島津稲荷神社 (しまづいなりじんじゃ) (県内最古の神面、島津家の初代 島津忠久が造った稲荷神社、島津義久も来た稲荷神社、江戸時代までは別当寺として真言宗 明婦山 正覚院 和光寺があった)  (宮崎県 都城市 郡元町)







<標高、位置>  島津稲荷神社 (しまづいなりじんじゃ)は
標高 約150 m
 北緯31度44分51秒  東経131度05分34秒


 「島津稲荷神社 (しまづいなりじんじゃ)」は宮崎県 都城市 郡元町 4丁目23-17にあります。
島津稲荷神社は島津発祥の地である祝吉御所跡(いわよしごしょあと、都城市 郡元町)の近くにあります。 主祭神は豊受姫大神、大宮売神、猿田彦神です。 島津忠久が島津荘に下向した建久8年(1197年)に忠久によって建てられました。 古くは島津稲荷宮と称(しょう)していました。 11月1日には島津稲荷神社で五穀豊穣、無病息災、健康長寿を祈って神舞(かんめ)が舞われます。 これは刀(真剣)と榊(さかき)を手に持って踊ります。 都城市で現存している唯一の神楽(かぐら)と言われています。
 「稲荷神社」の説明板から、
 社伝では、島津 氏 初代 忠久(島津忠久)が建久8年(1197年)に創建したといわれている。 この社は島津本家の祭る稲荷神社の一つであり、古くは「島津稲荷」、「稲荷大明神」と称(しょう)した。 当時の武家の尊崇を厚く受け、中でも天文年間には、北郷忠相が社殿を修復し、また慶長年間におきた庄内の乱の後にも島津義久、北郷忠能らが参詣(さんけい)したと伝承される。
現在の本殿は、享保14年(1729年)に再建され、内神殿は中型の彩色社殿である。 屋根につく木製鳥・破風板などはこの再建時よりも年代はさかのぼる。 また、同社に伝来する永和5年(1379年)墨書銘(ぼくしょめい)のある神面は県内最古のものである。 なお、旧藩時代までは、稲荷大明神の別当寺として、「明婦山正覚院和光寺」(真言宗)があり、旧社地の東一帯はその跡にあたる。

 島津稲荷神社の本殿の屋根は切妻造り(きりづまづくり)です。 千木(ちぎ)は外切りで、鰹木(かつおぎ)は円筒形です。
神社の屋根は一般に「切妻造り(きりづまづくり)」です。 切妻造りとは本を開いて伏(ふ)せた形の屋根です。 その上にクロスした棒があります。 これが「千木(ちぎ)」です。 千木の上端を水平に切ったものが「内切り」で、千木の先端を鉛直に切ったものが「外切り」です。 屋根の上に水平に置かれた棒もあります。 これが「鰹木(かつおぎ)」です。 千木、鰹木は古墳時代の埴輪(はにわ)の家にもあります。 もともとは構造上必要な物でしたが、現在は装飾的なものになっています。



写真A: 国道269号線のそばに島津稲荷神社の大きな鳥居(とりい)があります。 右は国道269号線で先に進むと山之口町、宮崎市に行きます。 手前に進むと国立病院機構 都城病院、都城駅、国道10号線などに行きます。 北東を見たものです。 「島津稲荷神社 (しまづいなりじんじゃ)」は宮崎県 都城市 郡元町 4丁目23-17にあります。



写真B: 都城市にある島津稲荷神社の一の鳥居(とりい)です。 北を見たもの。
「島津稲荷神社 (しまづいなりじんじゃ)」は宮崎県 都城市 郡元町 4丁目23-17にあります。
島津稲荷神社は島津発祥の地である祝吉御所跡(いわよしごしょあと、都城市 郡元町)の近くにあります。 主祭神は豊受姫大神、大宮売神、猿田彦神です。 島津忠久が島津荘に下向した建久8年(1197年)に忠久によって建てられました。 古くは島津稲荷宮と称(しょう)していました。 11月1日には島津稲荷神社で五穀豊穣、無病息災、健康長寿を祈って神舞(かんめ)が舞われます。 これは刀(真剣)と榊(さかき)を手に持って踊ります。 都城市で現存している唯一の神楽(かぐら)と言われています。



