大塚八幡神社 (大塚神社 神楽練習殿、大塚神楽 (かぐら)、若宮神社、大塚祖霊社、大塚神社社務所、御神札御神符授与所、居合道(いあいどう)の中村道場)  (宮崎県 宮崎市 大塚町 原ノ前 1598)







<標高、位置>  大塚八幡神社 (おおつかはちまんじんじゃ)は
標高 数 m
 北緯31度55分12秒  東経131度23分46秒

<標高、位置>  大塚八幡神社の「一の鳥居(とりい)」は
標高 数 m
 北緯31度55分08秒  東経131度23分47秒

<標高、位置>  大淀川の「宮崎大橋」は
標高 数 m
 北緯31度55分13秒  東経131度24分12秒


 「大塚八幡神社 (おおつかはちまんじんじゃ)」は宮崎県 宮崎市 大塚町 原ノ前 1598 にあります。
「大塚八幡神社 縁起(えんぎ)」の説明版から、
当神社は第55代 文徳天皇の御代 斎衡年間 (854年〜857年)に土持冠者景綱が宇佐神宮(大分県にあります。)の御分霊を戴(いただ)き祀(まつ)って創建された。
時代は下って第90代 亀山天皇の文永元年鎌倉(1264年) 飫肥藩(おびはん)祖 藤原祐亮が社殿を再興、その後たび重(かさ)なる修改築を経(へ)て現在に至(いた)っている。 現社殿は第124代 昭和天皇の御代、昭和59年に造営相成ったものである。
御祭神
玉依姫命 (タマヨリヒメノミコト: 神武天皇の御母、息長帯姫命 (オキナガタラシヒメノミコト): 第14代 仲哀天皇の后 神功皇后、品陀和気命 (ホムダワケノミコト): 第15代 応神天皇
ご祭神の御神徳から家内安全・五穀豊穣。諸業の繁栄・安産・子安(子供を守る)・学問学術向上の神様として崇(あが)められている。

 大塚八幡神社の大塚神社神楽(かぐら)は400年〜500年以上前から伝わっている有名な神楽です。

 剣道の一種である居合道(いあいどう)の「中村道場」が大塚八幡神社の駐車場の西隣(にしどな)りにあります。
居合道とは片膝(かたひざ)を立てて、すばやく刀を抜(ぬ)き放(はな)って敵を斬(き)り倒す技です。 元亀(1570年〜1573年)・天正(1573年〜1592年)の頃、林崎重信にはじまると言われています。 居合抜き(いあいぬき)ともいい、後には大道芸化しました。

 「大塚(おおつか)」という地名: 明治時代の初め頃(ごろ)に大塚町には古墳(こふん)が約50 基ありました。 1937年(昭和12年)に前方後円墳が3 基、円墳が3 基、横穴墓が1 基あって県の史跡となっています。 このように古墳が多くあったので「大塚」という地名となったようです。


写真A: 宮崎県 宮崎市にある国道10号線です。 東を見たもの。 奥に大淀川にかかっている宮崎大橋があります。 左にFUTATA 紳士服のフタタが見えます。



写真B: 東を見た景色です。 国道10号線です。 奥の高くなっているところが宮崎大橋です。



写真C: 南西を見たもの。 西日本シティ銀行です。



写真D: 国道10号線の西を見たもの。 ENEOSガソリンスタンドのところを左(南)に曲がると「大塚八幡神社」に行きます。



写真E: ENEOSガソリンスタンドのところを左(南)に曲がると「大塚八幡神社」に行きます。



写真F: 角(かど)には「きっちょううどん」、ケンタッキーフライドチキン、ENEOSガソリンスタンドがあります。 ここを左(南)に曲がると大塚八幡神社があります。 西を見たもの。



写真G: 曲がり角(かど)には「きっちょううどん」、ケンタッキーフライドチキン、ENEOSガソリンスタンドがあります。 これらが大塚八幡神社に行くときの目印しになります。



