仏舎利塔 (櫛の山公園)、櫛ノ山 (ぶっしゃりとう、くしのやま、本物のお釈迦様 (しゃかさま)の遺骨が入っている日向仏舎利塔、小倉ヶ浜、塩見川の河口、日向市の山並み (やまなみ)、サンドーム日向、米の山、ヒガンバナ、桜の名所 (200本のソメイヨシノ)、日向市の展望)  (宮崎県 日向市 大字日知屋 字櫛の山)







<標高、位置>  櫛ノ山 (くしのやま)は
標高 95.9 m
 北緯32度24分49秒  東経131度38分39秒

<標高、位置>  大御神社 (おおみじんじゃ)は
標高 数 m
 北緯32度24分40秒  東経131度38分58秒

<標高、位置>  日知屋城跡 (ひちやじょうあと)は
標高 約30 m
 北緯32度24分40秒  東経131度39分03秒

<標高、位置>  伊勢ケ浜 (いせがはま)は
標高 約0 m
 北緯32度24分47秒  東経131度39分05秒


 山頂に仏舎利塔 (ぶっしゃりとう)がある「櫛ノ山 (くしのやま)」は宮崎県 日向市 大字日知屋 字櫛の山 にあります。
仏舎利 (ぶっしゃり)とはお釈迦(しゃか)さまの遺骨のことです。 日向仏舎利塔がある櫛ノ山 (くしのやま)は日向市の中心部を流れる塩見川の左岸 (下流を見て左です。)にあります。 櫛の山公園になっていて、200本の桜の木 (ソメイヨシノ)があります。 春は桜の花が美しい所です。 日向仏舎利塔は1970年 (昭和45年)に完成しました。 高さ 30 m、直径 28 mで、正面に転法輪像、左側面に誕生像、右側面に涅槃像 (ねはんぞう)、背面に合掌 (がっしょう)像の釈迦像があります。
 日向仏舎利塔は日知屋の日本山妙法寺 (櫛ノ山の登り口近くの大きな石塔 (南無妙法蓮華経と彫 (ほ)ってあります。)があるところのすぐ奥にあります。)の住職 石元妙眼 (みょうげん、俗名はツル子)は平和を祈願 (きがん)して信徒らと共に、鍬 (くわ)、ツルハシなどで山を切り開きました。 ハンマーで鉄骨を曲げ、コンクリートを練 (ね)って高さ 30 m、直径 28 m の仏舎利塔を造りました。 石元さんは美郷町 南郷区の出身です。 代用教員をしていましたが、出家し、日本山妙法寺の開祖である熊本県出身の藤井日達 上人の導きで、昭和36年に仏舎利塔の建設を始めました。 作業は手作業も多かったそうです。 尼 (あま)さんも作業服を着て先頭に立って働きました。 資金難などにもあいながらも着工から9年後の昭和45年に完成しました。 石元さんは2011年11月に86歳で亡くなりました。
「日向仏舎利塔」の説明板から、
 この仏舎利塔には、昭和29年熊本に日本最初の仏舎利塔が完成の際に、日本の平和国家建設を祈念して、インドの故 ネール主相より贈(おく)られた御仏舎利 (お釈迦様(おしゃかさま)の御骨)の一部が祀 (まつ)られてあります。
 そしてこの仏舎利塔は、お釈迦様の大慈大悲の法雨 (仏法が衆生をあまねく教化するのを万物を潤 (うるお)す雨にたとえた語です。)を、一切衆生にそそぎ潤 (うるお)し、以 (も)って戦争のない人類の平和と調和とを祈願して、積み重ねる石の一つ一つに、大願の成就 (じょうじゅ)を念じつつ築 (きず)き上げて建立 (こんりゅう)したものであります。
 なお、この工事は、一人の尼僧 (にそう)(日知屋にある日本山妙法寺の住職だった石元妙眼 (みょうげん、俗名はツル子))の責任において施工 (せこう)、精進努力の3250日、9年間の歳月 (さいげつ)を要して竣工 (しゅんこう、出来上がることです。)致しました。
 ちなみに、塔身は鉄筋コンクリート、石積み、塔の高さ 30 m、設計は工学博士 大岡実 氏、施工は日本山妙法寺 並 (なら)びに四衆、起工式 昭和36年9月9日、落慶法要 昭和45年8月12日、補強工事 昭和55年10月でありました。
 願わくはこの功徳 (くどく)を以 (も)って、あまねく一切に及 (およ)ぼし、我等と衆生とみなともに仏道を成せん 文 合掌 (がっしょう)
日向仏舎利塔


