻や、ごみの投げ捨てに注意し、樹木を大切に育てましょう。
平成10年度設置 宮崎県」
と書いてある看板(かんばん)があります。



写真AR: 灰色の太めの塔、建物、電柱、右にサイレンの付いたポールなどが見えます。 ここは上り坂になっています。 ここが一ツ葉砂丘 (ひとつばさきゅう)です。 右に行くと砂丘を南に行くことができます。 奥に行くとサンマリーナ宮崎 (ヨットハーバー)に出ます。 東を見たもの。



写真AS: ここを進むと、一ツ葉砂丘の上を南に行くことができます。



写真AT: 来た一ツ葉入江の北端の道を振(ふ)り返ったもの。 西を見たもの。



写真AU: 奥(東)にサンマリーナ宮崎 (ヨットハーバー)の建物などが見えます。 ここからは車が入れるようです。



写真AV: 一ツ葉砂丘の上をこれから南に歩きます。



写真AW: ここが一ツ葉砂丘の上です。 南を見た景色です。



写真AX: 一ツ葉砂丘の上です。 南を見たもの。 宮崎港が出来る前は大淀川の河口まで一ツ葉砂丘は続いていました。 今は船が出入りする水路が掘(ほ)られて途切(とぎ)れています。



写真AY: 一ツ葉砂丘の上です。



写真AZ: 砂丘の上から一ツ葉入江の北端付近が見えます。 船が浮いています。 対岸を右(北)に歩いて来ました。 北西を見たものです。 阿波岐原森林公園の森が広がっています。



写真BA: 一ツ葉入り江と阿波岐原森林公園 (あわきがはらしんりんこうえん)が見えます。 水面に浮き、小舟もあります。 南西を見たもの。
「一ツ葉入江 (一ツ葉入り江)」は大淀川の河口から北に細長い形をしています。 南北の長さは3.2 km です。 入江はラグーン、潟湖(せきこ)とも呼(よ)ばれます。 海の一部が、砂洲(さす)などによって外海と遮断(しゃだん)されてできた湖沼(こしょう)です。 多くは1ヵ所から数ヵ所の口があって外海と水が出入りします。 塩分は海水に近いか汽水(きすい、海水と淡水との混合によって生じた低塩分の海水で内湾・河口部などの海水です。)です。 一ツ葉入江は、宮崎港建設の工事で一ツ葉砂丘が一部掘削され外海との水路ができました。 それで、一ツ葉砂丘は南北の2つに分(わ)かれました。 現在の宮崎港は人工的な港として、昭和56年から整備が進められました。 6年後の昭和62年に、一ツ葉入江と外海を隔てていた砂洲を切り開いて港内と外海が直接つながり、北航路ができて宮崎市に大型港が誕生しました。 それまでは大淀川の河口だけから船は出入りしていました。



写真BB: 砂丘から南を見た景色です。 一ツ葉入江の先に宮崎港に停泊中のフェリー(大阪−宮崎 間)や貨物船が見えています。
左は一ツ葉砂丘、右は阿波岐原森林公園 (あわきがはらしんりんこうえん)です。
一ツ葉入江には野鳥が多く飛来します。 カルガモ、マガモ、シギ類(チュウシャクシギ、ハマシギ、キアシシギ、ソリハシシギ、アオアシシギ)、シロチドリ、コアジサシ、ズグロカモメ、カラシラサギなどが見られます。



写真BC: 一ツ葉の砂丘です。



写真BD: 一ツ葉入江の東岸にある「一ツ葉砂丘」。



写真BE: 左に先ほどの灰色の塔、スピーカーの付いたポールなどが見えます。 一ツ葉の砂丘。 北東を見たもの。



写真BF: 一ツ葉砂丘の上から北を見た景色です。 MRT中波放送アンテナ、電柱、灰色の塔、スピーカーの付いたポールなどが見えます。 左は松の木です。



写真BG: 北西を見たものです。 一ツ葉入江に船が見えます。 入江の奥に阿波岐原森林公園が見えます。



写真BH: 一ツ葉砂丘から南を見た景色です。 右から双石山(ぼろいしやま、標高 509.3 m)、花切山(はなきりやま、標高 669.2 m)などが見えます。 手前に一ツ葉入江、東西に伸びた砂洲(さす)、宮崎港のフェリー(大阪-宮崎 間)、輸送船も見えています。
「一ツ葉入江 (一ツ葉入り江)」は大淀川の河口から北に細長い形をしています。 南北の長さは3.2 km です。 入江はラグーン、潟湖(せきこ)とも呼(よ)ばれます。 海の一部が、砂洲(さす)などによって外海と遮断(しゃだん)されてできた湖沼(こしょう)です。 多くは1ヵ所から数ヵ所の口があって外海と水が出入りします。 塩分は海水に近いか汽水(きすい、海水と淡水との混合によって生じた低塩分の海水で内湾・河口部などの海水です。)です。 一ツ葉入江は、宮崎港建設の工事で一ツ葉砂丘が一部掘削され外海との水路ができました。 それで、一ツ葉砂丘は南北の2つに分(わ)かれました。 現在の宮崎港は人工的な港として、昭和56年から整備が進められました。 6年後の昭和62年に、一ツ葉入江と外海を隔てていた砂洲を切り開いて港内と外海が直接つながり、北航路ができて宮崎市に大型港が誕生しました。 それまでは大淀川の河口だけから船は出入りしていました。



写真BI: 「水上オートバイ等をされる皆さんへ、 この海岸では「ウミガメ」の産卵が確認されております。 当海岸で、産卵の痕跡(こんせき)を発見された方は、中部港湾事務所までご連絡下さい。 貴重な「ウミガメ」を守るため、海岸への車両の乗り入れを禁止します。 また、前面南側の海域は大型船舶(せんぱく)の航路となっておりますので、水上オートバイ等での航行は禁止します。 なお、釣り護岸前面の海域は釣りを楽しまれる皆さんとのトラブル防止のため、浮標識より陸側での航行は禁止します。
宮崎県中部港湾事務所長」と書かれている看板(かんばん)があります。