写真H: 南を見たものです。 右奥の森が大塚八幡神社の鎮守の森(ちんじゅのもり)です。
「大塚(おおつか)」という地名: 明治時代の初め頃(ごろ)に大塚町には古墳(こふん)が約50 基ありました。 1937年(昭和12年)に前方後円墳が3 基、円墳が3 基、横穴墓が1 基あって県の史跡となっています。 このように古墳が多くあったので「大塚」という地名となったようです。



写真I: 左にENEOSガソリンスタンドの看板(かんばん)があります。 宮崎県 宮崎市 大塚町 原ノ前 1598にある「大塚八幡神社」の鎮守の森が南に見えます。



写真J: 宮崎市 大塚町 原ノ前 1598にある「大塚八幡神社」の手前(北)に駐車場が見えます。
「大塚(おおつか)」という地名: 明治時代の初め頃(ごろ)に大塚町には古墳(こふん)が約50 基ありました。 1937年(昭和12年)に前方後円墳が3 基、円墳が3 基、横穴墓が1 基あって県の史跡となっています。 このように古墳が多くあったので「大塚」という地名となったようです。



写真K: 西を見たもの。 左は大塚八幡神社と駐車場です。



写真L: 南西を見たもの。 宮崎市 大塚町 原ノ前 1598にある「大塚八幡神社」の鎮守の森と駐車場です。 左の道を奥(南)に進みます。



写真M: ここは十字路になっています。 奥に進みます。



写真N: 「クロガネモチの赤い実」がなっていました。



写真O: 右が大塚八幡神社です。 南を見たものです。



写真P: 大塚八幡神社の鎮守の森です。 南西を見たもの。
「郷土の名木」になっている大きな木です。 大塚八幡神社のタブノキです。 駐車場のそばにあります。
「郷土の名木」
タブノキ、指定番号 第194号、昭和51年3月1日



写真Q: 「郷土の名木」になっている大きな木です。 大塚八幡神社のタブノキ。
「郷土の名木」
タブノキ、指定番号 第194号、昭和51年3月1日



写真R: 「郷土の名木」になっている大塚八幡神社のタブノキです。
「郷土の名木」
タブノキ、指定番号 第194号、昭和51年3月1日



写真S: 木の向こうに大塚八幡神社の赤い社殿が見えます。 西を見たもの。



写真T: 南を見たものです。 右は大塚八幡神社の境内(けいだい)です。



写真U: 西を見た景色です。 右は大塚八幡神社です。 先に進みます。 左の2本の大きな木のところから左(南)に参道があります。



写真V: 大塚八幡神社 境内(けいだい)の南東の隅(すみ)の部分です。



写真W: 来た道を振り返ったもの。 北を見たものです。 左は大塚八幡神社。



写真X: 北を見た景色です。 奥に国道10号線が左右(東西)に通っています。



写真Y: 東を見たもの。 このあたりは住宅地です。



写真Z: 西南西を見た景色です。 右は大塚八幡神社です。



写真AA: 大塚八幡神社の入り口から南に伸びる参道を歩きます。 西にホームセンターのナフコの看板(かんばん)が見えます。



写真AB: ホームセンターのナフコの看板です。



写真AC: 大塚八幡神社の「一の鳥居(いちのとりい)」から南を見たものです。 左の道を奥(南東)に行くと福島町、天満町などに行きます。



写真AD: 右は大塚八幡神社の一の鳥居、参道です。 左の車道を奥(北西)に行くと国道10号線に出ます。 ホームセンター ナフコの看板と駐車場も見えます。
「大塚(おおつか)」という地名: 明治時代の初め頃(ごろ)に大塚町には古墳(こふん)が約50 基ありました。 1937年(昭和12年)に前方後円墳が3 基、円墳が3 基、横穴墓が1 基あって県の史跡となっています。 このように古墳が多くあったので「大塚」という地名となったようです。