写真A: 日向市にある海岸に近い県道15号線です。 北東に山の上の白い仏舎利塔 (ぶっしゃりとう)が小さく見えます。



写真B: 櫛の山 (標高 95.9 m、くしのやま)の山頂に白い仏舎利塔 (ぶっしゃりとう)が見えます。 その少し下の建物は老人施設です。
山頂に仏舎利塔 (ぶっしゃりとう)がある「櫛ノ山 (くしのやま)」は宮崎県 日向市 大字日知屋 字櫛の山 にあります。
仏舎利 (ぶっしゃり)とはお釈迦(しゃか)さまの遺骨のことです。 日向仏舎利塔がある櫛ノ山 (くしのやま)は日向市の中心部を流れる塩見川の左岸 (下流を見て左です。)にあります。 櫛の山公園になっていて、200本の桜の木 (ソメイヨシノ)があります。 春は桜の花が美しい所です。 日向仏舎利塔は1970年 (昭和45年)に完成しました。 高さ 30 m、直径 28 mで、正面に転法輪像、左側面に誕生像、右側面に涅槃像 (ねはんぞう)、背面に合掌 (がっしょう)像の釈迦像があります。
 日向仏舎利塔は日知屋の日本山妙法寺 (櫛ノ山の登り口近くの大きな石塔 (南無妙法蓮華経と彫 (ほ)ってあります。)があるところのすぐ奥にあります。)の住職 石元妙眼 (みょうげん、俗名はツル子)は平和を祈願 (きがん)して信徒らと共に、鍬 (くわ)、ツルハシなどで山を切り開きました。 ハンマーで鉄骨を曲げ、コンクリートを練 (ね)って高さ 30 m、直径 28 m の仏舎利塔を造りました。 石元さんは美郷町 南郷区の出身です。 代用教員をしていましたが、出家し、日本山妙法寺の開祖である熊本県出身の藤井日達 上人の導きで、昭和36年に仏舎利塔の建設を始めました。 作業は手作業も多かったそうです。 尼 (あま)さんも作業服を着て先頭に立って働きました。 資金難などにもあいながらも着工から9年後の昭和45年に完成しました。 石元さんは2011年11月に86歳で亡くなりました。
「日向仏舎利塔」の説明板から、
 この仏舎利塔には、昭和29年熊本に日本最初の仏舎利塔が完成の際に、日本の平和国家建設を祈念して、インドの故 ネール主相より贈(おく)られた御仏舎利 (お釈迦様(おしゃかさま)の御骨)の一部が祀 (まつ)られてあります。
 そしてこの仏舎利塔は、お釈迦様の大慈大悲の法雨 (仏法が衆生をあまねく教化するのを万物を潤 (うるお)す雨にたとえた語です。)を、一切衆生にそそぎ潤 (うるお)し、以 (も)って戦争のない人類の平和と調和とを祈願して、積み重ねる石の一つ一つに、大願の成就 (じょうじゅ)を念じつつ築 (きず)き上げて建立 (こんりゅう)したものであります。
 なお、この工事は、一人の尼僧 (にそう)(日知屋にある日本山妙法寺の住職だった石元妙眼 (みょうげん、俗名はツル子))の責任において施工 (せこう)、精進努力の3250日、9年間の歳月 (さいげつ)を要して竣工 (しゅんこう、出来上がることです。)致しました。
 ちなみに、塔身は鉄筋コンクリート、石積み、塔の高さ 30 m、設計は工学博士 大岡実 氏、施工は日本山妙法寺 並 (なら)びに四衆、起工式 昭和36年9月9日、落慶法要 昭和45年8月12日、補強工事 昭和55年10月でありました。
 願わくはこの功徳 (くどく)を以 (も)って、あまねく一切に及 (およ)ぼし、我等と衆生とみなともに仏道を成せん 文 合掌 (がっしょう)
日向仏舎利塔



写真C: 大御神社 (おおみじんじゃ)の鳥居 (とりい)です。 右に石碑 (せきひ)、左に大御神社の看板 (かんばん)が見えます。
「大御神社 (おおみじんじゃ)」は宮崎県 日向市 大字日知屋 伊勢ケ浜 1番地 にあります。



写真D: 大御神社の鳥居 (とりい)の右の坂道を上って櫛の山 (標高 95.9 m、くしのやま)に行きます。



写真E: 駐車場です。



写真F: 「日知屋城址 (ひちやじょうし)」と彫 (ほ)ってある石碑 (せきひ)が駐車場にあります。



写真G: 櫛の山 (くしのやま)の上に白い仏舎利塔 (ぶっしゃりとう)が見えてきます。



写真H: この車道を進んで櫛の山公園にある仏舎利塔に登ります。
山頂に仏舎利塔 (ぶっしゃりとう)がある「櫛ノ山 (くしのやま)」は宮崎県 日向市 大字日知屋 字櫛の山 にあります。
仏舎利 (ぶっしゃり)とはお釈迦(しゃか)さまの遺骨のことです。 日向仏舎利塔がある櫛ノ山 (くしのやま)は日向市の中心部を流れる塩見川の左岸 (下流を見て左です。)にあります。 櫛の山公園になっていて、200本の桜の木 (ソメイヨシノ)があります。 春は桜の花が美しい所です。 日向仏舎利塔は1970年 (昭和45年)に完成しました。 高さ 30 m、直径 28 mで、正面に転法輪像、左側面に誕生像、右側面に涅槃像 (ねはんぞう)、背面に合掌 (がっしょう)像の釈迦像があります。
 日向仏舎利塔は日知屋の日本山妙法寺 (櫛ノ山の登り口近くの大きな石塔 (南無妙法蓮華経と彫 (ほ)ってあります。)があるところのすぐ奥にあります。)の住職 石元妙眼 (みょうげん、俗名はツル子)は平和を祈願 (きがん)して信徒らと共に、鍬 (くわ)、ツルハシなどで山を切り開きました。 ハンマーで鉄骨を曲げ、コンクリートを練 (ね)って高さ 30 m、直径 28 m の仏舎利塔を造りました。 石元さんは美郷町 南郷区の出身です。 代用教員をしていましたが、出家し、日本山妙法寺の開祖である熊本県出身の藤井日達 上人の導きで、昭和36年に仏舎利塔の建設を始めました。 作業は手作業も多かったそうです。 尼 (あま)さんも作業服を着て先頭に立って働きました。 資金難などにもあいながらも着工から9年後の昭和45年に完成しました。 石元さんは2011年11月に86歳で亡くなりました。
「日向仏舎利塔」の説明板から、
 この仏舎利塔には、昭和29年熊本に日本最初の仏舎利塔が完成の際に、日本の平和国家建設を祈念して、インドの故 ネール主相より贈(おく)られた御仏舎利 (お釈迦様(おしゃかさま)の御骨)の一部が祀 (まつ)られてあります。
 そしてこの仏舎利塔は、お釈迦様の大慈大悲の法雨 (仏法が衆生をあまねく教化するのを万物を潤 (うるお)す雨にたとえた語です。)を、一切衆生にそそぎ潤 (うるお)し、以 (も)って戦争のない人類の平和と調和とを祈願して、積み重ねる石の一つ一つに、大願の成就 (じょうじゅ)を念じつつ築 (きず)き上げて建立 (こんりゅう)したものであります。
 なお、この工事は、一人の尼僧 (にそう)(日知屋にある日本山妙法寺の住職だった石元妙眼 (みょうげん、俗名はツル子))の責任において施工 (せこう)、精進努力の3250日、9年間の歳月 (さいげつ)を要して竣工 (しゅんこう、出来上がることです。)致しました。
 ちなみに、塔身は鉄筋コンクリート、石積み、塔の高さ 30 m、設計は工学博士 大岡実 氏、施工は日本山妙法寺 並 (なら)びに四衆、起工式 昭和36年9月9日、落慶法要 昭和45年8月12日、補強工事 昭和55年10月でありました。
 願わくはこの功徳 (くどく)を以 (も)って、あまねく一切に及 (およ)ぼし、我等と衆生とみなともに仏道を成せん 文 合掌 (がっしょう)
日向仏舎利塔