写真BJ: コンクリート ブロックなどもあります。 東を見たもの。



写真BK: 一ツ葉砂丘から東を見た景色です。 左寄りに内防波堤と先端の照明塔、右の方に南防波堤が見えます。 海岸に降りる道があります。



写真BL: 「水上オートバイ等をされる皆さんへ」の看板が見えます。 水たまりも見えています。 南を見たもの。



写真BM: 一ツ葉砂丘の上です。 南を見た景色です。



写真BN: 一ツ葉砂丘の上。 阿波岐原森林公園の森が見えます。 西を見たもの。



写真BO: 一ツ葉砂丘の上です。 奥に阿波岐原森林公園が見えます。 北西を見たもの。



写真BP: 砂丘の上から北を見た景色です。 太い灰色の塔、その左に民間放送 MRTの中波放送アンテナが見えます。



写真BQ: 北東を見たもの。 一ツ葉砂丘。



写真BR: 東を見た景色です。



写真BS: 海岸に降りる道を少し下(くだ)って、西を見たもの。



写真BT: 一ツ葉の砂丘です。



写真BU: 一ツ葉の砂丘を少し東に下って、南東を見た景色です。 左上に南防波堤、右に宮崎港に船が出入りする水路、宮崎港の東岸の陸地などが見えます。 手前の陸地に海岸から砂丘の上にコンクリート ブロックが並べてあります。
ここ一ツ葉入り江の北端部分と一ツ葉の砂丘、一ツ葉の海岸(砂浜)には子供の頃に、学校の3月の別れ遠足で毎年来ていました。 海の砂浜でそのころは塩田を用いた塩作りが行われていました。 入り江の北端西部にはコンクリートの家の土台が当時残っていました。 そこから南遠くの海岸付近の海で第2次世界大戦中に敷設(ふせつ)された機雷(触れたりすると爆発して敵の船を沈めるもの。)を爆発させて破棄(はき)する時の大きな煙りと爆発音が聞こえたことを思い出します(昭和30年前後の頃。)。 その少し西の松林にブランコの遊具がありました。 当時は、おもちゃのような小舟に釣り針を付けた長い釣り糸をとりつけ風下に流して、ボラ釣りが行われていました。 私の海、波、砂浜の原風景はこの一ツ葉です。



写真BV: このあたりは砂丘の東斜面になっています。 宮崎港が出来る前の、昔のままの地形が残っています。 右遠くに宮崎港の南防波堤、左に内防波堤が見えます。 東を見た景色です。



写真BW: 一ツ葉の砂丘です。



写真BX: 北を見たもの。 一ツ葉砂丘。



写真BY: 北西を見たものです。 一ツ葉の砂丘。



写真BZ: 西を見たもの。 奥に阿波岐原森林公園が見えます。



写真CA: 東を見た景色です。 中央に内防波堤の先端にある照明塔が見えます。 手前に砂浜が見えます。



写真CB: 南東を見た景色です。 南防波堤の手前の海面に浮き標識、標識、右にテトラポットの列などが見えます。 手前は砂浜です。



写真CC: 南を見た景色です。 手前の斜面にコンクリート ブロックが並べてあります。 その奥にテトラポットの列、さらにその奥は宮崎港の東岸の砂丘です。 中央左寄りに高い「JA 宮崎経済連 肥料供給センター」の建物が見えます。 南遠くの山並(やまな)みも見えています。



写真CD: 「ハマゴウの花」が咲いていました。
ハマゴウはクマツヅラ科の落葉低木です。 暖地の海辺砂地に群生します。 幹(みき)は砂上を横走し、葉は楕円形(だえんけい)で夏に深い紫色の唇形花を短い穂状に付け、球形果を結びます。 果実は生薬の「まんけいし」で、強壮、清涼剤です。 ハマホウ、ハマボウとも呼ばれます。



写真CE: 一ツ葉の砂丘です。 南を見た景色です。 右に少し一ツ葉入江が見えます。



写真CF: 砂丘から見た一ツ葉入り江と対岸の阿波岐原森林公園です。 小舟が見えます。 左遠くに双石山(ぼろいしやま、標高 509.3 m)が見えます。 南西を見たもの。



写真CG: 一ツ葉砂丘の上から西を見たもの。 一ツ葉入江と阿波岐原森林公園。 小舟が見えます。
一ツ葉入江には野鳥が多く飛来します。 カルガモ、マガモ、シギ類(チュウシャクシギ、ハマシギ、キアシシギ、ソリハシシギ、アオアシシギ)、シロチドリ、コアジサシ、ズグロカモメ、カラシラサギなどが見られます。



写真CH: 北西を見たものです。 一ツ葉入江、阿波岐原森林公園が見えます。 手前は一ツ葉砂丘。



写真CI: 一ツ葉砂丘の上から南を見た景色です。 砂丘にコンクリート ブロックが並べてあります。 看板(かんばん)もあります。



写真CJ: 一ツ葉砂丘の上。 コンクリート ブロックが並べてあります。 右は一ツ葉入江です。 南西を見た景色です。



写真CK: 西を見たもの。 一ツ葉入江と阿波岐原森林公園が見えます。



写真CL: 北西を見たものです。 阿波岐原森林公園と一ツ葉入江。 一ツ葉砂丘の上から。



写真CM: 北を見た景色です。 太い灰色の塔、その左に高層ホテルのオーシャン45、自炊型 宿泊施設のラグゼ一ツ葉、民間放送 MRTの中波放送アンテナが見えます。 一ツ葉砂丘の上から。



写真CN: 北東を見たもの。 中央左寄りに小さくサンマリーナ宮崎 (ヨットハーバー)の建物、ヨットハーバーの東の丘が見えます。 手前に砂浜も見えます。 一ツ葉砂丘。



写真CO: 一ツ葉砂丘から東を見た景色です。 このあたりは砂浜です。
ここ一ツ葉入り江の北端部分と一ツ葉の砂丘、一ツ葉の海岸(砂浜)には子供の頃に、学校の3月の別れ遠足で毎年来ていました。 海の砂浜でそのころは塩田を用いた塩作りが行われていました。 入り江の北端西部にはコンクリートの家の土台が当時残っていました。 そこから南遠くの海岸付近の海で第2次世界大戦中に敷設(ふせつ)された機雷(触れたりすると爆発して敵の船を沈めるもの。)を爆発させて破棄(はき)する時の大きな煙りと爆発音が聞こえたことを思い出します(昭和30年前後の頃。)。 その少し西の松林にブランコの遊具がありました。 当時は、おもちゃのような小舟に釣り針を付けた長い釣り糸をとりつけ風下に流して、ボラ釣りが行われていました。 私の海、波、砂浜の原風景はこの一ツ葉です。