写真AE: 宮崎県 宮崎市 大塚町 原ノ前 1598にある「大塚八幡神社(おおつかはちまんじんじゃ))」の一の鳥居(いちのとりい)です。 参道が奥に続いています。 参道の両側にはナギの木があります。 北を見たものです。



写真AF: 一の鳥居に「大塚八幡神社」と書いてある額(がく)があります。



写真AG: 一の鳥居のそばに「耕地整理 記念碑」(大正2年11月建設)があります。



写真AH: 一の鳥居のそばにある「耕地整理 記念碑」(大正2年11月建設)。 「大塚耕地整理組合」と書いてあります。 今は市街地になっていますが、大正時代の頃(ころ)はこのあたりは農地が広がっていたのでしょう。



写真AI: 大塚八幡神社の参道です。 北を見たもの。 両脇(りょうわき)にナギの木の並木(なみき)があります。
「ナギ」は宮崎神宮の一の鳥居からの参道にもあります。
「ナギ」はマキ科の常緑高木で暖地に自生しています。 葉は多数の平行脈を有し、強靭(きょうじん)で光沢があります。 近畿地方の熊野地方で神木とされ、竹の葉に似(に)ている葉は古く鏡の裏やお守り袋に入れて災難除(よ)けにしました。




写真AJ: ナギの並木の奥に大塚八幡神社の赤い社殿が見えてきました。



写真AK: ナギの木がある参道と大塚八幡神社です。 北を見た景色です。
「大塚(おおつか)」という地名: 明治時代の初め頃(ごろ)に大塚町には古墳(こふん)が約50 基ありました。 1937年(昭和12年)に前方後円墳が3 基、円墳が3 基、横穴墓が1 基あって県の史跡となっています。 このように古墳が多くあったので「大塚」という地名となったようです。



写真AL: 参道の途中に溝(みぞ)があります。 東を見たもの。



写真AM: 参道の途中の溝。 西を見たもの。



写真AN: 参道の溝の橋の脇(わき)に御幣(ごへい)が供(そな)えてありました。



写真AO: 南から見た宮崎市にある「大塚八幡神社 (おおつかはちまんじんじゃ)」です。



写真AP: 参道から見た大塚八幡神社です。



写真AQ: 参道から見た大塚八幡神社。 左に2階建ての大塚神社神楽練習殿が見えます。



写真AR: 「大塚八幡神社」は宮崎県 宮崎市 大塚町 原ノ前 1598にあります。 二の鳥居(にのとりい)、赤い拝殿、狛犬(こまいぬ)、石灯籠(いしどうろう)、左に手水舎(ちょうずや)、右に石碑(せきひ)、ミラーなどが見えます。
大塚八幡神社の大塚神社神楽(かぐら)は400年〜500年以上前から伝わっている有名な神楽です。



写真AS: 大塚八幡神社です。



写真AT: 東を見たもの。 左は大塚八幡神社。



写真AU: 左は大塚神社 神楽練習殿 (かぐられんしゅうでん)です。



写真AV: 西を見たもの。



写真AW: 石灯籠(いしどうろう)(昭和14年4月建立)があります。



写真AX: 石灯籠(昭和14年4月建立)の下部です。



写真AY: 二の鳥居のそばにある狛犬(こまいぬ)です。



写真AZ: もう一つのコマイヌです。 右に石碑(せきひ)がいくつか見えます。



写真BA: 石灯籠(昭和14年4月建立)です。 東を見たもの。



写真BB: 二の鳥居にしめ縄(なわ)と御幣(ごへい)があります。



写真BC: 二の鳥居(にのとりい)にも「大塚八幡神社」と書いてある額(がく)があります。



写真BD: 二の鳥居から見た大塚八幡神社の拝殿です。 左奥に若宮神社が見えます。
大塚八幡神社の大塚神社神楽(かぐら)は400年〜500年以上前から伝わっている有名な神楽です。