写真C: 「稲荷神社」と書いてある額(がく)が鳥居にあります。



写真D: 手前は国道269号線です。



写真E: 島津稲荷神社の一の鳥居の近くです。



写真F: 国道269号線の都城駅の方を見たものです。



写真G: 鳥居(とりい)の近くです。



写真H: 国道269号線。



写真I: テレビゲーム、DVD、CD、本などの店があります。



写真J: 国道269号線の山之口町、宮崎市方向を見たものです。



写真K: 島津稲荷神社の一の鳥居。



写真L: 鳥居の根元です。



写真M: 「平成12年度 祝吉、郡元 土地区画整備事業のために、この地に、移転新設する。 平成13年5月吉日」と鳥居の下部に書いてあります。



写真N: 奥に島津稲荷神社の鎮守(ちんじゅ)の森、赤い鳥居が見えます。 遠くに赤と白の製紙工場 エントツも見えます。 北を見たもの。



写真O: 島津稲荷神社の鎮守(ちんじゅ)の森、赤い鳥居が見えます。



写真P: 都城市にある「島津稲荷神社」の石灯籠(いしどうろう)、赤い鳥居(とりい)、奥に社殿も見えます。



写真Q: 島津稲荷神社です。
「島津稲荷神社 (しまづいなりじんじゃ)」は宮崎県 都城市 郡元町 4丁目23-17にあります。
島津稲荷神社は島津発祥の地である祝吉御所跡(いわよしごしょあと、都城市 郡元町)の近くにあります。 主祭神は豊受姫大神、大宮売神、猿田彦神です。 島津忠久が島津荘に下向した建久8年(1197年)に忠久によって建てられました。 古くは島津稲荷宮と称(しょう)していました。 11月1日には島津稲荷神社で五穀豊穣、無病息災、健康長寿を祈って神舞(かんめ)が舞われます。 これは刀(真剣)と榊(さかき)を手に持って踊ります。 都城市で現存している唯一の神楽(かぐら)と言われています。



写真R: 都城市 郡元にある島津稲荷神社。



写真S: 「島津稲荷神社 (しまづいなりじんじゃ)」は宮崎県 都城市 郡元町 4丁目23-17にあります。



写真T: 西を見たもの。



写真U: 東を見たものです。



写真V: 来た道を振り返ったもの。 南を見たものです。



写真W: 大きな石灯籠(いしどうろう)があります。



写真X: 大きな石灯籠(いしどうろう)に「丸に十の字」の島津の家紋(もん)があります。



写真Y: 右手にも3つの大きな石灯籠(いしどうろう)があります。 これにも「丸に十の字」の島津の家紋(もん)があります。



写真Z: 「奉納 島津の家紋 稲荷神社 上郡元 下郡元 稲荷 神之山」と書いてある幟(のぼり)があります。



写真AA: 「奉納 島津の家紋 稲荷神社 上郡元 下郡元 稲荷 神之山」と書いてある幟(のぼり)。



写真AB: 赤い鳥居から南を見たものです。 奥に一の鳥居が見えます。



写真AC: 赤い鳥居の下部です。



写真AD: 島津稲荷神社の境内(けいだい)です。 説明板もあります。 西を見たもの。



写真AE: 一番奥に拝殿、次に社務所も見えます。 島津稲荷神社の境内(けいだい)です。



写真AF: 右に石碑(せきひ)、石灯籠(いしどうろう)があります。



写真AG: 島津稲荷神社の境内(けいだい)。



写真AH: 鳥居の下部です。 奥に石灯籠(いしどうろう)も見えます。



写真AI: 遠くに一の鳥居が見えます。



写真AJ: 「稲荷神社」の説明板です。
 社伝では、島津 氏 初代 忠久(島津忠久)が建久8年(1197年)に創建したといわれている。
 この社は島津本家の祭る稲荷神社の一つであり、古くは「島津稲荷」、「稲荷大明神」と称(しょう)した。 当時の武家の尊崇を厚く受け、中でも天文年間には、北郷忠相が社殿を修復し、また慶長年間におきた庄内の乱の後にも島津義久、北郷忠能らが参詣(さんけい)したと伝承される。
 現在の本殿は、享保14年(1729年)に再建され、内神殿は中型の彩色社殿である。 屋根につく木製鳥・破風板などはこの再建時よりも年代はさかのぼる。 また、同社に伝来する永和5年(1379年)墨書銘(ぼくしょめい)のある神面は県内最古のものである。
 なお、旧藩時代までは、稲荷大明神の別当寺として、「明婦山正覚院和光寺」(真言宗)があり、旧社地の東一帯はその跡にあたる。
平成9年1月 都城市教育委員会
と書かれています。