写真CP: 一ツ葉砂丘から東南東を見た景色です。 手前の陸地にコンクリート ブロックが並べてあります。 2つの防波堤の内側なので大きな波はありません。



写真CQ: 南東を見たもの。 手前にコンクリート ブロックが並べてあります。



写真CR: 南を見た景色です。



写真CS: 「不法投棄禁止、各自ゴミは持ち帰り、港を気持ちよく利用しましょう! 不法投棄をした者は、法に基づき、罰せられます。 5年以下の懲役もしくは1000万円以下の罰金。 宮崎県中部港湾事務所長 宮崎県北警察署長」と書いてある看板(かんばん)があります。



写真CT: 東を見た景色です。 コンクリート ブロックが砂丘に海岸から並べてあります。



写真CU: 南を見た景色です。 右に宮崎港のフェリーが見えます。 一ツ葉砂丘。



写真CV: 「一ツ葉入江の北端」が見えています。 民間放送 MRTの中波放送アンテナも見えます。 一ツ葉砂丘の上から北西を見たものです。
ここ一ツ葉入り江の北端部分と一ツ葉の砂丘、一ツ葉の海岸(砂浜)には子供の頃に、学校の3月の別れ遠足で毎年来ていました。 海の砂浜でそのころは塩田を用いた塩作りが行われていました。 入り江の北端西部にはコンクリートの家の土台が当時残っていました。 そこから南遠くの海岸付近の海で第2次世界大戦中に敷設(ふせつ)された機雷(触れたりすると爆発して敵の船を沈めるもの。)を爆発させて破棄(はき)する時の大きな煙りと爆発音が聞こえたことを思い出します(昭和30年前後の頃。)。 その少し西の松林にブランコの遊具がありました。 当時は、おもちゃのような小舟に釣り針を付けた長い釣り糸をとりつけ風下に流して、ボラ釣りが行われていました。 私の海、波、砂浜の原風景はこの一ツ葉です。



写真CW: 一ツ葉入り江と阿波岐原森林公園。 一ツ葉入江の手前の岸も見えます。  水面に浮きも見えています。 南西を見たもの。
「一ツ葉入江 (一ツ葉入り江)」は大淀川の河口から北に細長い形をしています。 南北の長さは3.2 km です。 入江はラグーン、潟湖(せきこ)とも呼(よ)ばれます。 海の一部が、砂洲(さす)などによって外海と遮断(しゃだん)されてできた湖沼(こしょう)です。 多くは1ヵ所から数ヵ所の口があって外海と水が出入りします。 塩分は海水に近いか汽水(きすい、海水と淡水との混合によって生じた低塩分の海水で内湾・河口部などの海水です。)です。 一ツ葉入江は、宮崎港建設の工事で一ツ葉砂丘が一部掘削され外海との水路ができました。 それで、一ツ葉砂丘は南北の2つに分(わ)かれました。 現在の宮崎港は人工的な港として、昭和56年から整備が進められました。 6年後の昭和62年に、一ツ葉入江と外海を隔てていた砂洲を切り開いて港内と外海が直接つながり、北航路ができて宮崎市に大型港が誕生しました。 それまでは大淀川の河口だけから船は出入りしていました。



写真CX: 砂丘側(東)の岸も見えます。 一ツ葉入江。 西を見たもの。
一ツ葉入江には野鳥が多く飛来します。 カルガモ、マガモ、シギ類(チュウシャクシギ、ハマシギ、キアシシギ、ソリハシシギ、アオアシシギ)、シロチドリ、コアジサシ、ズグロカモメ、カラシラサギなどが見られます。



写真CY: 南西を見たもの。 左に宮崎港のフェリー、貨物船が見えています。 その手前に東西に伸びた砂洲(さす)が見えます。



写真CZ: 北を見た景色です。 一ツ葉入江の北端。 小舟が浮いています。 高層ホテルのオーシャン45、その左に民間放送 MRTの中波放送アンテナ、自炊型の宿泊施設 ラグゼ一ツ葉も見えます。
ここ一ツ葉入り江の北端部分と一ツ葉の砂丘、一ツ葉の海岸(砂浜)には子供の頃に、学校の3月の別れ遠足で毎年来ていました。 海の砂浜でそのころは塩田を用いた塩作りが行われていました。 入り江の北端西部にはコンクリートの家の土台が当時残っていました。 そこから南遠くの海岸付近の海で第2次世界大戦中に敷設(ふせつ)された機雷(触れたりすると爆発して敵の船を沈めるもの。)を爆発させて破棄(はき)する時の大きな煙りと爆発音が聞こえたことを思い出します(昭和30年前後の頃。)。 その少し西の松林にブランコの遊具がありました。 当時は、おもちゃのような小舟に釣り針を付けた長い釣り糸をとりつけ風下に流して、ボラ釣りが行われていました。 私の海、波、砂浜の原風景はこの一ツ葉です。



写真DA: 宮崎市にある一ツ葉入り江の北端。 浮き、小舟が見えます。 奥は松林になっています。 北を見た景色です。
ここ一ツ葉入り江の北端部分と一ツ葉の砂丘、一ツ葉の海岸(砂浜)には子供の頃に、学校の3月の別れ遠足で毎年来ていました。 海の砂浜でそのころは塩田を用いた塩作りが行われていました。 入り江の北端西部にはコンクリートの家の土台が当時残っていました。 そこから南遠くの海岸付近の海で第2次世界大戦中に敷設(ふせつ)された機雷(触れたりすると爆発して敵の船を沈めるもの。)を爆発させて破棄(はき)する時の大きな煙りと爆発音が聞こえたことを思い出します(昭和30年前後の頃。)。 その少し西の松林にブランコの遊具がありました。 当時は、おもちゃのような小舟に釣り針を付けた長い釣り糸をとりつけ風下に流して、ボラ釣りが行われていました。 私の海、波、砂浜の原風景はこの一ツ葉です。