写真BE: 境内(けいだい)から見た二の鳥居と参道です。 右に国旗掲揚(こっきけいよう)のポールがあります。 石灯籠、石碑(せきひ)もあります。 南を見たもの。



写真BF: 二の鳥居の上部です。 奥にナギの並木がある参道も見えます。



写真BG: 二の鳥居の東のところです。 石碑、石灯籠があります。



写真BH: 大塚八幡神社の境内(けいだい)です。 石碑(せきひ)が見えます。 東を見たもの。



写真BI: 左端は拝殿です。 その右下に看板(かんばん)、3つ目の狛犬(こまいぬ)があります。 奥に石碑も見えます。 北東を見たもの。



写真BJ: 宮崎市 大塚町にある大塚八幡神社の拝殿です。 コマイヌもあります。 正月だったので門松(かどまつ)が見えます。



写真BK: 左は御神札御神符授与所、神木(しんぼく)、若宮神社、大塚八幡神社の拝殿、コマイヌが見えます。



写真BL: 社務所が見えます。 左は手水舎(ちょうずや)です。 西を見たもの。



写真BM: 右奥は大塚神社 神楽練習殿 (かぐられんしゅうでん)、手水舎(ちょうずや)、二の鳥居が見えます。 南西を見たもの。



写真BN: 中央の石造物は明治34年2月、右のものは明治33年11月に建立(こんりゅう)されました。 右端は手水舎(ちょうずや)、左端は二の鳥居です。



写真BO: 石造物に「明治34年2月」と彫(ほ)ってあります。



写真BP: 明治33年11月に建立(こんりゅう)された石造物です。



写真BQ: 石造物に「明治33年11月」と彫ってあります。



写真BR: 宮崎市にある大塚八幡神社の手水舎(ちょうずや)です。



写真BS: 大塚八幡神社の御手洗(みたらい)です。 「奉献」と書いてあります。



写真BT: 木の枝にお御籤(みくじ)を縛(しば)り付けてあります。 右は国旗掲揚(こっきけいよう)のポールです。



写真BU: 国旗掲揚のポール、おみくじを縛り付けた木も見えます。 南を見たもの。



写真BV: 国旗掲揚のポールの上部です。 左は二の鳥居、右は手水舎(ちょうずや)です。



写真BW: 「大塚八幡神社 縁起(えんぎ)」の説明版、手水舎(ちょうずや)の手ぬぐいも見えます。



写真BX: 「大塚八幡神社 縁起(えんぎ)」の説明版があります。
当神社は第55代 文徳天皇の御代 斎衡年間 (854年〜857年)に土持冠者景綱が宇佐神宮(大分県にあります。)の御分霊を戴(いただ)き祀(まつ)って創建された。
時代は下って第90代 亀山天皇の文永元年鎌倉(1264年) 飫肥藩(おびはん)祖 藤原祐亮が社殿を再興、その後たび重(かさ)なる修改築を経(へ)て現在に至(いた)っている。 現社殿は第124代 昭和天皇の御代、昭和59年に造営相成ったものである。
御祭神
玉依姫命 (タマヨリヒメノミコト: 神武天皇の御母、息長帯姫命 (オキナガタラシヒメノミコト): 第14代 仲哀天皇の后 神功皇后、品陀和気命 (ホムダワケノミコト): 第15代 応神天皇
ご祭神の御神徳から家内安全・五穀豊穣。諸業の繁栄・安産・子安(子供を守る)・学問学術向上の神様として崇(あが)められている。
と書かれています。



写真BY: 「大塚八幡神社 縁起(えんぎ)」の説明版があります。
当神社は第55代 文徳天皇の御代 斎衡年間 (854年〜857年)に土持冠者景綱が宇佐神宮(大分県にあります。)の御分霊を戴(いただ)き祀(まつ)って創建された。
時代は下って第90代 亀山天皇の文永元年鎌倉(1264年) 飫肥藩(おびはん)祖 藤原祐亮が社殿を再興、その後たび重(かさ)なる修改築を経(へ)て現在に至(いた)っている。 現社殿は第124代 昭和天皇の御代、昭和59年に造営相成ったものである。
御祭神
玉依姫命 (タマヨリヒメノミコト: 神武天皇の御母、息長帯姫命 (オキナガタラシヒメノミコト): 第14代 仲哀天皇の后 神功皇后、品陀和気命 (ホムダワケノミコト): 第15代 応神天皇
ご祭神の御神徳から家内安全・五穀豊穣。諸業の繁栄・安産・子安(子供を守る)・学問学術向上の神様として崇(あが)められている。
と書かれています。