写真I: 車道から見上げた仏舎利塔です。 櫛ノ山に櫛の山公園があり、そこに日向仏舎利塔が建てられています。



写真J: 三叉路 (さんさろ)があります。 右の坂(車道)を登って櫛の山公園 (くしのやまこうえん)に登ります。



写真K: 三叉路 (さんさろ)にバス停「櫛の山」があります。 右に「介護付き有料老人ホーム ひむかの郷↑」の看板 (かんばん)もあります。



写真L: 三叉路 (さんさろ)にあるバス停「櫛の山 (くしのやま)」です。



写真M: 「櫛の山公園 (冒険の森)、仏舎利塔入口、頂上まで550 m→」の標識があります。



写真N: 「櫛の山公園 (冒険の森)、仏舎利塔入口、頂上まで550 m→」の標識。



写真O: 櫛の山公園へ行く途中 (とちゅう)の三叉路 (さんさろ)です。



写真P: 櫛の山に登る車道です。 このあたりは桜の木が多くあります。 奥の駐車場にある赤い飲料水の自動販売機が見えます。



写真Q: 登って来た車道を振 (ふ)り返ったものです。 桜の木が見えます。



写真R: 「ドングリ」が落ちていました。



写真S: 櫛の山公園の駐車場の入り口近くです。 左にトイレ、右に看板 (かんばん)、赤い飲料水の自動販売機も見えます。 このあたりも多くの桜の木があります。 春は桜の花が美しいと思われます。