写真DB: 北西を見たものです。 一ツ葉入江と阿波岐原森林公園 (あわきがはらしんりんこうえん)です。 浮きが見えています。
ここ一ツ葉入り江の北端部分と一ツ葉の砂丘、一ツ葉の海岸(砂浜)には子供の頃に、学校の3月の別れ遠足で毎年来ていました。 海の砂浜でそのころは塩田を用いた塩作りが行われていました。 入り江の北端西部にはコンクリートの家の土台が当時残っていました。 そこから南遠くの海岸付近の海で第2次世界大戦中に敷設(ふせつ)された機雷(触れたりすると爆発して敵の船を沈めるもの。)を爆発させて破棄(はき)する時の大きな煙りと爆発音が聞こえたことを思い出します(昭和30年前後の頃。)。 その少し西の松林にブランコの遊具がありました。 当時は、おもちゃのような小舟に釣り針を付けた長い釣り糸をとりつけ風下に流して、ボラ釣りが行われていました。 私の海、波、砂浜の原風景はこの一ツ葉です。



写真DC: 阿波岐原森林公園に電柱が見えます。
一ツ葉入江には野鳥が多く飛来します。 カルガモ、マガモ、シギ類(チュウシャクシギ、ハマシギ、キアシシギ、ソリハシシギ、アオアシシギ)、シロチドリ、コアジサシ、ズグロカモメ、カラシラサギなどが見られます。



写真DD: 阿波岐原森林公園に2本の電柱、一ツ葉入江に浮きと物が浮かべてあります。 西を見たもの。



写真DE: 阿波岐原森林公園の電柱、岸にあげてある小舟が2隻(せき)見えます。 西を見たもの。 一ツ葉入江と阿波岐原森林公園。



写真DF: 阿波岐原森林公園の電柱が4本見えます。 一ツ葉砂丘から西を見たもの。



写真DG: 阿波岐原森林公園に電柱が6本見えます。 手前は一ツ葉砂丘です。



写真DH: 一ツ葉砂丘から南西を見た景色です。 東西に伸びた砂洲(さす)、下が赤い宮崎港のフェリー、青い貨物船が見えています。 フェリーの右奥に双石山(ぼろいしやま、標高 509.3 m)などが見えます。
「一ツ葉入江 (一ツ葉入り江)」は大淀川の河口から北に細長い形をしています。 南北の長さは3.2 km です。 入江はラグーン、潟湖(せきこ)とも呼(よ)ばれます。 海の一部が、砂洲(さす)などによって外海と遮断(しゃだん)されてできた湖沼(こしょう)です。 多くは1ヵ所から数ヵ所の口があって外海と水が出入りします。 塩分は海水に近いか汽水(きすい、海水と淡水との混合によって生じた低塩分の海水で内湾・河口部などの海水です。)です。 一ツ葉入江は、宮崎港建設の工事で一ツ葉砂丘が一部掘削され外海との水路ができました。 それで、一ツ葉砂丘は南北の2つに分(わ)かれました。 現在の宮崎港は人工的な港として、昭和56年から整備が進められました。 6年後の昭和62年に、一ツ葉入江と外海を隔てていた砂洲を切り開いて港内と外海が直接つながり、北航路ができて宮崎市に大型港が誕生しました。 それまでは大淀川の河口だけから船は出入りしていました。



写真DI: 南を見た景色です。 遠くに右から双石山(ぼろいしやま、標高 509.3 m)、花切山(はなきりやま、標高 669.2 m)などが見えます。 左に四角の宮崎港水門、貨物船、フェリー (大阪-宮崎 間)、東西に伸びた砂洲(さす)が見えます。 右は一ツ葉入江です。



写真DJ: 一ツ葉入江の東岸です。 砂地になっています。 一ツ葉砂丘から見下(お)ろしたもの。



写真DK: 中央遠くに阿波岐原森林公園の上にイオンモールの建物が白っぽく見えています。 西を見たもの。 手前は一ツ葉砂丘の上です。 砂地になっています。



写真DL: 対岸の阿波岐原森林公園の上に左から宮崎市中央卸売市場の塔、右寄りにイオンモールの建物が見えます。 一ツ葉砂丘から西を見たもの。



写真DM: 一ツ葉砂丘の上です。 南を見た景色です。 砂丘の上はこのようになっています。



写真DN: 宮崎市にある一ツ葉砂丘の上です。 コンクリート ブロック、木製の古い柵(さく)が見えます。 右端は宮崎港のフェリーです。 南を見たもの。



写真DO: 東の一ツ葉砂丘の上から東西に伸びた砂洲(さす)を見たものです。 南西を見た景色です。
一ツ葉入江には野鳥が多く飛来します。 カルガモ、マガモ、シギ類(チュウシャクシギ、ハマシギ、キアシシギ、ソリハシシギ、アオアシシギ)、シロチドリ、コアジサシ、ズグロカモメ、カラシラサギなどが見られます。



写真DP: 一ツ葉砂丘の上はこのようになっています。 南を見たもの。 先端にテトラポットが見えます。
砂丘を掘削(くっさく)して出来た水路が見えます。 その水路を通って船が宮崎港に出入りします。 左が外海で右が宮崎港です。 奥に一ツ葉砂丘の南部分が見えます。 掘削された水路で一ツ葉砂丘は南北に分(わ)かれました。
「一ツ葉入江 (一ツ葉入り江)」は大淀川の河口から北に細長い形をしています。 南北の長さは3.2 km です。 入江はラグーン、潟湖(せきこ)とも呼(よ)ばれます。 海の一部が、砂洲(さす)などによって外海と遮断(しゃだん)されてできた湖沼(こしょう)です。 多くは1ヵ所から数ヵ所の口があって外海と水が出入りします。 塩分は海水に近いか汽水(きすい、海水と淡水との混合によって生じた低塩分の海水で内湾・河口部などの海水です。)です。 一ツ葉入江は、宮崎港建設の工事で一ツ葉砂丘が一部掘削され外海との水路ができました。 それで、一ツ葉砂丘は南北の2つに分(わ)かれました。 現在の宮崎港は人工的な港として、昭和56年から整備が進められました。 6年後の昭和62年に、一ツ葉入江と外海を隔てていた砂洲を切り開いて港内と外海が直接つながり、北航路ができて宮崎市に大型港が誕生しました。 それまでは大淀川の河口だけから船は出入りしていました。



