梅谷橋 (うめたにばし、梅谷の太鼓橋、石造りアーチ橋) (市指定有形文化財 梅谷橋、梅谷太鼓橋 (うめたにたいこばし)、山住川 (清武川の支流)、アジサイの花、梅谷ホタルの里、日豊本線、野頭跨線橋、鰐塚山、荒平山、前平山)  (宮崎県 宮崎市 田野町 梅谷)







<標高、位置>  「梅谷橋 (石橋の太鼓橋(たいこばし))」は
標高 約110 m
 北緯31度50分09秒  東経131度19分02秒


 「梅谷橋 (石橋の太鼓橋(たいこばし))」は宮崎県 宮崎市 田野町 梅谷にあります。
「梅谷橋 (石橋の太鼓橋(たいこばし))」は清武川の支流の山住川(やまずみがわ)にかかっています。 今はほとんど使用されていません。 以前は梅谷と尾平(おひら)地区を結(むす)ぶ生活道路として利用されていました。 老朽化したのでこの下流約 50 m のところに1981年(昭和56年)、新しく新山住橋が造られています。 古い方の橋は石橋  (石造りアーチ橋)で、高さ 約4 m 、長さ 15.2 m 、幅 3.4 m です。
「梅谷の太鼓橋 (たいこばし)」の説明板から、
 田野町には山が多く、川は深い谷合(たにあい)をなしているところが多い。 そのためかっては、大雨が降(ふ)ると増水で橋が流されることが多かった。 流失に強い石橋が田野町に多く見られるのはそのためである。 町内には唐仁田、元野、内八重 及(およ)び梅谷の各地区にそれぞれ石橋の道路橋があるが、平地と言ってよい隣(となり)の清武町では見られない。 梅谷の太鼓橋(たいこばし)は、同地区から尾平を結ぶ道路開通によって、山住川に架(か)けられたものである。
 石工 奥園末吉 氏が請け負い(うけおい)、昭和3年1月25日に竣功(しゅんこう、完成すること。)し、工事費は当時のお金で980 円であった。 梅谷・尾平 間の道路開通に要した日数は100 余日、総工費1800円、夫役(ふえき)は延(の)べ3200人で、昭和3年4月24日に完成した。 現在は道路として使われてはいないが、この太鼓橋を中心にした「ホタルの里」づくりが平成7年から梅谷集落の有志によって展開され、その活用が図(はか)られている。 例年5月下旬から2週間くらい、源氏蛍(ゲンジボタル)の幻想的な乱舞が見られる。


写真A: 手前から奥に国道269号線が通っています。 この十字路(新村交差点)を右(北東)に曲がって進むと「市指定有形文化財 梅谷橋 (石橋太鼓橋(たいこばし))」に行きます。 左(南西)に曲がって「市指定史跡 仏堂園 群像仏」に行きます。 奥の信号の左にそれらの標識板が見えています。 ここは宮崎市 田野町です。 北西を見たものです。



写真B: 右奥に行くと「市指定有形文化財 梅谷橋 (石橋太鼓橋(たいこばし))」に行きます。



写真C: 交通信号機に「新村」と書いてあります。 その左下に「←市指定史跡 仏堂園群像仏、→市指定有形文化財 梅谷橋」と書いてある標識板が見えます。



写真D: 「←市指定史跡 仏堂園群像仏、→市指定有形文化財 梅谷橋」と書いてある標識板があります。



写真E: しばらく進むとT字路にぶつかります。 ここを左に曲がります。



写真F: T字路です。 左寄りに「梅谷橋」の標柱(標識棒)が見えます。



写真G: 「←20 m 先右折 梅谷橋(うめたにばし)」と書いてある標柱(標識棒)がT字路にあります。



写真H: 「←20 m 先右折 梅谷橋(うめたにばし)」と書いてある標柱(標識棒)がT字路にあります。
田んぼの奥の右端に「梅谷橋」のそばの小屋が見えています。



写真I: T字路です。 ここを少し先に進んで右に曲がって「梅谷橋」に行きます。



写真J: 三叉路(さんさろ)があります。



写真K: 左に仏像があります。 「とまれ 梅谷」と書いてある看板(かんばん)があります。 ここは三叉路(さんさろ)です。



写真L: この道を進んで「梅谷橋 (石橋の太鼓橋(たいこばし))」に行きます。



写真M: 道のそばにお堂があります。 前に石造物が見えます。



写真N: 「梅谷道路記念碑」と彫(ほ)ってある石碑(せきひ)がお堂のそばにあります。



写真O: 「青色のアジサイの花」が美しく咲いていました。



写真P: 先に見える橋が新しい橋(コンクリート製の新山住橋、1981年(昭和56年)完成しました。)で、その右下に見える橋が「梅谷橋 (石橋の太鼓橋(たいこばし))」です。 その間に先ほどのT字路から見えた小屋が見えます。 田んぼもあります。