写真T: 宮崎県 日向市にある櫛の山公園 (くしのやまこうえん)の駐車場、トイレです。 まわりに桜の木が多くあります。



写真U: 仏舎利塔に行くときもここに車を駐車します。 櫛の山公園の駐車場。



写真V: 駐車場です。



写真W: 左奥の坂道を車で登って来ました。 桜の木があります。



写真X: 左に仏舎利塔に行く階段が見えます。 右は登って来た車道です。



写真Y: 階段の奥に日向仏舎利塔が見えてきました。 左に桜の木があります。



写真Z: 駐車場から見た日向仏舎利塔 (ぶっしゃりとう)です。



写真AA: 「日向市ゆう遊マップ」の大きな看板 (かんばん)があります。



写真AB: 「日向市ゆう遊マップ」の大きな看板 (かんばん)。



写真AC: 駐車場から仏舎利塔の方向を見たものです。



写真AD: 仏舎利塔の前にある広場です。 中に歩道があります。



写真AE: 広場から駐車場の方を見たものです。



写真AF: 右は階段です。



写真AG: 左は仏舎利塔の広場です。



写真AH: 左端に仏舎利塔が見えます。



写真AI: 広場の奥に真っ白の日向仏舎利塔 (ぶっしゃりとう)があります。
仏舎利塔は宮崎県 日向市 大字日知屋 字櫛の山 にあります。
山頂に仏舎利塔 (ぶっしゃりとう)がある「櫛ノ山 (くしのやま)」は宮崎県 日向市 大字日知屋 字櫛の山 にあります。
仏舎利 (ぶっしゃり)とはお釈迦(しゃか)さまの遺骨のことです。 日向仏舎利塔がある櫛ノ山 (くしのやま)は日向市の中心部を流れる塩見川の左岸 (下流を見て左です。)にあります。 櫛の山公園になっていて、200本の桜の木 (ソメイヨシノ)があります。 春は桜の花が美しい所です。 日向仏舎利塔は1970年 (昭和45年)に完成しました。 高さ 30 m、直径 28 mで、正面に転法輪像、左側面に誕生像、右側面に涅槃像 (ねはんぞう)、背面に合掌 (がっしょう)像の釈迦像があります。
 日向仏舎利塔は日知屋の日本山妙法寺 (櫛ノ山の登り口近くの大きな石塔 (南無妙法蓮華経と彫 (ほ)ってあります。)があるところのすぐ奥にあります。)の住職 石元妙眼 (みょうげん、俗名はツル子)は平和を祈願 (きがん)して信徒らと共に、鍬 (くわ)、ツルハシなどで山を切り開きました。 ハンマーで鉄骨を曲げ、コンクリートを練 (ね)って高さ 30 m、直径 28 m の仏舎利塔を造りました。 石元さんは美郷町 南郷区の出身です。 代用教員をしていましたが、出家し、日本山妙法寺の開祖である熊本県出身の藤井日達 上人の導きで、昭和36年に仏舎利塔の建設を始めました。 作業は手作業も多かったそうです。 尼 (あま)さんも作業服を着て先頭に立って働きました。 資金難などにもあいながらも着工から9年後の昭和45年に完成しました。 石元さんは2011年11月に86歳で亡くなりました。
「日向仏舎利塔」の説明板から、
 この仏舎利塔には、昭和29年熊本に日本最初の仏舎利塔が完成の際に、日本の平和国家建設を祈念して、インドの故 ネール主相より贈(おく)られた御仏舎利 (お釈迦様(おしゃかさま)の御骨)の一部が祀 (まつ)られてあります。
 そしてこの仏舎利塔は、お釈迦様の大慈大悲の法雨 (仏法が衆生をあまねく教化するのを万物を潤 (うるお)す雨にたとえた語です。)を、一切衆生にそそぎ潤 (うるお)し、以 (も)って戦争のない人類の平和と調和とを祈願して、積み重ねる石の一つ一つに、大願の成就 (じょうじゅ)を念じつつ築 (きず)き上げて建立 (こんりゅう)したものであります。
 なお、この工事は、一人の尼僧 (にそう)(日知屋にある日本山妙法寺の住職だった石元妙眼 (みょうげん、俗名はツル子))の責任において施工 (せこう)、精進努力の3250日、9年間の歳月 (さいげつ)を要して竣工 (しゅんこう、出来上がることです。)致しました。
 ちなみに、塔身は鉄筋コンクリート、石積み、塔の高さ 30 m、設計は工学博士 大岡実 氏、施工は日本山妙法寺 並 (なら)びに四衆、起工式 昭和36年9月9日、落慶法要 昭和45年8月12日、補強工事 昭和55年10月でありました。
 願わくはこの功徳 (くどく)を以 (も)って、あまねく一切に及 (およ)ぼし、我等と衆生とみなともに仏道を成せん 文 合掌 (がっしょう)
日向仏舎利塔



写真AJ: 広場から見た日向市にある仏舎利塔 (ぶっしゃりとう)です。 階段の上に四角の穴がありそこに仏の像があります。 その上部は塔になっています。 この仏舎利塔は国道10号線、美々津海岸遊歩道などからも山の上に白く見えて目立ちます。



写真AK: 日向市の櫛ノ山 (くしのやま)の上にある白い仏舎利塔です。



写真AL: 日向市の仏舎利塔の下部です。 階段があります。



写真AM: 左の岩と広場、歩道、階段、日向仏舎利塔です。 左に桜の木が多く見えます。



写真AN: 広場にある歩道です。



写真AO: 左奥に駐車場があります。



写真AP: 駐車場を振り返ったものです。



写真AQ: 広場に藤棚 (ふじだな)があります。



写真AR: 藤蔓 (ふじづる)の下部が見えます。 左は藤棚です。 ベンチもあります。



写真AS: 階段の右にフェニックスの木があります。 左に水飲み場が見えます。 日向市にある仏舎利塔の広場です。



写真AT: 中央左寄りに水飲み場があります。 日向市の櫛ノ山の上にある仏舎利塔 (ぶっしゃりとう)です。
山頂に仏舎利塔 (ぶっしゃりとう)がある「櫛ノ山 (くしのやま)」は宮崎県 日向市 大字日知屋 字櫛の山 にあります。
仏舎利 (ぶっしゃり)とはお釈迦(しゃか)さまの遺骨のことです。 日向仏舎利塔がある櫛ノ山 (くしのやま)は日向市の中心部を流れる塩見川の左岸 (下流を見て左です。)にあります。 櫛の山公園になっていて、200本の桜の木 (ソメイヨシノ)があります。 春は桜の花が美しい所です。 日向仏舎利塔は1970年 (昭和45年)に完成しました。 高さ 30 m、直径 28 mで、正面に転法輪像、左側面に誕生像、右側面に涅槃像 (ねはんぞう)、背面に合掌 (がっしょう)像の釈迦像があります。
 日向仏舎利塔は日知屋の日本山妙法寺 (櫛ノ山の登り口近くの大きな石塔 (南無妙法蓮華経と彫 (ほ)ってあります。)があるところのすぐ奥にあります。)の住職 石元妙眼 (みょうげん、俗名はツル子)は平和を祈願 (きがん)して信徒らと共に、鍬 (くわ)、ツルハシなどで山を切り開きました。 ハンマーで鉄骨を曲げ、コンクリートを練 (ね)って高さ 30 m、直径 28 m の仏舎利塔を造りました。 石元さんは美郷町 南郷区の出身です。 代用教員をしていましたが、出家し、日本山妙法寺の開祖である熊本県出身の藤井日達 上人の導きで、昭和36年に仏舎利塔の建設を始めました。 作業は手作業も多かったそうです。 尼 (あま)さんも作業服を着て先頭に立って働きました。 資金難などにもあいながらも着工から9年後の昭和45年に完成しました。 石元さんは2011年11月に86歳で亡くなりました。
「日向仏舎利塔」の説明板から、
 この仏舎利塔には、昭和29年熊本に日本最初の仏舎利塔が完成の際に、日本の平和国家建設を祈念して、インドの故 ネール主相より贈(おく)られた御仏舎利 (お釈迦様(おしゃかさま)の御骨)の一部が祀 (まつ)られてあります。
 そしてこの仏舎利塔は、お釈迦様の大慈大悲の法雨 (仏法が衆生をあまねく教化するのを万物を潤 (うるお)す雨にたとえた語です。)を、一切衆生にそそぎ潤 (うるお)し、以 (も)って戦争のない人類の平和と調和とを祈願して、積み重ねる石の一つ一つに、大願の成就 (じょうじゅ)を念じつつ築 (きず)き上げて建立 (こんりゅう)したものであります。
 なお、この工事は、一人の尼僧 (にそう)(日知屋にある日本山妙法寺の住職だった石元妙眼 (みょうげん、俗名はツル子))の責任において施工 (せこう)、精進努力の3250日、9年間の歳月 (さいげつ)を要して竣工 (しゅんこう、出来上がることです。)致しました。
 ちなみに、塔身は鉄筋コンクリート、石積み、塔の高さ 30 m、設計は工学博士 大岡実 氏、施工は日本山妙法寺 並 (なら)びに四衆、起工式 昭和36年9月9日、落慶法要 昭和45年8月12日、補強工事 昭和55年10月でありました。
 願わくはこの功徳 (くどく)を以 (も)って、あまねく一切に及 (およ)ぼし、我等と衆生とみなともに仏道を成せん 文 合掌 (がっしょう)
日向仏舎利塔