写真AK: 「稲荷神社」の説明板です。
 社伝では、島津 氏 初代 忠久(島津忠久)が建久8年(1197年)に創建したといわれている。
 この社は島津本家の祭る稲荷神社の一つであり、古くは「島津稲荷」、「稲荷大明神」と称(しょう)した。 当時の武家の尊崇を厚く受け、中でも天文年間には、北郷忠相が社殿を修復し、また慶長年間におきた庄内の乱の後にも島津義久、北郷忠能らが参詣(さんけい)したと伝承される。
 現在の本殿は、享保14年(1729年)に再建され、内神殿は中型の彩色社殿である。 屋根につく木製鳥・破風板などはこの再建時よりも年代はさかのぼる。 また、同社に伝来する永和5年(1379年)墨書銘(ぼくしょめい)のある神面は県内最古のものである。
 なお、旧藩時代までは、稲荷大明神の別当寺として、「明婦山正覚院和光寺」(真言宗)があり、旧社地の東一帯はその跡にあたる。
平成9年1月 都城市教育委員会
と書かれています。



写真AL: 「稲荷神社」の説明板です。
 社伝では、島津 氏 初代 忠久(島津忠久)が建久8年(1197年)に創建したといわれている。
 この社は島津本家の祭る稲荷神社の一つであり、古くは「島津稲荷」、「稲荷大明神」と称(しょう)した。 当時の武家の尊崇を厚く受け、中でも天文年間には、北郷忠相が社殿を修復し、また慶長年間におきた庄内の乱の後にも島津義久、北郷忠能らが参詣(さんけい)したと伝承される。
 現在の本殿は、享保14年(1729年)に再建され、内神殿は中型の彩色社殿である。 屋根につく木製鳥・破風板などはこの再建時よりも年代はさかのぼる。 また、同社に伝来する永和5年(1379年)墨書銘(ぼくしょめい)のある神面は県内最古のものである。
 なお、旧藩時代までは、稲荷大明神の別当寺として、「明婦山正覚院和光寺」(真言宗)があり、旧社地の東一帯はその跡にあたる。
平成9年1月 都城市教育委員会
と書かれています。



写真AM: 「稲荷神社」の説明板です。
 社伝では、島津 氏 初代 忠久(島津忠久)が建久8年(1197年)に創建したといわれている。
 この社は島津本家の祭る稲荷神社の一つであり、古くは「島津稲荷」、「稲荷大明神」と称(しょう)した。 当時の武家の尊崇を厚く受け、中でも天文年間には、北郷忠相が社殿を修復し、また慶長年間におきた庄内の乱の後にも島津義久、北郷忠能らが参詣(さんけい)したと伝承される。
 現在の本殿は、享保14年(1729年)に再建され、内神殿は中型の彩色社殿である。 屋根につく木製鳥・破風板などはこの再建時よりも年代はさかのぼる。 また、同社に伝来する永和5年(1379年)墨書銘(ぼくしょめい)のある神面は県内最古のものである。
 なお、旧藩時代までは、稲荷大明神の別当寺として、「明婦山正覚院和光寺」(真言宗)があり、旧社地の東一帯はその跡にあたる。
平成9年1月 都城市教育委員会
と書かれています。



写真AN: 「平和祈念之碑」があります。



写真AO: 「平和祈念之碑」があります。



写真AP: 「平和祈念之碑」があります。
碑文(ひぶん)
 現在の平和は終戦以来半世紀にわたり激動の戦後を生き抜いた私達の努力により築きあげられた。
然(しか)し、先の大戦に於(お)いて平和を願い祖国を離れ各地域に転戦し国のために尊い命を捧(ささ)げ華と散り、未だ還らぬ戦友も数多い。 戦後50年にあたり、当時の恐ろしさを後世に語り伝え、このような悲惨な戦争を再び繰り返さないよう、そして世界の恒久平和を祈念(きねん)しこの碑を建立(こんりゅう)する。
平成7年8月15日
と書いてあります。