写真DQ: 北西を見たものです。 一ツ葉入江が南北に延びています。 民間放送 MRTの中波放送アンテナ、高層ホテルのオーシャン45、ラグゼ一ツ葉なども見えます。 右は一ツ葉砂丘の上です。



写真DR: 白っぽくイオンモールの建物が見えます。 阿波岐原森林公園が広がっています。 そこに電柱が約8本見えています。 昭和30年頃に一ツ葉入江の近くに「マルキン旅館」がありました。 その時の電柱かもしれません。 手前は一ツ葉入江。 北西を見たものです。



写真DS: 砂洲(さす)が見えます。 西を見たもの。
一ツ葉入江には野鳥が多く飛来します。 カルガモ、マガモ、シギ類(チュウシャクシギ、ハマシギ、キアシシギ、ソリハシシギ、アオアシシギ)、シロチドリ、コアジサシ、ズグロカモメ、カラシラサギなどが見られます。



写真DT: 南西を見たもの。 宮崎港のフェリー、貨物船が見えます。
この砂洲(さす)は一ツ葉入江 (ひとつばいりえ)に突(つ)き出た半島のようなものです。 これは宮崎港の工事が行われる前はありませんでした。 宮崎港の建設で水の流れが変わり、このような砂洲(さす)が出来ました。 (このような砂洲の代表的なものは京都府 宮津市 宮津湾の砂洲(さす)で、日本三景の1つになっていて延長3 km の白砂の松林です(天橋立(あまのはしだて))。



写真DU: 南を見たもの。



写真DV: 一ツ葉砂丘に木製の古い柵(さく)が残っています。 南東を見た景色です。 南防波堤と左端に内防波堤が見えます。



写真DW: 一ツ葉砂丘から東を見た景色です。 左遠くにヨットハーバーのサンマリーナ宮崎にある丘、内防波堤、右遠くに南防波堤も見えます。



写真DX: 一ツ葉砂丘の上から北東を見た景色です。 ヨットハーバーのサンマリーナ宮崎の建物が小さく見えます。



写真DY: 北を見たもの。 左は一ツ葉入江。 一ツ葉砂丘の上の様子(ようす)がよく分かります。



写真DZ: 一ツ葉砂丘の上から南西を見たもの。
一ツ葉入江には野鳥が多く飛来します。 カルガモ、マガモ、シギ類(チュウシャクシギ、ハマシギ、キアシシギ、ソリハシシギ、アオアシシギ)、シロチドリ、コアジサシ、ズグロカモメ、カラシラサギなどが見られます。
この砂洲(さす)は一ツ葉入江 (ひとつばいりえ)に突(つ)き出た半島のようなものです。 これは宮崎港の工事が行われる前はありませんでした。 宮崎港の建設で水の流れが変わり、このような砂洲(さす)が出来ました。 (このような砂洲の代表的なものは京都府 宮津市 宮津湾の砂洲(さす)で、日本三景の1つになっていて延長3 km の白砂の松林です(天橋立(あまのはしだて))。



写真EA: 一ツ葉砂丘の宮崎港の水路のそばにテトラポットが積(つ)んであります。 宮崎港と遠くに四角の宮崎港水門も見えます。 一ツ葉砂丘から南を見たもの。



写真EB: 一ツ葉砂丘から南西を見たもの。 下が赤いフェリー、青い貨物船が見えます。 宮崎港の建物も見えます。 右手前は東西に伸びた砂洲(さす)です。
「宮崎港」は宮崎市 港、港東、新別府町、阿波岐原町にまたがる港です。 大淀川の河口の北岸(左岸(下流を見て左。))の一ツ葉入江に位置する河口港です。 昭和44年(1969年)に開港し、宮崎県が港湾管理者です。 昭和12年(1937年)に赤江港から宮崎港に呼(よ)び名が変わりました。 それまでは赤江港と呼ばれていて重要な港でした。 鎌倉時代から赤江港は使われていました。 文明年間(1469年から1487年、戦国時代)は大陸交易の寄港地となりました。 文化年間(1804年から1818年、江戸時代後期)頃から、上方交易(大阪、神戸など。)が活発になりました。 当時は赤江港は大淀川の南岸(右岸(下流を見て右。))に位置して飫肥藩(おびはん)領の東北端の場所でした。 明治時代は大淀川を用いた内陸部(宮崎市 高岡町、国富町 本庄)と結ばれていました。 しかし、大正12年(1923年)に国鉄 日豊本線が開通し、また河口港によく見られる砂堆積(たいせき)によって航路の維持が困難になり、赤江港は衰退しました。 昭和33年(1958年)から改修工事が始まり、昭和44年(1969年)に一ツ葉入江に宮崎港が出来ました。 宮崎港には漁港、フェリーターミナル、国際コンテナターミナルなどがあります。
 宮崎港は港湾区域告示 昭和38年6月、港湾区域面積 1983 ha、南防波堤 2600 m、内防波堤 450 m、岸壁水深 9 m(50000トン級) 延長 300 m、航路・泊地水深 9 m。
 宮崎港ではチヌ、サヨリ、スズキ、コノシロ、アジコ、サビキなどが釣(つ)れます。



写真EC: 東西に伸びた砂洲(さす)に人が見えます。 この砂洲は宮崎港の外洋への水路が出来た後に自然に伸びてきました。 昔はこの砂洲はありませんでした。 奥の森は阿波岐原森林公園です。 左に宮崎港の岸壁(がんぺき)、その右端に新別府川(しんびゅうがわ)の河口があります。 一ツ葉砂丘の上から西南西を見た景色です。
一ツ葉入江には野鳥が多く飛来します。 カルガモ、マガモ、シギ類(チュウシャクシギ、ハマシギ、キアシシギ、ソリハシシギ、アオアシシギ)、シロチドリ、コアジサシ、ズグロカモメ、カラシラサギなどが見られます。
この砂洲(さす)は一ツ葉入江 (ひとつばいりえ)に突(つ)き出た半島のようなものです。 これは宮崎港の工事が行われる前はありませんでした。 宮崎港の建設で水の流れが変わり、このような砂洲(さす)が出来ました。 (このような砂洲の代表的なものは京都府 宮津市 宮津湾の砂洲(さす)で、日本三景の1つになっていて延長3 km の白砂の松林です(天橋立(あまのはしだて))。