写真AU: 来た広場の歩道を振り返ったものです。 奥に駐車場があります。



写真AV: 広場の端 (はし)に藤棚 (ふじだな)が見えます。



写真AW: 階段のそばから見上げた日向市にある仏舎利塔です。



写真AX: 日向仏舎利塔のそばの階段です。 階段の右に四角の御手洗 (みたらい)が見えます。



写真AY: 「日向仏舎利塔」の説明板があります。
 この仏舎利塔には、昭和29年熊本に日本最初の仏舎利塔が完成の際に、日本の平和国家建設を祈念して、インドの故 ネール主相より贈(おく)られた御仏舎利 (お釈迦様(おしゃかさま)の御骨)の一部が祀 (まつ)られてあります。
 そしてこの仏舎利塔は、お釈迦様の大慈大悲の法雨 (仏法が衆生をあまねく教化するのを万物を潤 (うるお)す雨にたとえた語です。)を、一切衆生にそそぎ潤 (うるお)し、以 (も)って戦争のない人類の平和と調和とを祈願して、積み重ねる石の一つ一つに、大願の成就 (じょうじゅ)を念じつつ築 (きず)き上げて建立 (こんりゅう)したものであります。
 なお、この工事は、一人の尼僧 (にそう)(日知屋にある日本山妙法寺の住職だった石元妙眼 (みょうげん、俗名はツル子))の責任において施工 (せこう)、精進努力の3250日、9年間の歳月 (さいげつ)を要して竣工 (しゅんこう、出来上がることです。)致しました。
 ちなみに、塔身は鉄筋コンクリート、石積み、塔の高さ 30 m、設計は工学博士 大岡実 氏、施工は日本山妙法寺 並 (なら)びに四衆、起工式 昭和36年9月9日、落慶法要 昭和45年8月12日、補強工事 昭和55年10月でありました。
 願わくはこの功徳 (くどく)を以 (も)って、あまねく一切に及 (およ)ぼし、我等と衆生とみなともに仏道を成せん 文 合掌 (がっしょう)
日向仏舎利塔
と書かれています。



写真AZ: 「日向仏舎利塔」の説明板です。
 この仏舎利塔には、昭和29年熊本に日本最初の仏舎利塔が完成の際に、日本の平和国家建設を祈念して、インドの故 ネール主相より贈(おく)られた御仏舎利 (お釈迦様(おしゃかさま)の御骨)の一部が祀 (まつ)られてあります。
 そしてこの仏舎利塔は、お釈迦様の大慈大悲の法雨 (仏法が衆生をあまねく教化するのを万物を潤 (うるお)す雨にたとえた語です。)を、一切衆生にそそぎ潤 (うるお)し、以 (も)って戦争のない人類の平和と調和とを祈願して、積み重ねる石の一つ一つに、大願の成就 (じょうじゅ)を念じつつ築 (きず)き上げて建立 (こんりゅう)したものであります。
 なお、この工事は、一人の尼僧 (にそう)(日知屋にある日本山妙法寺の住職だった石元妙眼 (みょうげん、俗名はツル子))の責任において施工 (せこう)、精進努力の3250日、9年間の歳月 (さいげつ)を要して竣工 (しゅんこう、出来上がることです。)致しました。
 ちなみに、塔身は鉄筋コンクリート、石積み、塔の高さ 30 m、設計は工学博士 大岡実 氏、施工は日本山妙法寺 並 (なら)びに四衆、起工式 昭和36年9月9日、落慶法要 昭和45年8月12日、補強工事 昭和55年10月でありました。
 願わくはこの功徳 (くどく)を以 (も)って、あまねく一切に及 (およ)ぼし、我等と衆生とみなともに仏道を成せん 文 合掌 (がっしょう)
日向仏舎利塔
と書かれています。