写真AQ: 「平和祈念之碑」があります。
碑文(ひぶん)
 現在の平和は終戦以来半世紀にわたり激動の戦後を生き抜いた私達の努力により築きあげられた。
然(しか)し、先の大戦に於(お)いて平和を願い祖国を離れ各地域に転戦し国のために尊い命を捧(ささ)げ華と散り、未だ還らぬ戦友も数多い。 戦後50年にあたり、当時の恐ろしさを後世に語り伝え、このような悲惨な戦争を再び繰り返さないよう、そして世界の恒久平和を祈念(きねん)しこの碑を建立(こんりゅう)する。
平成7年8月15日
と書いてあります。



写真AR: 「丸に十の字の島津の家紋(かもん) 島津稲荷神社」の幟(のぼり)があります。



写真AS: 右部分はトイレです。



写真AT: 社務所です。



写真AU: 奥に拝殿、左に社務所があります。 都城市にある島津稲荷神社です。



写真AV: 「献木 くろがねもち 5本、さくら 5本」の標識棒があります。



写真AW: 島津稲荷神社の境内(けいだい)。



写真AX: 境内から南を見たものです。 赤い鳥居、石灯籠、幟(のぼり)などが見えます。



写真AY: 「丸に十の字の島津の家紋 島津稲荷神社」と社務所の入り口に書いてあります。



写真AZ: 御神籤(おみくじ)を縛(しば)りつけるものが見えます。



写真BA: 手水舎(ちょうずや)があります。



写真BB: 右から拝殿、本殿、末社、手水舎(ちょうずや)があります。 島津稲荷神社。



写真BC: 末社があります。



写真BD: 島津稲荷神社にある末社です。



写真BE: 南を見たものです。 右に手水舎、社務所があります。



写真BF: 拝殿の奥に本殿の屋根が見えています。 都城市にある島津稲荷神社です。
「島津稲荷神社 (しまづいなりじんじゃ)」は宮崎県 都城市 郡元町 4丁目23-17にあります。
島津稲荷神社は島津発祥の地である祝吉御所跡(いわよしごしょあと、都城市 郡元町)の近くにあります。 主祭神は豊受姫大神、大宮売神、猿田彦神です。 島津忠久が島津荘に下向した建久8年(1197年)に忠久によって建てられました。 古くは島津稲荷宮と称(しょう)していました。 11月1日には島津稲荷神社で五穀豊穣、無病息災、健康長寿を祈って神舞(かんめ)が舞われます。 これは刀(真剣)と榊(さかき)を手に持って踊ります。 都城市で現存している唯一の神楽(かぐら)と言われています。