写真BZ: 「大塚八幡神社 縁起(えんぎ)」の説明版があります。
当神社は第55代 文徳天皇の御代 斎衡年間 (854年〜857年)に土持冠者景綱が宇佐神宮(大分県にあります。)の御分霊を戴(いただ)き祀(まつ)って創建された。
時代は下って第90代 亀山天皇の文永元年鎌倉(1264年) 飫肥藩(おびはん)祖 藤原祐亮が社殿を再興、その後たび重(かさ)なる修改築を経(へ)て現在に至(いた)っている。 現社殿は第124代 昭和天皇の御代、昭和59年に造営相成ったものである。
御祭神
玉依姫命 (タマヨリヒメノミコト: 神武天皇の御母、息長帯姫命 (オキナガタラシヒメノミコト): 第14代 仲哀天皇の后 神功皇后、品陀和気命 (ホムダワケノミコト): 第15代 応神天皇
ご祭神の御神徳から家内安全・五穀豊穣。諸業の繁栄・安産・子安(子供を守る)・学問学術向上の神様として崇(あが)められている。
と書かれています。



写真CA: 「大塚八幡神社 縁起(えんぎ)」の説明版があります。
当神社は第55代 文徳天皇の御代 斎衡年間 (854年〜857年)に土持冠者景綱が宇佐神宮(大分県にあります。)の御分霊を戴(いただ)き祀(まつ)って創建された。
時代は下って第90代 亀山天皇の文永元年鎌倉(1264年) 飫肥藩(おびはん)祖 藤原祐亮が社殿を再興、その後たび重(かさ)なる修改築を経(へ)て現在に至(いた)っている。 現社殿は第124代 昭和天皇の御代、昭和59年に造営相成ったものである。
御祭神
玉依姫命 (タマヨリヒメノミコト: 神武天皇の御母、息長帯姫命 (オキナガタラシヒメノミコト): 第14代 仲哀天皇の后 神功皇后、品陀和気命 (ホムダワケノミコト): 第15代 応神天皇
ご祭神の御神徳から家内安全・五穀豊穣。諸業の繁栄・安産・子安(子供を守る)・学問学術向上の神様として崇(あが)められている。
と書かれています。



写真CB: 「大塚八幡神社 縁起(えんぎ)」の説明版があります。
当神社は第55代 文徳天皇の御代 斎衡年間 (854年〜857年)に土持冠者景綱が宇佐神宮(大分県にあります。)の御分霊を戴(いただ)き祀(まつ)って創建された。
時代は下って第90代 亀山天皇の文永元年鎌倉(1264年) 飫肥藩(おびはん)祖 藤原祐亮が社殿を再興、その後たび重(かさ)なる修改築を経(へ)て現在に至(いた)っている。 現社殿は第124代 昭和天皇の御代、昭和59年に造営相成ったものである。
御祭神
玉依姫命 (タマヨリヒメノミコト: 神武天皇の御母、息長帯姫命 (オキナガタラシヒメノミコト): 第14代 仲哀天皇の后 神功皇后、品陀和気命 (ホムダワケノミコト): 第15代 応神天皇
ご祭神の御神徳から家内安全・五穀豊穣。諸業の繁栄・安産・子安(子供を守る)・学問学術向上の神様として崇(あが)められている。
と書かれています。