写真BA: 「日向仏舎利塔」の説明板。
 この仏舎利塔には、昭和29年熊本に日本最初の仏舎利塔が完成の際に、日本の平和国家建設を祈念して、インドの故 ネール主相より贈(おく)られた御仏舎利 (お釈迦様(おしゃかさま)の御骨)の一部が祀 (まつ)られてあります。
 そしてこの仏舎利塔は、お釈迦様の大慈大悲の法雨 (仏法が衆生をあまねく教化するのを万物を潤 (うるお)す雨にたとえた語です。)を、一切衆生にそそぎ潤 (うるお)し、以 (も)って戦争のない人類の平和と調和とを祈願して、積み重ねる石の一つ一つに、大願の成就 (じょうじゅ)を念じつつ築 (きず)き上げて建立 (こんりゅう)したものであります。
 なお、この工事は、一人の尼僧 (にそう)(日知屋にある日本山妙法寺の住職だった石元妙眼 (みょうげん、俗名はツル子))の責任において施工 (せこう)、精進努力の3250日、9年間の歳月 (さいげつ)を要して竣工 (しゅんこう、出来上がることです。)致しました。
 ちなみに、塔身は鉄筋コンクリート、石積み、塔の高さ 30 m、設計は工学博士 大岡実 氏、施工は日本山妙法寺 並 (なら)びに四衆、起工式 昭和36年9月9日、落慶法要 昭和45年8月12日、補強工事 昭和55年10月でありました。
 願わくはこの功徳 (くどく)を以 (も)って、あまねく一切に及 (およ)ぼし、我等と衆生とみなともに仏道を成せん 文 合掌 (がっしょう)
日向仏舎利塔
と書かれています。



写真BB: 階段の右に御手洗 (みたらい)があります。



写真BC: 階段の左にもフェニックスの木があります。



写真BD: 説明板とフェニックスの木、奥に多くの桜の木、広場が見えます。



写真BE: ここにもフェニックスがあります。



写真BF: 階段の下から見上げた日向仏舎利塔です。



写真BG: 仏舎利塔の階段です。 手すりもあります。



写真BH: 階段の左手です。



写真BI: 階段の右手です。



写真BJ: 「彼岸花 (曼珠沙華 (まんじゅしゃげ))の花」が咲いていました。



写真BK: 側面から見た日向仏舎利塔です。



写真BL: 日向仏舎利塔に涅槃像 (ねはんぞう、煩悩 (ぼんのう)を断じて絶対的な静寂 (せいじゃく)に達した状態で仏教での理想の境地です。)が見えます。



写真BM: 日向仏舎利塔にある涅槃像 (ねはんぞう、煩悩 (ぼんのう)を断じて絶対的な静寂 (せいじゃく)に達した状態で仏教での理想の境地です。)です。
山頂に仏舎利塔 (ぶっしゃりとう)がある「櫛ノ山 (くしのやま)」は宮崎県 日向市 大字日知屋 字櫛の山 にあります。
仏舎利 (ぶっしゃり)とはお釈迦(しゃか)さまの遺骨のことです。 日向仏舎利塔がある櫛ノ山 (くしのやま)は日向市の中心部を流れる塩見川の左岸 (下流を見て左です。)にあります。 櫛の山公園になっていて、200本の桜の木 (ソメイヨシノ)があります。 春は桜の花が美しい所です。 日向仏舎利塔は1970年 (昭和45年)に完成しました。 高さ 30 m、直径 28 mで、正面に転法輪像、左側面に誕生像、右側面に涅槃像 (ねはんぞう)、背面に合掌 (がっしょう)像の釈迦像があります。
 日向仏舎利塔は日知屋の日本山妙法寺 (櫛ノ山の登り口近くの大きな石塔 (南無妙法蓮華経と彫 (ほ)ってあります。)があるところのすぐ奥にあります。)の住職 石元妙眼 (みょうげん、俗名はツル子)は平和を祈願 (きがん)して信徒らと共に、鍬 (くわ)、ツルハシなどで山を切り開きました。 ハンマーで鉄骨を曲げ、コンクリートを練 (ね)って高さ 30 m、直径 28 m の仏舎利塔を造りました。 石元さんは美郷町 南郷区の出身です。 代用教員をしていましたが、出家し、日本山妙法寺の開祖である熊本県出身の藤井日達 上人の導きで、昭和36年に仏舎利塔の建設を始めました。 作業は手作業も多かったそうです。 尼 (あま)さんも作業服を着て先頭に立って働きました。 資金難などにもあいながらも着工から9年後の昭和45年に完成しました。 石元さんは2011年11月に86歳で亡くなりました。
「日向仏舎利塔」の説明板から、
 この仏舎利塔には、昭和29年熊本に日本最初の仏舎利塔が完成の際に、日本の平和国家建設を祈念して、インドの故 ネール主相より贈(おく)られた御仏舎利 (お釈迦様(おしゃかさま)の御骨)の一部が祀 (まつ)られてあります。
 そしてこの仏舎利塔は、お釈迦様の大慈大悲の法雨 (仏法が衆生をあまねく教化するのを万物を潤 (うるお)す雨にたとえた語です。)を、一切衆生にそそぎ潤 (うるお)し、以 (も)って戦争のない人類の平和と調和とを祈願して、積み重ねる石の一つ一つに、大願の成就 (じょうじゅ)を念じつつ築 (きず)き上げて建立 (こんりゅう)したものであります。
 なお、この工事は、一人の尼僧 (にそう)(日知屋にある日本山妙法寺の住職だった石元妙眼 (みょうげん、俗名はツル子))の責任において施工 (せこう)、精進努力の3250日、9年間の歳月 (さいげつ)を要して竣工 (しゅんこう、出来上がることです。)致しました。
 ちなみに、塔身は鉄筋コンクリート、石積み、塔の高さ 30 m、設計は工学博士 大岡実 氏、施工は日本山妙法寺 並 (なら)びに四衆、起工式 昭和36年9月9日、落慶法要 昭和45年8月12日、補強工事 昭和55年10月でありました。
 願わくはこの功徳 (くどく)を以 (も)って、あまねく一切に及 (およ)ぼし、我等と衆生とみなともに仏道を成せん 文 合掌 (がっしょう)
日向仏舎利塔