写真BG: 石造物が3つ見えます。



写真BH: これは人の顔が彫(ほ)ってあるようです。 島津稲荷神社にある石造物です。 明治37年1月建立。



写真BI: これは人の顔が彫(ほ)ってあるようです。 島津稲荷神社にある石造物の下部です。 明治37年1月建立。



写真BJ: 南を見たものです。 島津稲荷神社の境内(けいだい)。



写真BK: 古いお守り、御札(おふだ)を入れる箱があります。 石造物があります。 中央の木にしめ縄があります。



写真BL: 「丸に十の字の島津の家紋 島津稲荷神社」と「奉納 丸に十の字の島津の家紋 稲荷神社」と書いてある幟(のぼり)があります。



写真BM: 境内(けいだい)にある木です。



写真BN: 宮崎県 都城市 郡元 4丁目23-17 にある「島津稲荷神社」の拝殿です。 右に鳥居(とりい)があります。 北を見たものです。



写真BO: 石造物があります。



写真BP: 島津稲荷神社にある石造物です。



写真BQ: 奥に小さめの社殿、手前に赤い鳥居(とりい)があります。 左は拝殿です。 右に椿(つばき)の赤い花が見えます。



写真BR: 島津稲荷神社の拝殿です。 横木に彫刻があります。 横木の両端に象の彫(ほ)り物があります。 しめ縄、蛍光灯、鈴のヒモも見えます。



写真BS: 天井(てんじょう)に鈴、鈴のヒモ、しめ縄、御幣(ごへい)、蛍光灯も見えます。



写真BT: 拝殿の下部です。 階段、鈴のヒモ、供え物(そなえもの)があります。



写真BU: 島津稲荷神社にある末社です。 左に石造物もあります。 西を見たもの。



写真BV: 末社です。 中にしめ縄、御幣(ごへい)、石もあります。



写真BW: 拝殿の西にある末社が見えます。 左に石灯籠(いしどうろう)、石造物、幟(のぼり)の奥に鳥居(とりい)もあります。 北を見たものです。



写真BX: 石灯籠の下部です。



写真BY: 東を見たものです。 東の部分に江戸時代までは稲荷大明神の別当寺として、「明婦山正覚院和光寺」(真言宗)がありました。 左は拝殿です。



写真BZ: 左に本殿の屋根が見えています。 右は拝殿です。 都城市にある島津稲荷神社。
「島津稲荷神社 (しまづいなりじんじゃ)」は宮崎県 都城市 郡元町 4丁目23-17にあります。
島津稲荷神社は島津発祥の地である祝吉御所跡(いわよしごしょあと、都城市 郡元町)の近くにあります。 主祭神は豊受姫大神、大宮売神、猿田彦神です。 島津忠久が島津荘に下向した建久8年(1197年)に忠久によって建てられました。 古くは島津稲荷宮と称(しょう)していました。 11月1日には島津稲荷神社で五穀豊穣、無病息災、健康長寿を祈って神舞(かんめ)が舞われます。 これは刀(真剣)と榊(さかき)を手に持って踊ります。 都城市で現存している唯一の神楽(かぐら)と言われています。



写真CA: 手前に鳥居、奥に末社、その右に本殿、拝殿が見えます。



写真CB: 北西を見たものです。



写真CC: 西を見たもの。



写真CD: 南西を見た景色です。



写真CE: 南を見たものです。 島津稲荷神社の境内(けいだい)。



写真CF: 拝殿を北西から見たものです。



写真CG: 西から見た社殿です。 左は本殿、右は拝殿です。



写真CH: 中央が島津稲荷神社の本殿です。 左は末社、右は拝殿です。
本殿の屋根に千木(ちぎ)と鰹木(かつおぎ)が見えています。
神社の屋根は一般に「切妻造り(きりづまづくり)」です。 切妻造りとは本を開いて伏(ふ)せた形の屋根です。 その上にクロスした棒があります。 これが「千木(ちぎ)」です。 千木の上端を水平に切ったものが「内切り」で、千木の先端を鉛直に切ったものが「外切り」です。 屋根の上に水平に置かれた棒もあります。 これが「鰹木(かつおぎ)」です。
 千木、鰹木は古墳時代の埴輪(はにわ)の家にもあります。 もともとは構造上必要な物でしたが、現在は装飾的なものになっています。



写真CI: 本殿の屋根に「丸に十の字の島津の家紋(かもん)」があります。 島津稲荷神社。
本殿の屋根に千木(ちぎ)と円筒形の鰹木(かつおぎ)が見えています。
神社の屋根は一般に「切妻造り(きりづまづくり)」です。 切妻造りとは本を開いて伏(ふ)せた形の屋根です。 その上にクロスした棒があります。 これが「千木(ちぎ)」です。 千木の上端を水平に切ったものが「内切り」で、千木の先端を鉛直に切ったものが「外切り」です。 屋根の上に水平に置かれた棒もあります。 これが「鰹木(かつおぎ)」です。 千木、鰹木は古墳時代の埴輪(はにわ)の家にもあります。 もともとは構造上必要な物でしたが、現在は装飾的なものになっています。