写真ED: 砂洲があります。 左に魚釣りの人が見えます。 奥は阿波岐原森林公園。 手前は一ツ葉入江。 一ツ葉砂丘から西を見たもの。
一ツ葉入江には野鳥が多く飛来します。 カルガモ、マガモ、シギ類(チュウシャクシギ、ハマシギ、キアシシギ、ソリハシシギ、アオアシシギ)、シロチドリ、コアジサシ、ズグロカモメ、カラシラサギなどが見られます。



写真EE: 砂洲にボートがあげてあります。 西を見たもの。
一ツ葉入江には野鳥が多く飛来します。 カルガモ、マガモ、シギ類(チュウシャクシギ、ハマシギ、キアシシギ、ソリハシシギ、アオアシシギ)、シロチドリ、コアジサシ、ズグロカモメ、カラシラサギなどが見られます。



写真EF: 一ツ葉砂丘の上からイオンモールの建物、左に宮崎市中央卸売市場の塔が見えます。 西を見たもの。



写真EG: 西南西を見た景色です。
一ツ葉入江には野鳥が多く飛来します。 カルガモ、マガモ、シギ類(チュウシャクシギ、ハマシギ、キアシシギ、ソリハシシギ、アオアシシギ)、シロチドリ、コアジサシ、ズグロカモメ、カラシラサギなどが見られます。



写真EH: 一ツ葉砂丘の宮崎港水路のそばの様子(ようす)が分かります。 南を見たもの。
「一ツ葉入江 (一ツ葉入り江)」は大淀川の河口から北に細長い形をしています。 南北の長さは3.2 km です。 入江はラグーン、潟湖(せきこ)とも呼(よ)ばれます。 海の一部が、砂洲(さす)などによって外海と遮断(しゃだん)されてできた湖沼(こしょう)です。 多くは1ヵ所から数ヵ所の口があって外海と水が出入りします。 塩分は海水に近いか汽水(きすい、海水と淡水との混合によって生じた低塩分の海水で内湾・河口部などの海水です。)です。 一ツ葉入江は、宮崎港建設の工事で一ツ葉砂丘が一部掘削され外海との水路ができました。 それで、一ツ葉砂丘は南北の2つに分(わ)かれました。 現在の宮崎港は人工的な港として、昭和56年から整備が進められました。 6年後の昭和62年に、一ツ葉入江と外海を隔てていた砂洲を切り開いて港内と外海が直接つながり、北航路ができて宮崎市に大型港が誕生しました。 それまでは大淀川の河口だけから船は出入りしていました。



写真EI: 南東を見た景色です。 手前にテトラポットが並べてあります。 左奥は南防波堤です。 遠く右寄りは一ツ葉砂丘の続きです。 宮崎港が完成する前は手前の一ツ葉砂丘とつながっていました。 一ツ葉砂丘は大淀川の河口まで連続していました。 一ツ葉入江も大淀川の河口まで南北につながっていました。



写真EJ: 一ツ葉砂丘の上から東を見た景色です。 左寄りに内防波堤、右に南防波堤、右手前にテトラポットの列(れつ)があります。



写真EK: 北東を見たものです。 左遠くにヨットハーバーのサンマリーナ宮崎にある2つの丘と建物が見えます。 手前は一ツ葉砂丘の砂地です。



写真EL: 北を見たもの。 一ツ葉砂丘の上の木製の古い柵(さく)も見えます。 左は一ツ葉入江。



写真EM: 北西を見たものです。 阿波岐原森林公園と一ツ葉入江。



写真EN: 西北西を見た景色です。 右寄りにイオンモールの建物も見えます。
一ツ葉入江には野鳥が多く飛来します。 カルガモ、マガモ、シギ類(チュウシャクシギ、ハマシギ、キアシシギ、ソリハシシギ、アオアシシギ)、シロチドリ、コアジサシ、ズグロカモメ、カラシラサギなどが見られます。



写真EO: 一ツ葉砂丘の上から西を見たもの。 東西に伸びた砂洲(さす)が見えます。
一ツ葉入江には野鳥が多く飛来します。 カルガモ、マガモ、シギ類(チュウシャクシギ、ハマシギ、キアシシギ、ソリハシシギ、アオアシシギ)、シロチドリ、コアジサシ、ズグロカモメ、カラシラサギなどが見られます。



写真EP: 南西を見たもの。 宮崎港の船も見えます。



写真EQ: 東西に伸びた砂洲(さす)の様子(ようす)がよく分かります。 一ツ葉砂丘の上から西を見たもの。
一ツ葉入江には野鳥が多く飛来します。 カルガモ、マガモ、シギ類(チュウシャクシギ、ハマシギ、キアシシギ、ソリハシシギ、アオアシシギ)、シロチドリ、コアジサシ、ズグロカモメ、カラシラサギなどが見られます。



写真ER: 一ツ葉砂丘の上から南西を見たもの。 左に宮崎港の岸壁(がんぺき)、その右に新別府川 (しんびゅうがわ)の河口が見えます。 右は東西に伸びた砂洲。



写真ES: 一ツ葉砂丘の上から見た宮崎港。 南西を見たもの。
「宮崎港」は宮崎市 港、港東、新別府町、阿波岐原町にまたがる港です。 大淀川の河口の北岸(左岸(下流を見て左。))の一ツ葉入江に位置する河口港です。 昭和44年(1969年)に開港し、宮崎県が港湾管理者です。 昭和12年(1937年)に赤江港から宮崎港に呼(よ)び名が変わりました。 それまでは赤江港と呼ばれていて重要な港でした。 鎌倉時代から赤江港は使われていました。 文明年間(1469年から1487年、戦国時代)は大陸交易の寄港地となりました。 文化年間(1804年から1818年、江戸時代後期)頃から、上方交易(大阪、神戸など。)が活発になりました。 当時は赤江港は大淀川の南岸(右岸(下流を見て右。))に位置して飫肥藩(おびはん)領の東北端の場所でした。 明治時代は大淀川を用いた内陸部(宮崎市 高岡町、国富町 本庄)と結ばれていました。 しかし、大正12年(1923年)に国鉄 日豊本線が開通し、また河口港によく見られる砂堆積(たいせき)によって航路の維持が困難になり、赤江港は衰退しました。 昭和33年(1958年)から改修工事が始まり、昭和44年(1969年)に一ツ葉入江に宮崎港が出来ました。 宮崎港には漁港、フェリーターミナル、国際コンテナターミナルなどがあります。
 宮崎港は港湾区域告示 昭和38年6月、港湾区域面積 1983 ha、南防波堤 2600 m、内防波堤 450 m、岸壁水深 9 m(50000トン級) 延長 300 m、航路・泊地水深 9 m。
 宮崎港ではチヌ、サヨリ、スズキ、コノシロ、アジコ、サビキなどが釣(つ)れます。