写真Q: これが宮崎県 宮崎市 田野町 梅谷にある古い「梅谷橋 (石橋の太鼓橋(たいこばし))」です。 梅谷橋には上に電灯が付いています。 そばにアジサイの花が見えます。 手前は田んぼです。
「梅谷橋 (石橋の太鼓橋(たいこばし))」は宮崎県 宮崎市 田野町 梅谷にあります。
「梅谷橋 (石橋の太鼓橋(たいこばし))」は清武川の支流の山住川(やまずみがわ)にかかっています。 今はほとんど使用されていません。 以前は梅谷と尾平(おひら)地区を結(むす)ぶ生活道路として利用されていました。 老朽化したのでこの下流約 50 m のところに1981年(昭和56年)、新しく新山住橋が造られています。 古い方の橋は石橋で、高さ 約4 m 、長さ 15.2 m 、幅 3.4 m です。



写真R: 「→市指定有形文化財 梅谷橋 (うめたにばし) 宮崎市教育委員会 平成15年6月10日 指定」と書いてある標柱(標識棒)が十字路にあります。 ここを右に曲がります。 奥には山住川(清武川の支流です。)にかかっている新しい橋(コンクリート製の新山住橋、1981年(昭和56年)完成しました。)が見えます。 北東を見たものです。
「梅谷橋 (石橋の太鼓橋(たいこばし))」は宮崎県 宮崎市 田野町 梅谷にあります。
「梅谷橋 (石橋の太鼓橋(たいこばし))」は清武川の支流の山住川(やまずみがわ)にかかっています。 今はほとんど使用されていません。 以前は梅谷と尾平(おひら)地区を結(むす)ぶ生活道路として利用されていました。 老朽化したのでこの下流約 50 m のところに1981年(昭和56年)、新しくコンクリート製の新山住橋が造られています。 古い方の橋は石橋 (石造りアーチ橋)で、高さ 約4 m 、長さ 15.2 m 、幅 3.4 m です。



写真S: アジサイを道端(みちばた)に植えてあります。 田んぼには小さな稲が見えます。



写真T: 右端に鰐塚山 (わにつかやま、標高 1118.1 m)が見えています。 鰐塚山から北東に 8.5 km のところに梅谷橋があります。
白いガードレールの奥に山住川(やまずみがわ、清武川の支流です。)が流れています。 右側が上流です。



写真U: 南西を見た景色です。 左寄りに鰐塚山 (わにつかやま、標高 1118.1 m)が見えます。 鰐塚山はこの梅谷橋の約 8.5 km 南西にあります。 右は来た道です。



写真V: 来た道を振り返ったもの。 右に石垣(いしがき)があります。 電柱、杉の木、人家、ガードレールも見えます。 ここは坂になっています。



写真W: 右に道があります。



写真X: 近くの景色です。



写真Y: 北東を見たものです。 新しくできた橋(コンクリート製の新山住橋、1981年(昭和56年)完成しました。)が奥に見えます。



写真Z: 「→市指定有形文化財 梅谷橋 (うめたにばし) 宮崎市教育委員会 平成15年6月10日 指定」と書いてある標柱(標識棒)です。



写真AA: 「→市指定有形文化財 梅谷橋 (うめたにばし) 宮崎市教育委員会 平成15年6月10日 指定」と書いてある標柱(標識棒)が十字路にあります。 そばにアジサイの花が見えます。



写真AB: 「→市指定有形文化財 梅谷橋 (うめたにばし) 宮崎市教育委員会 平成15年6月10日 指定」と書いてある標柱(標識棒)です。



写真AC: この道の先に古い「梅谷橋」が見えます。 そばの道にもアジサイの花が咲いていました。



写真AD: これが宮崎県 宮崎市 田野町 梅谷にある市指定有形文化財の「梅谷橋」です。 橋の欄干(らんかん)もあります。 上に電灯が付いています。 右に説明板があります。