写真CC: 宮崎市にある大塚八幡神社の拝殿です。 両側に狛犬(こまいぬ)があります。 左奥は若宮神社です。
大塚八幡神社の大塚神社神楽(かぐら)は400年〜500年以上前から伝わっている有名な神楽です。



写真CD: 拝殿の下部です。



写真CE: 右から拝殿、若宮神社、ご神木、御神札御神符授与所が見えます。



写真CF: 大塚八幡神社の拝殿です。 左下に斜面が造ってあり、足の不自由な方も登れるようになっています。



写真CG: 斜面が造ってあり、足の不自由な方も登れるようになっています。



写真CH: 左が大塚八幡神社の本殿、右が拝殿です。 西から見たものです。



写真CI: 左は本殿の下部です。



写真CJ: 大塚八幡神社の拝殿です。 西から見たもの。



写真CK: 拝殿の下部です。



写真CL: 宮崎市にある大塚八幡神社の本殿です。



写真CM: 本殿の北の所です。



写真CN: 本殿の北側です。



写真CO: 北側に入り口があります。 この先に駐車場があります。



写真CP: 北の入り口から北を見たものです。 駐車場になっています。



写真CQ: 駐車場から南西を見たもの。



写真CR: 駐車場から南を見たものです。 木の後ろに若宮神社と赤い大塚八幡神社の本殿があります。



写真CS: 駐車場から南東を見たもの。 本殿の赤色が見えます。 左寄りにイチョウの木があります。



写真CT: 駐車場から東を見た景色です。



写真CU: 駐車場から北東を見たもの。



写真CV: 駐車場から北を見たものです。 駐車場の入り口が見えます。
左は居合道の「中村道場」です。
剣道の一種である居合道(いあいどう)の「中村道場」が大塚八幡神社の駐車場の西隣(にしどな)りにあります。
居合道とは片膝(かたひざ)を立てて、すばやく刀を抜(ぬ)き放(はな)って敵を斬(き)り倒す技です。 元亀(1570年〜1573年)・天正(1573年〜1592年)の頃、林崎重信にはじまると言われています。 居合抜き(いあいぬき)ともいい、後には大道芸化しました。



写真CW: 駐車場から西を見たものです。
これが剣道の一種である居合道(いあいどう)の「中村道場」です。 広さは80 畳(じょう)あります。
剣道の一種である居合道(いあいどう)の「中村道場」が大塚八幡神社の駐車場の西隣(にしどな)りにあります。
居合道とは片膝(かたひざ)を立てて、すばやく刀を抜(ぬ)き放(はな)って敵を斬(き)り倒す技です。 元亀(1570年〜1573年)・天正(1573年〜1592年)の頃、林崎重信にはじまると言われています。 居合抜き(いあいぬき)ともいい、後には大道芸化しました。