写真ET: 一ツ葉砂丘から南を見たもの。 四角の宮崎港水門、宮崎港の施設、建物、船なども見えます。 手前にテトラポットが積んであります。
「宮崎港」は宮崎市 港、港東、新別府町、阿波岐原町にまたがる港です。 大淀川の河口の北岸(左岸(下流を見て左。))の一ツ葉入江に位置する河口港です。 昭和44年(1969年)に開港し、宮崎県が港湾管理者です。 昭和12年(1937年)に赤江港から宮崎港に呼(よ)び名が変わりました。 それまでは赤江港と呼ばれていて重要な港でした。 鎌倉時代から赤江港は使われていました。 文明年間(1469年から1487年、戦国時代)は大陸交易の寄港地となりました。 文化年間(1804年から1818年、江戸時代後期)頃から、上方交易(大阪、神戸など。)が活発になりました。 当時は赤江港は大淀川の南岸(右岸(下流を見て右。))に位置して飫肥藩(おびはん)領の東北端の場所でした。 明治時代は大淀川を用いた内陸部(宮崎市 高岡町、国富町 本庄)と結ばれていました。 しかし、大正12年(1923年)に国鉄 日豊本線が開通し、また河口港によく見られる砂堆積(たいせき)によって航路の維持が困難になり、赤江港は衰退しました。 昭和33年(1958年)から改修工事が始まり、昭和44年(1969年)に一ツ葉入江に宮崎港が出来ました。 宮崎港には漁港、フェリーターミナル、国際コンテナターミナルなどがあります。
 宮崎港は港湾区域告示 昭和38年6月、港湾区域面積 1983 ha、南防波堤 2600 m、内防波堤 450 m、岸壁水深 9 m(50000トン級) 延長 300 m、航路・泊地水深 9 m。
 宮崎港ではチヌ、サヨリ、スズキ、コノシロ、アジコ、サビキなどが釣(つ)れます。



写真EU: 南を見たもの。 一ツ葉砂丘の宮崎港水路付近です。
「一ツ葉入江 (一ツ葉入り江)」は大淀川の河口から北に細長い形をしています。 南北の長さは3.2 km です。 入江はラグーン、潟湖(せきこ)とも呼(よ)ばれます。 海の一部が、砂洲(さす)などによって外海と遮断(しゃだん)されてできた湖沼(こしょう)です。 多くは1ヵ所から数ヵ所の口があって外海と水が出入りします。 塩分は海水に近いか汽水(きすい、海水と淡水との混合によって生じた低塩分の海水で内湾・河口部などの海水です。)です。 一ツ葉入江は、宮崎港建設の工事で一ツ葉砂丘が一部掘削され外海との水路ができました。 それで、一ツ葉砂丘は南北の2つに分(わ)かれました。 現在の宮崎港は人工的な港として、昭和56年から整備が進められました。 6年後の昭和62年に、一ツ葉入江と外海を隔てていた砂洲を切り開いて港内と外海が直接つながり、北航路ができて宮崎市に大型港が誕生しました。 それまでは大淀川の河口だけから船は出入りしていました。



写真EV: 南を見たもの。 この宮崎港の水路が出来るまでは奥の砂丘と手前の砂丘はつながっていました。 両方とも一ツ葉砂丘と呼(よ)ばれていました。
「一ツ葉入江 (一ツ葉入り江)」は大淀川の河口から北に細長い形をしています。 南北の長さは3.2 km です。 入江はラグーン、潟湖(せきこ)とも呼(よ)ばれます。 海の一部が、砂洲(さす)などによって外海と遮断(しゃだん)されてできた湖沼(こしょう)です。 多くは1ヵ所から数ヵ所の口があって外海と水が出入りします。 塩分は海水に近いか汽水(きすい、海水と淡水との混合によって生じた低塩分の海水で内湾・河口部などの海水です。)です。 一ツ葉入江は、宮崎港建設の工事で一ツ葉砂丘が一部掘削され外海との水路ができました。 それで、一ツ葉砂丘は南北の2つに分(わ)かれました。 現在の宮崎港は人工的な港として、昭和56年から整備が進められました。 6年後の昭和62年に、一ツ葉入江と外海を隔てていた砂洲を切り開いて港内と外海が直接つながり、北航路ができて宮崎市に大型港が誕生しました。 それまでは大淀川の河口だけから船は出入りしていました。



写真EW: 南東を見た景色です。 手前にテトラポットの列(れつ)、奥に南防波堤が見えます。 一ツ葉砂丘の上から。



写真EX: 東南東を見たもの。 手前の一ツ葉砂丘が砂地であることがよく分かります。



写真EY: 東を見た景色です。 南防波堤が見えます。 手前は一ツ葉砂丘。



写真EZ: 東を見た景色です。 右は南防波堤、内防波堤の先端にある照明塔が見えます。



写真FA: 内防波堤が見えます。 手前の海面に何か施設があります。 一ツ葉砂丘の上から東を見たもの。



写真FB: 一ツ葉砂丘から北東を見た景色です。 左端にヨットハーバーのサンマリーナ宮崎にある建物、その右に丘、釣り公園 (釣り護岸)も見えます。



写真FC: 北東を見たもの。 サンマリーナ宮崎の2つの丘、建物も見えます。 一ツ葉砂丘から。



写真FD: 北を見たもの。 コンクリート ブロック、左端に高層ホテルのオーシャン45と民間放送 MRTの中波放送アンテナも見えます。



写真FE: 北を見たもの。 一ツ葉砂丘の木製の古い柵(さく)、コンクリート ブロックが見えます。 自炊型の宿泊施設であるラグゼ一ツ葉、高層ホテルのオーシャン45、MRT 中波放送アンテナも見えます。