写真BN: 仏舎利塔の上部がよくわかります。



写真BO: 仏舎利塔のまわりはこのようになっています。



写真BP: 日向仏舎利塔のまわりの様子 (ようす)です。



写真BQ: 仏舎利塔のまわりに桜の木があります。



写真BR: 仏様の座像が見えます。



写真BS: 日向仏舎利塔にある仏さまの座像です。



写真BT: まわりから見上げた仏舎利塔です。



写真BU: 仏舎利塔のまわりに自然の彼岸花が咲いています。



写真BV: 仏様の立像が仏舎利塔にあります。



写真BW: 日向仏舎利塔にある仏様の立像です。



写真BX: 桜の木も見えます。 日向仏舎利塔のまわりです。



写真BY: 見上げた日向仏舎利塔です。 桜の枝と葉も見えます。



写真BZ: ほぼ反時計回りに1周しました。 階段付近が見えます。



写真CA: 正面にある仏様の座像です。



写真CB: 日向仏舎利塔の正面にある仏様の座像です。



写真CC: 階段です。 上に花も供 (そな)えてあります。



写真CD: 両側に献花 (けんか)が見えます。 日向仏舎利塔 (ひゅうがぶっしゃりとう)。



写真CE: 仏様の座像と献花 (けんか)などが見えます。 日向仏舎利塔の正面です。



写真CF: 仏舎利塔の上部です。 座像も見えます。



写真CG: 仏舎利塔のまわりです。 ベンチもあります。 この段は舗装 (ほそう)してあります。



写真CH: 白い塗料で塗 (ぬ)り替えた直後でした。



写真CI: 宮崎県 日向市 大字日知屋にある櫛ノ山 (標高 95.9 m、くしのやま)の日向仏舎利塔です。



写真CJ: 太陽が上に見えます。



写真CK: 正面の座像の付近です。



写真CL: 階段の下部です。 奥は舗装 (ほそう)してあります。



写真CM: 階段の踊り場 (おどりば)です。 左に手すりも見えます。



写真CN: 先ほど登ってきた階段と広場です。



写真CO: 日向仏舎利塔から遠くの山並み (やまなみ)が見えます。



写真CP: 遠くの山並み (やまなみ)が美しく見えます。 日向市の市街地も見えます。



写真CQ: 日向仏舎利塔からの展望はすばらしい。 日向市の市街地も見えます。



写真CR: 日向仏舎利塔からの眺望 (ちょうぼう)です。 遠くの山並みが美しい。



写真CS: 仏舎利塔の正面にある線香を立てる所です。



写真CT: 仏舎利塔の正面の献花台 (けんかだい)です。



写真CU: 仏舎利塔の正面にある献花台 (けんかだい)。 「奉納」と彫 (ほ)ってあります。



写真CV: 仏舎利塔の献花です。



写真CW: 日向仏舎利塔にある正面の仏様の座像です。 後ろに字も書いてあります。



写真CX: 仏舎利塔から見た景色です。



写真CY: 日向仏舎利塔から南に「小倉ヶ浜」が見えています。 砂浜、白波も見えます。



写真CZ: 木の間から小倉ヶ浜総合公園の体育館である「サンドーム日向」が白く見えています。 日向仏舎利塔から。



写真DA: 日向仏舎利塔から日向灘 (太平洋)が見えます。



写真DB: 仏舎利塔の通路です。 まわりを一回りできます。



写真DC: 座像が蓮 (はす)の花の上にあります。



写真DD: 涅槃像 (ねはんぞう)です。 仏様が寝た形です。



写真DE: 日向仏舎利塔の涅槃像 (ねはんぞう)です。



写真DF: 仏舎利塔のまわりの通路です。



写真DG: 米ノ山 (標高 191.6 m)が仏舎利塔から東北東に見えます。 手前は桜の木です。



写真DH: ベンチもあります。



写真DI: 東北東に米ノ山 (標高 191.6 m)が美しく見えます。 手前は桜の木。



写真DJ: 日向仏舎利塔から見た米の山です。 東北東を見た景色です。



写真DK: 日向灘 (太平洋)も日向仏舎利塔から見えます。



写真DL: 立像の仏様です。 日向仏舎利塔。



写真DM: もうすぐ1周です。 遠くの山並み (やまなみ)も見えます。



写真DN: 日向仏舎利塔のまわりに通路があります。



写真DO: まわりを1周して正面のところまで戻 (もど)って来ました。 献花台 (けんかだい)も見えます。



写真DP: 日向仏舎利塔の献花台 (けんかだい)、線香を立てる所です。



写真DQ: 仏舎利塔から広場の方を見た景色です。



写真DR: 遠くの山並み (やまなみ)、駐車場、手前の桜の木も見えます。



写真DS: 日向仏舎利塔からこの方向に4重の山並みが見えます。 手前の山に送電線鉄塔、携帯電話の基地局アンテナがあります。



写真DT: 日向市の市街地、左におそらく東九州自動車道の高架 (こうか)が見えます。 右手前に広場の藤棚 (ふじだな)が見えます。



写真DU: 日向仏舎利塔からこの方向に5重の山並みが見えます。 日向市のビル、民家なども見えます。



写真DV: 日向仏舎利塔からこの方向に6重の山並みが見えます。 日向市の町並み (まちなみ)も見えます。



写真DW: 日向仏舎利塔から見た景色です。



写真DX: 日向仏舎利塔からの景色です。