写真CX: 駐車場から西南西を見たもの。



写真CY: 駐車場から南西を見たものです。



写真CZ: 駐車場から南を見たものです。 本殿が見えています。 大塚八幡神社の鎮守の森が見えます。



写真DA: 駐車場から南東を見たもの。 大塚八幡神社の鎮守の森です。



写真DB: 東を見た景色です。



写真DC: 黄色に色付いたイチョウの葉です。



写真DD: 北側の入り口を北から見たものです。 奥は大塚八幡神社の社殿です。。



写真DE: 鎮守の森(ちんじゅのもり)と社殿が見えます。



写真DF: 鎮守の森の高い木です。 中央は楠(くすのき)です。 南を見たものです。



写真DG: 大塚八幡神社の境内(けいだい)にある木です。



写真DH: 若宮神社と左奥の社務所です。 南西を見たもの。



写真DI: 南を見たものです。



写真DJ: 宮崎市にある大塚八幡神社の本殿です。



写真DK: 奥に黄色に色づいた木が見えます。 東を見たもの。



写真DL: 左から若宮神社、本殿、拝殿です。 北東を見たもの。



写真DM: 若宮神社と書いてあります。



写真DN: 右は若宮神社です。 北西を見たものです。 石造物もあります。



写真DO: 西を見たものです。



写真DP: 南を見たものです。 手前から御神札御神符授与所、社務所、大塚神社 神楽練習殿です。



写真DQ: 南東を見たもの。 大塚八幡神社の境内。 中央は手水舎(ちょうずや)です。



写真DR: 拝殿を西から見たものです。



写真DS: 左は本殿、右は拝殿です。



写真DT: これが若宮神社です。 お賽銭箱(さいせんばこ)、しめ縄、御幣(ごへい)などが見えます。



写真DU: 若宮神社のそばにある石造物です。



写真DV: 大塚八幡神社のご神木です。 しめ縄が巻いてあります。 西を見たもの。



写真DW: ご神木の中部です。



写真DX: 大塚八幡神社のご神木の中部です。



写真DY: 宮崎市にある大塚八幡神社の御神木の上部です。



写真DZ: 大塚八幡神社のご神木の上部です。



写真EA: 御神札御神符授与所です。 右に「大塚神社宮司宅→」と書いてあります。



写真EB: トイレもあります。



写真EC: 西を見たものです。



写真ED: 右はトイレ、石碑(せきひ)、大塚祖霊社が見えます。



写真EE: 東を見たもの。 右は社務所です。



写真EF: 「祖霊殿新築記念碑」の石碑(せきひ)があります。 左に「大塚祖霊社」と書いてあります。



写真EG: 大塚祖霊社です。 しめ縄、御幣(ごへい)があります。



写真EH: 大塚祖霊社の下部です。



写真EI: 「大塚祖霊社」と書いてあります。



写真EJ: 大塚祖霊社の中です。



写真EK: 大塚八幡神社にある大塚祖霊社です。



写真EL: 右は大塚祖霊社です。 北を見たものです。



写真EM: 北西を見たものです。



写真EN: 西を見たもの。 道があります。



写真EO: 南西を見たもの。



写真EP: 東を見たもの。 右は社務所です。



写真EQ: 「マンリョウの赤い実」がありました。



写真ER: 神木と社務所です。 西を見たもの。



写真ES: 右から社務所、大塚神社 神楽練習殿、手水舎(ちょうずや)です。



写真ET: 大塚八幡神社の「御神札御神符授与所」です。 御札(おふだ)、お守り、キーホルダーなどが見えます。



写真EU: 社務所です。



写真EV: 「大塚神社社務所」と書いてあります。 玄関にしめ縄、御幣(ごへい)が見えます。 左は大塚神社 神楽練習殿です。



写真EW: 大塚八幡神社にある大塚神社 神楽練習殿です。 2階建てになっていて、1階は駐車場になっています。



写真EX: ここも南側の入り口です。



写真EY: 左は手水舎(ちょうずや)です。



写真EZ: 東を見たもの。



写真FA: 拝殿です。



写真FB: 中央は若宮神社です。 北を見たものです。



写真FC: 社務所。



写真FD: 大塚神社社務所の玄関です。



写真FE: 拝殿に上がる斜面です。 足の不自由な方も上がれます。



写真FF: 宮崎市にある大塚八幡神社の拝殿です。



写真FG: 左は「天皇陛下御即位記念碑」です。 石灯籠(いしどうろう)、狛犬(こまいぬ)、鳥居(とりい)も見えます。 南を見たものです。