写真FF: 北西を見たものです。対岸に小舟があげてあります。 手前にコンクリート ブロックがあります。 一ツ葉入江と阿波岐原森林公園。



写真FG: 一ツ葉砂丘の上から北西を見たものです。 遠くの山は左から矢筈岳(やはずだけ、704 m)、釈迦ヶ岳(しゃかがだけ、830.8 m)、盤木山(711.2 m)、掃部岳(かもんだけ、1223 m)、国見山(くにみやま、1036.3 m)です。



写真FH: イオンモールの建物も見えます。 北西を見たもの。



写真FI: 左に宮崎市中央卸売市場の塔、右にイオンモールの建物も見えます。 北西を見たものです。
一ツ葉入江には野鳥が多く飛来します。 カルガモ、マガモ、シギ類(チュウシャクシギ、ハマシギ、キアシシギ、ソリハシシギ、アオアシシギ)、シロチドリ、コアジサシ、ズグロカモメ、カラシラサギなどが見られます。



写真FJ: 砂洲の上に船が上げてあります。
一ツ葉入江には野鳥が多く飛来します。 カルガモ、マガモ、シギ類(チュウシャクシギ、ハマシギ、キアシシギ、ソリハシシギ、アオアシシギ)、シロチドリ、コアジサシ、ズグロカモメ、カラシラサギなどが見られます。



写真FK: 東の一ツ葉砂丘の上から見た砂洲(さす)です。 釣り人も見えます。 西を見た景色です。 右の水面と左の水面の間は水が流れています。 潮の満(み)ち干(ひ)きで水流の向きが変わります。



写真FL: 南を見た景色です。 一ツ葉砂丘が砂地であることがよく分かります。



写真FM: 一ツ葉砂丘の上に海の生物である「ヒトデ」が落ちていました。



写真FN: 来た道を戻(もど)って来ました。 太い灰色の塔、スピーカーの付いたポール、電柱、建物、左にMRTの中波放送アンテナがあります。 北を見たもの。



写真FO: 奥(東)に行くとヨットハーバーのサンマリーナ宮崎に行きます。 太い灰色の塔、スピーカーの付いたポール、電柱、建物が見えます。 東を見たもの。



写真FP: 一ツ葉入江の北端付近の道です。 西を見たもの。



写真FQ: ゲートのところに戻(もど)って来ました。 先ほどは左からこちらに来て一ツ葉砂丘に行きました。 今度は右奥に進みます。 南西を見たもの。



写真FR: これから奥に進みます。 西を見たもの。 ここは黒松林で、阿波岐原森林公園の中です。



写真FS: 奥(西)に進みます。 阿波岐原森林公園。



写真FT: 奥に青色のトラックが見えます。 左右に一ツ葉有料道路が通っています。 西を見たもの。



写真FU: この道は一ツ葉有料道路にぶつかります。 西を見たもの。 高いワシントン椰子(やし)が植えてあります。



写真FV: 来た道を振(ふ)り返ったもの。 車止めがあります。 阿波岐原森林公園。



写真FW: 車止めです。



写真FX: 一ツ葉有料道路です。 北を見たもの。 道の中央に高いワシントン椰子(やし)が植えてあります。



写真FY: 一ツ葉有料道路。 南を見た景色です。 ワシントン椰子(やし)があります。 これから奥に進みます。



写真FZ: 西を見たもの。 このあたりは一ツ葉稲荷神社 (ひとつばいなりじんじゃ)の近くです。



写真GA: この歩道を南に進みます。


写真GB: 「ハマユウの実」がありました。



写真GC: 「ハマユウの花」が咲いていました。



写真GD: 「一ツ葉海岸線を白砂青松に再生しよう!! ライフサイクルの森造成事業 宮崎地区大分県人会 創立10周年記念植樹 (育林) 平成11年2月26日 場所: 宮崎市新別府町 大字前浜・前浜国有林94ろ林小班、植栽面積: 1533 平方メートル、樹種: クロマツ、本数:341本。 土地提供管理者 宮崎森林管理署、参加団体 宮崎地区大分県人会」と書いてある看板(かんばん)があります。



写真GE: まだ細いクロマツが多く見えます。 右にハマユウがあります。



写真GF: クロマツ林とセンダンの木もあります。 東を見たもの。



写真GG: クロマツ林の上部です。



写真GH: 「ハマユウの花」が咲いていました。



写真GI: 一ツ葉有料道路。 南を見た景色です。 道路の中央に高いワシントン椰子(やし)が見えます。



写真GJ: 「鉄板焼きステーキ 宮崎牛 ミヤチク」の看板(かんばん)とその建物が見えます。 南西を見たもの。



写真GK: 左がソバ屋、右はミヤチク(肉料理屋)です。 牛の像が見えます。 南西を見たもの。



写真GL: ミヤチク(肉料理屋)です。 細めの道を右奥に行くと一ツ葉稲荷神社 (ひとつばいなりじんじゃ)があります。 西を見たもの。



写真GM: 左に「←阿波岐原森林公園、管理事務所、駐車場、トイレ、思い出とゴミは持ち帰りましょう。 阿波岐原森林公園 管理事務所」と書いてある大きな看板(かんばん)があります。 トラックが来た道を右に行くとイオンモールがあります。 南を見た景色です。



写真GN: 「←阿波岐原森林公園、管理事務所、駐車場、トイレ、思い出とゴミは持ち帰りましょう。 阿波岐原森林公園 管理事務所」と書いてある大きな看板(かんばん)。



写真GO: 右に行くとはじめの駐車場があります。 初めは左の道を一ツ葉入江の方に歩きました。 南を見たもの。



写真GP: 駐車場に戻(もど)って来ました。 阿波岐原森林公園の管理事務所が見えます。 南を見たもの。



写真GQ: 宮崎県 宮崎市にある阿波岐原森林公園の管理事務所です。



写真GR: 「阿波岐原森林公園 総合案内所」と書いてあります。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)