写真AE: 梅谷橋の奥(東)は山になっています。 山の手前に細い道が左右にあります。 梅谷橋の電灯も見えています。



写真AF: 「梅谷の太鼓橋 (たいこばし)」の説明板があります。
 田野町には山が多く、川は深い谷合(たにあい)をなしているところが多い。 そのためかっては、大雨が降(ふ)ると増水で橋が流されることが多かった。 流失に強い石橋が田野町に多く見られるのはそのためである。
 町内には唐仁田、元野、内八重 及(およ)び梅谷の各地区にそれぞれ石橋の道路橋があるが、平地と言ってよい隣(となり)の清武町では見られない。
 梅谷の太鼓橋(たいこばし)は、同地区から尾平を結ぶ道路開通によって、山住川に架(か)けられたものである。
 石工 奥園末吉 氏が請け負い(うけおい)、昭和3年1月25日に竣功(しゅんこう、完成すること。)し、工事費は当時のお金で980 円であった。 梅谷・尾平 間の道路開通に要した日数は100 余日、総工費1800円、夫役(ふえき)は延(の)べ3200人で、昭和3年4月24日に完成した。
 現在は道路として使われてはいないが、この太鼓橋を中心にした「ホタルの里」づくりが平成7年から梅谷集落の有志によって展開され、その活用が図(はか)られている。 例年5月下旬から2週間くらい、源氏蛍(ゲンジボタル)の幻想的な乱舞が見られる。
田野町 歴史の小径(こみち)
と書かれています。



写真AG: 「梅谷の太鼓橋 (たいこばし)」の説明板があります。
 田野町には山が多く、川は深い谷合(たにあい)をなしているところが多い。 そのためかっては、大雨が降(ふ)ると増水で橋が流されることが多かった。 流失に強い石橋が田野町に多く見られるのはそのためである。
 町内には唐仁田、元野、内八重 及(およ)び梅谷の各地区にそれぞれ石橋の道路橋があるが、平地と言ってよい隣(となり)の清武町では見られない。
 梅谷の太鼓橋(たいこばし)は、同地区から尾平を結ぶ道路開通によって、山住川に架(か)けられたものである。
 石工 奥園末吉 氏が請け負い(うけおい)、昭和3年1月25日に竣功(しゅんこう、完成すること。)し、工事費は当時のお金で980 円であった。 梅谷・尾平 間の道路開通に要した日数は100 余日、総工費1800円、夫役(ふえき)は延(の)べ3200人で、昭和3年4月24日に完成した。
 現在は道路として使われてはいないが、この太鼓橋を中心にした「ホタルの里」づくりが平成7年から梅谷集落の有志によって展開され、その活用が図(はか)られている。 例年5月下旬から2週間くらい、源氏蛍(ゲンジボタル)の幻想的な乱舞が見られる。
田野町 歴史の小径(こみち)
と書かれています。



写真AH: 「梅谷の太鼓橋 (たいこばし)」の説明板があります。
 田野町には山が多く、川は深い谷合(たにあい)をなしているところが多い。 そのためかっては、大雨が降(ふ)ると増水で橋が流されることが多かった。 流失に強い石橋が田野町に多く見られるのはそのためである。
 町内には唐仁田、元野、内八重 及(およ)び梅谷の各地区にそれぞれ石橋の道路橋があるが、平地と言ってよい隣(となり)の清武町では見られない。
 梅谷の太鼓橋(たいこばし)は、同地区から尾平を結ぶ道路開通によって、山住川に架(か)けられたものである。
 石工 奥園末吉 氏が請け負い(うけおい)、昭和3年1月25日に竣功(しゅんこう、完成すること。)し、工事費は当時のお金で980 円であった。 梅谷・尾平 間の道路開通に要した日数は100 余日、総工費1800円、夫役(ふえき)は延(の)べ3200人で、昭和3年4月24日に完成した。
 現在は道路として使われてはいないが、この太鼓橋を中心にした「ホタルの里」づくりが平成7年から梅谷集落の有志によって展開され、その活用が図(はか)られている。 例年5月下旬から2週間くらい、源氏蛍(ゲンジボタル)の幻想的な乱舞が見られる。
田野町 歴史の小径(こみち)
と書かれています。