写真CJ: 右は本殿、左は末社です。



写真CK: 北を見たものです。 奥に広場があります。



写真CL: 広場があります。



写真CM: 北に赤と白の製紙工場 エントツも見えます。



写真CN: 島津稲荷神社の境内です。



写真CO: 島津稲荷神社の本殿(左)と末社です。



写真CP: 本殿、末社、右に赤い鳥居(とりい)も見えます。



写真CQ: 南を見たものです。 左端は本殿、末社、鳥居、幟(のぼり)も見えます。



写真CR: 右は本殿、左は末社です。



写真CS: 北東を見た景色です。 赤と白の製紙工場 エントツも見えます。



写真CT: 末社と左に石碑(せきひ)があります。 東を見たものです。 島津稲荷神社。



写真CU: 石碑(せきひ)と御幣(ごへい)があります。 右は鳥居です。



写真CV: 島津稲荷神社の境内です。 右に社殿が見えます。 南を見たものです。



写真CW: 南西を見た景色です。 奥に社殿があります。



写真CX: 境内です。



写真CY: 西を見たもの。 左は末社で下に石碑があります。 右は広場です。



写真CZ: 左は末社です。 大きな木があります。



写真DA: 木の上部です。



写真DB: 北西を見た景色です。 広場になっています。 左に石碑があります。



写真DC: 北を見たものです。



写真DD: 南を見たものです。 このあたりには江戸時代までは稲荷大明神の別当寺として、「明婦山正覚院和光寺」(真言宗)がありました。 右は末社です。



写真DE: 右は本殿、左は拝殿で手前に末社が見えます。 南西を見たものです。



写真DF: 本殿の屋根が見えます。
本殿の屋根に外切りの千木(ちぎ)と鰹木(かつおぎ)が見えています。
神社の屋根は一般に「切妻造り(きりづまづくり)」です。 切妻造りとは本を開いて伏(ふ)せた形の屋根です。 その上にクロスした棒があります。 これが「千木(ちぎ)」です。 千木の上端を水平に切ったものが「内切り」で、千木の先端を鉛直に切ったものが「外切り」です。 屋根の上に水平に置かれた棒もあります。 これが「鰹木(かつおぎ)」です。 千木、鰹木は古墳時代の埴輪(はにわ)の家にもあります。 もともとは構造上必要な物でしたが、現在は装飾的なものになっています。



写真DG: 右手前は末社です。 左は拝殿です。



写真DH: 島津稲荷神社の拝殿です。 南西を見たものです。



写真DI: 島津稲荷神社の拝殿です。



写真DJ: 南を見たものです。 「正一位 稲荷大明神」と書いてある幟(のぼり)があります。 鳥居、石造物、国旗掲揚ポール、右に拝殿も見えます。



写真DK: 境内には木が多くあります。



写真DL: 中央に手水舎(ちょうずや)、左に社務所があります。



写真DM: 南を見た景色です。 右は社務所、赤い鳥居も見えます。



写真DN: 「奉献、丸に十の字の島津の家紋(かもん)」が彫(ほ)ってある御手洗(みたらい)です。



写真DO: 「島津稲荷神社」の御手洗(みたらい)です。 青竹が並(なら)べてあります。 柄杓(ひしゃく)もいくつか見えます。



写真DP: 「丸に十の字の島津の家紋(かもん)、島津稲荷神社 社務所」と書いてあります。
「島津稲荷神社 (しまづいなりじんじゃ)」は宮崎県 都城市 郡元町 4丁目23-17にあります。
島津稲荷神社は島津発祥の地である祝吉御所跡(いわよしごしょあと、都城市 郡元町)の近くにあります。 主祭神は豊受姫大神、大宮売神、猿田彦神です。 島津忠久が島津荘に下向した建久8年(1197年)に忠久によって建てられました。 古くは島津稲荷宮と称(しょう)していました。 11月1日には島津稲荷神社で五穀豊穣、無病息災、健康長寿を祈って神舞(かんめ)が舞われます。 これは刀(真剣)と榊(さかき)を手に持って踊ります。 都城市で現存している唯一の神楽(かぐら)と言われています。



写真DQ: 「神宮大麻と氏神さまのお神札をおまつりしましょう。 神宮大麻(伊勢神宮の御神札)は、皇室の御祖先神・伊勢の神宮において奉製され、全国の氏神さまを通して各家庭にお祀(まつ)りされています。 新しい年を迎え、神宮大麻と氏神さまのお神札をお祀りして、家庭の平安と幸福をお祈りしましょう。」と書いてあります。



写真DR: 奥に島津稲荷神社の一の鳥居、手前に二の鳥居が見えます。 南を見た景色です。



写真DS: 倒れた木から、左右に木が大きく育っているものと思われます。 右に石灯籠も見えます。 東を見たものです。 島津稲荷神社。



写真DT: その木の中部です。



写真DU: その木の上部。



写真DV: 木の上部です。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)