写真DY: 小倉ヶ浜の近くの海に白波が見えます。 仏舎利塔から。



写真DZ: 横から見た献花台 (けんかだい)、線香を立てる所です。



写真EA: 仏舎利塔を白く塗 (ぬ)り替えたばかりのようです。



写真EB: 仏舎利塔のまわりです。



写真EC: 仏舎利塔の階段です。



写真ED: 献花台 (けんかだい)などが見えます。



写真EE: 仏舎利塔と太陽です。



写真EF: 太陽と日向仏舎利塔の上部です。



写真EG: 広場に戻 (もど)って来ました。 中央は歩道です。



写真EH: 日向仏舎利塔の前の広場です。



写真EI: 広場から見た日向仏舎利塔。



写真EJ: 駐車場のそばにある公衆電話ボックスと飲料水の自動販売機です。



写真EK: 「コカコーラ zero」を飲みました。



写真EL: 駐車場に戻 (もど)って来ました。



写真EM: 桜の木が多くあります。 春は桜の花が楽しめるでしょう。 右寄りに石碑 (せきひ)が見えます。



写真EN: 櫛の山 (くしのやま)公園の駐車場です。



写真EO: 櫛ノ山の駐車場です。



写真EP: 駐車場の端 (はし)に石碑 (せきひ)が見えます。



写真EQ: 「入厄植樹記念碑 さくら57本 1981年1月15日」と彫 (ほ)ってあります。



写真ER: 石碑のそばから下る遊歩道があります。



写真ES: 駐車場のまわりにも多くの桜の木があります。



写真ET: 奥にトイレも見えます。



写真EU: コンクリート製のタンクのようなものがあります。



写真EV: 駐車場の近くにある石碑 (せきひ)です。



写真EW: 駐車場より一段低い広場が奥にあります。 桜の木も見えます。



写真EX: 駐車場より一段低い広場です。



写真EY: 「すてないで・・・動物 命を捨てることは犯罪です。 動物愛護法第27条 愛護動物を遺棄した者は、30万円以下の罰金に処する。 宮崎県・宮崎県獣医師会」と書いてある看板 (かんばん)があります。



写真EZ: 櫛ノ山 (くしのやま)の車道を下ってきました。



写真FA: 櫛ノ山の麓 (ふもと)近くに大きな石塔があります。



写真FB: 坂道の車道のそばにある大きな石塔です。 「南無妙法蓮華経」と彫 (ほ)ってあります。 日向仏舎利塔を建設された石元妙眼 (俗名はツル子)が住職だった日知屋の日本山妙法寺はこの石塔のすぐそばにあります。



写真FC: 日向仏舎利塔の献花台 (けんかだい)とよく似た献花台がこの石塔の前にあります。



写真FD: 石塔のそばにソテツの木があります。



写真FE: 大きな石塔の近くです。 こちらにもソテツの木があります。



写真FF: 左は石塔です。 奥の建物が日知屋の日本山妙法寺 (日向仏舎利塔を建設された尼さんのお寺です。)と思われます。



写真FG: 石塔に「昭和37年、日向道場」と彫 (ほ)ってあります。



写真FH: 石塔の中部です。



写真FI: 石塔の下部の裏にシキミの枝などが供 (そな)えてあります。 木製の卒塔婆 (そとば)も見えます。 この卒塔婆は2011年11月に86歳で亡くなられた、日向仏舎利塔の建設者で日知屋の日本山妙法寺の住職だった石元妙眼 (みょうげん、俗名はツル子)のものかもしれません。



写真FJ: 櫛ノ山 (くしのやま)のまわりの車道です。 奥に進むと大御神社 (おおみじんじゃ)に行きます。 左寄りに米ノ山 (標高 191.6 m)が小さく見えます。



写真FK: 奥に進むと櫛の山公園に行きます。



写真FL: 左寄りに白く小倉ヶ浜運動公園にある「サンドーム日向 (体育館)」が見えます。 ガードレールの左に葛 (くず)の紫色の花が見えます。



写真FM: 日向市にある小倉ヶ浜が南に見えます。 手前に塩見川の河口が見えます。 中央右寄りに白くサンドーム日向 (体育館)も見えています。



写真FN: 手前からクズの紫色の花、県道15号線、塩見川の河口、小倉ヶ浜などが見えます。



写真FO: 遠くから水平線、白波、県道15号線 (ソテツの木)、クズの花が見えます。



写真FP: 県道15号線の車が見えます。 左遠くに米ノ山 (標高 191.6 m)が見えます。



写真FQ: 先に進むと大御神社 (おおみじんじゃ)があります。



写真FR: 日向市にある小倉ヶ浜と手前の塩見川の河口です。 白波が美しい。 南を見た風景です。



写真FS: 岩の小島が見えます。 南東を見た景色です。



写真FT: 白波が砕 (くだ)けています。 手前は県道15号線です。



写真FU: 塩見川の河口の近くです。



写真FV: 手前にクズの花が美しく咲いています。 南西を見たものです。



写真FW: 小倉ヶ浜運動公園のサンドーム日向 (体育館)が白く見えます。 手前はクズの花です。



写真FX: 塩見川の河口です。 奥は小倉ヶ浜です。 南を見たものです。



写真FY: 塩見川が海に注 (そそ)いでいる地点です。 右から川の水が流れています。



写真FZ: 県道15号線のソテツの木と軽トラックです。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)