写真FH: 左は「忠霊塔」、右は「大塚八幡神社改築記念碑」です。 葉が黄色に色付いた木が見えます。 東を見たもの。



写真FI: 大塚八幡神社にある忠霊塔です。 榊(さかき)の枝が供(そな)えてあります。



写真FJ: 忠霊塔のそばに黄色の葉の木が見えます。



写真FK: 「日露戦役記念」の石碑(せきひ)です。 東を見たもの。 しめ縄が見えます。



写真FL: 「日露戦役記念」の石碑(せきひ)です。 しめ縄、御幣(ごへい)が見えます。



写真FM: 「皇太子殿下御渡欧記念」の石碑(せきひ)です。 東を見たもの。



写真FN: 「皇太子殿下御渡欧記念」の石碑(せきひ)の下部です。



写真FO: 「明治百年記念鳥居建設碑、宮崎市長 清山芳雄 謹書」です。 東を見たもの。 大塚八幡神社。



写真FP: 「明治百年記念鳥居建設碑、宮崎市長 清山芳雄 謹書」の上部です。



写真FQ: 「明治百年記念鳥居建設碑、宮崎市長 清山芳雄 謹書」の中部です。



写真FR: 「紀元 2600年」の記念碑です。



写真FS: 南を見たものです。



写真FT: 南西を見たものです。



写真FU: 大塚八幡神社の拝殿、左奥は社務所です。



写真FV: 大塚八幡神社の拝殿。



写真FW: 社殿の東側です。



写真FX: 東側にある石碑です。



写真FY: 右奥が本殿です。



写真FZ: 本殿の東の方の様子(ようす)です。



写真GA: 拝殿のそばに掲示板があります。


写真GB: 拝殿の前の狛犬(こまいぬ)です。



写真GC: もう一つの狛犬(こまいぬ)です。



写真GD: 「明治天皇御製」の歌が書いてあります。



写真GE: 拝殿の西側の様子(ようす)です。 斜面が造ってあります。



写真GF: 「明治天皇御製」の歌が書いてあります。



写真GG: 正面(南)から見た大塚八幡神社の拝殿です。



写真GH: 拝殿の屋根に「巴紋(ともえもん)」が書いてあります。 これは一般的に八幡神社の紋(もん)です。



写真GI: 宮崎市にある大塚八幡神社の拝殿。 狛犬(こまいぬ)も見えます。



写真GJ: 拝殿の下部です。



写真GK: 横木に彫(ほ)り物があります。 電球、照明も見えます。



写真GL: 拝殿の屋根裏の様子(ようす)です。 彫(ほ)り物があります。



写真GM: 拝殿の下部です。



写真GN: 拝殿の右部分です。



写真GO: 拝殿の屋根です。



写真GP: 拝殿の中部です。



写真GQ: お賽銭箱(さいせんばこ)、「おみくじ」もあります。



写真GR: 宮崎市にある大塚八幡神社の中です。 巴の紋(ともえのもん)、太鼓(たいこ)、幟(のぼり)、提灯(ちょうちん)、椅子(いす)、手前にお賽銭箱もあります。



写真GS: 大塚八幡神社の中です。



写真GT: 宮崎市にある大塚八幡神社の中です。



写真GU: 大塚八幡神社の拝殿の天井(てんじょう)です。



写真GV: 鈴は大塚八幡神社にはありません。



写真GW: 大塚八幡神社には拝(おが)むときの鈴はありません。



写真GX: 拝殿です。



写真GY: 拝殿です。



写真GZ: 拝殿の入り口です。



写真HA: 宮崎市にある大塚八幡神社の拝殿です。



写真HB: 拝殿の上のほうです。



写真HC: 左は大塚神社 神楽練習殿(かぐられんしゅうでん)、右は社務所です。



写真HD: 宮崎市にある大塚八幡神社の神楽練習殿です。 2階建てで、1階は駐車場になっています。



写真HE: 南のもう一つの入り口です。



写真HF: 「奉祝 皇太子殿下御成婚記念事業 大塚神社神楽練習殿 平成5年度」と書いてあります。



写真HG: これから宮崎市にある大塚八幡神社の大塚神楽(かぐら)が始まります。



写真HH: 太鼓と笛が見えます。 大塚八幡神社の境内(けいだい)にある若宮神社の前の広場で神楽が行われます。



写真HI: 宮崎県 宮崎市にある大塚八幡神社の神楽(かぐら)です。 大塚神楽。



写真HJ: 宮崎市にある大塚八幡神社の神楽(かぐら)です。 大塚神社神楽とも呼(よ)ばれます。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)