写真AI: 石を積み重ねて造られた石橋で、下面がアーチ型をしています。 石造りアーチ橋です。 梅谷の太鼓橋(たいこばし)と呼(よ)ばれます。 アーチ型の部分は規則正しく石が重ねてあります。 その他の部分は石がいろんな向きに積んであります。 山住川(やまずみがわ)の上流側から見たものです。
「梅谷橋 (石橋の太鼓橋(たいこばし))」は宮崎県 宮崎市 田野町 梅谷にあります。
「梅谷橋 (石橋の太鼓橋(たいこばし))」は清武川の支流の山住川(やまずみがわ)にかかっています。 今はほとんど使用されていません。 以前は梅谷と尾平(おひら)地区を結(むす)ぶ生活道路として利用されていました。 老朽化したのでこの下流約 50 m のところに1981年(昭和56年)、新しくコンクリート製の新山住橋が造られています。 古い方の橋は石橋 (石造りアーチ橋)で、高さ 約4 m 、長さ 15.2 m 、幅 3.4 m です。



写真AJ: 梅谷の太鼓橋(たいこばし)の南西端です。 説明板が白く見えます。 橋の欄干(らんかん)も見えています。
奥に新しくできた橋(コンクリート製の新山住橋)も見えています。



写真AK: 梅谷の太鼓橋(たいこばし)の南西端付近です。 農作業の建物、田んぼなどがあります。



写真AL: 奥に来た道のガードレールが見えます。



写真AM: 宮崎市 田野町にある「梅谷の太鼓橋(たいこばし)」の北東端の部分です。 積んだ石に沿(そ)って水が滝のように落ちています。 石橋にはシダ類などの植物が生(は)えています。



写真AN: 梅谷の石橋に沿って水が滝のように落ちています。 石橋のアーチ型の部分には石がレンガのように規則正しく積まれていることが分かります。 下に山住川(やまずみがわ)の水が見えます。



写真AO: 「梅谷の太鼓橋(たいこばし)」の中央部を脇(わき)から見たものです。 石橋のアーチ型の部分は2重にレンガのような形の石が規則正しく積まれていることが分かります。



写真AP: 石橋のアーチ型の部分は2重にレンガのような形の石が規則正しく積まれていることが分かります。 その他の部分はいろんな形の石が積まれています。 眺(なが)めていると面白(おもしろ)いと思います。



写真AQ: 石橋の下の山住川(やまずみがわ)の流れです。 川底の石も見えます。



写真AR: 下流側にはコンクリートで造った新しい橋(コンクリート製の新山住橋、1981年(昭和56年)完成しました。)が見えます。



写真AS: 下流側から見た「梅谷の太鼓橋(たいこばし)」です。



写真AT: 下流側から見た「梅谷(うめたに)の太鼓橋(たいこばし)」です。 こちら側にもシダ類などの植物が石橋から生(は)えています。
「梅谷橋 (石橋の太鼓橋(たいこばし))」は宮崎県 宮崎市 田野町 梅谷にあります。
「梅谷橋 (石橋の太鼓橋(たいこばし))」は清武川の支流の山住川(やまずみがわ)にかかっています。 今はほとんど使用されていません。 以前は梅谷と尾平(おひら)地区を結(むす)ぶ生活道路として利用されていました。 老朽化したのでこの下流約 50 m のところに1981年(昭和56年)、新しくコンクリート製の新山住橋が造られています。 古い方の橋は石橋 (石造りアーチ橋)で、高さ 約4 m 、長さ 15.2 m 、幅 3.4 m です。



写真AU: 梅谷の石橋の北東端付近です。 この太鼓橋(たいこばし)は今はほどんど使われていないので、奥の道(左右にあります。)に草が生(は)えています。



写真AV: 石橋の下流側です。



写真AW: 梅谷の太鼓橋(たいこばし)の上を渡ります。 上面はコンクリートで出来ています。 両側の欄干(らんかん)の様子(ようす)がよく分かります。 奥は石橋の北東端です。



写真AX: 梅谷の太鼓橋から上流方向を見たものです。 左岸(下流を見て左です。)に沿(そ)っている道が見えます。 人家、田んぼ、農業用ビニールハウスも見えています。



写真AY: 「梅谷の太鼓橋」から見下(お)ろした山住川です。 白い水しぶきも見えます。 上流側です。



写真AZ: 梅谷の太鼓橋から下流にあるコンクリート製の新しい橋(新山住橋、1981年(昭和56年)完成しました。)を見たものです。 左に農業用の建物が見えます。



写真BA: 梅谷の太鼓橋から下流を見たものです。 右岸(下流を見て右です。)には木が茂(しげ)っています。 左岸には草が茂っています。 奥に新しい橋(コンクリート製の新山住橋、1981年(昭和56年)完成しました。)が見えます。



写真BB: 「梅谷の太鼓橋」から山住川を見下ろしたものです。 下(川底)に正方形の石を敷(し)いてあります。 下流側です。 手前は欄干(らんかん)です。



写真BC: 渡った石橋の北東端の右手に小型の滝が見えます。 白い水流が見えています。 奥は山です。



写真BD: 渡った石橋の北東端の右手にある小型の滝です。



写真BE: 渡った石橋の北東端の左手です。 今はほとんど人が通っていないので野草が茂っています。 古い道があります。



写真BF: 渡った石橋の北東端の右手です。 今はほとんど人が通っていないようです。 古い道があります。 小型の滝も見えます。



写真BG: 渡った石橋の北東端の右手です。 古い道があります。



写真BH: 渡った石橋(梅谷の太鼓橋)を振り返ったもの。
「梅谷橋 (石橋の太鼓橋(たいこばし))」は宮崎県 宮崎市 田野町 梅谷にあります。
「梅谷橋 (石橋の太鼓橋(たいこばし))」は清武川の支流の山住川(やまずみがわ)にかかっています。 今はほとんど使用されていません。 以前は梅谷と尾平(おひら)地区を結(むす)ぶ生活道路として利用されていました。 老朽化したのでこの下流約 50 m のところに1981年(昭和56年)、新しくコンクリート製の新山住橋が造られています。 古い方の橋は石橋 (石造りアーチ橋)で、高さ 約4 m 、長さ 15.2 m 、幅 3.4 m です。



写真BI: 振り返ったもの。



写真BJ: 石橋の上を渡った後、引き返しました。



写真BK: 「ガクアジサイの花」が咲いていました。



写真BL: 来た道を戻(もど)ります。



写真BM: はじめに来た道を戻(もど)る途中(とちゅう)に、JR日豊本線の「野頭跨線橋」 (昭和49年3月竣工(しゅんこう、完成すること。))があります。 左奥に鰐塚山 (わにつかやま、標高 1118.1 m)が見えます。 右奥に国道269号線との十字路にある交通信号機が小さく見えます。 宮崎県 宮崎市 田野町です。



写真BN: 左手前に日豊本線の架線(かせん)と碍子(がいし)、柱があります。 その奥に国道269号線の車が見えます。 遠くに鰐塚山(わにつかやま)の上のテレビ送信アンテナ、FM放送送信アンテナも小さく見えます。 南西を見た景色です。



写真BO: 鰐塚山 (わにつかやま、標高 1118.1 m)が南西に見えています。 その上のテレビ送信アンテナ、FM放送送信アンテナも見えます。 手前に国道269号線と車が見えます。



写真BP: 「野頭跨線橋 (こせんきょう)」の上から日豊本線の上(のぼ)り方向を見たものです。 単線のレール、電車の電線(架線(かせん))、電柱も見えます。 右奥に国道269号線の自動車が見えます。 左の山は荒平山(標高 602.9 m)、右の山は前平山(標高 622.1 m)と思われます。



写真BQ: 野頭跨線橋に「昭和49年3月竣工(しゅんこう、完成すること。)」と書いてあります。



写真BR: 日豊本線の下(くだ)り方向を見たものです。 両側は畑になっています。 田野町の野頭跨線橋から。
電車の電線(架線)の様子(ようす)がよく分かります。



写真BS: 「野頭跨線橋」と書いてあります。



写真BT: 野頭跨線橋に「日豊本線」と書いてあります。



写真BU: 電車の電柱はこのようになっています。 大きな白い碍子(がいし)も見えます。



写真BV: 野頭跨線橋に「きけん 電線注意」、「ここから あぶない」と書いてある看板(かんばん)があります。
左の山は荒平山(標高 602.9 m)、右の山は前平山(標高 622.1 m)と思われます。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)