真幸駅 (まさきえき)、いさぶろう・しんぺい (観光列車)、山津波記念石 (真の幸せ 真幸駅: 日本三大車窓と幸せの鐘(かね)、ヒガンバナ、ススキ、宮崎県で最古の駅、スイッチバックの線路、JR肥薩線、真幸駅 友の会、えびの市指定文化財 中内竪(なかうちたて)梅木 田の神像、西内竪 (にしうちたて)棚田百選、えびのループ橋、海上自衛隊のVLFアンテナ、霧島山、霧島連山、霧島山系、霧島連山の展望)  (宮崎県 えびの市 内竪 (うちたて))







<標高、位置>  JR 真幸駅(まさきえき)は
標高 約360 m
 北緯32度04分28秒  東経130度43分45秒


 「JR九州 真幸駅 (まさきえき)」は宮崎県 えびの市 内竪 (うちたて) 947 にあります。 標高 約360 m のところにあります。
”真に幸せ”の駅: 真幸駅(まさきえき)です。 JR九州の肥薩線(ひさつせん)にある駅です。 宮崎県では最初に出来た駅です。 真幸駅は周辺に人家がない「秘境の駅」としてよく知られています。 スイッチバックの駅としても有名で、ホーム(フォーム)に「幸せの鐘(かね)」があります。 「打ち鳴(な)らすと幸せになる」と言われています。 真幸駅は宮崎県で一番人気がある駅で、観光列車の「いさぶろう・しんぺい」が来て長く停車し、乗客が幸せの鐘を鳴らしたり、駅で販売している真幸駅の美しい「入場券」、地元の物産品を買い求めたりして、楽しんでいます。 駅には名物の女性の似顔絵師(にがおえし)もいらっしゃいます。 客の似顔絵を描いて販売しています。 2007年(平成19年)11月30日に南九州近代化産業遺産群の物資輸送関連遺産の1つとして選定されました。
「真幸駅友の会」への表彰状から、
「表彰状 宮崎県地域づくり奨励賞 真幸駅友の会 殿、貴会はJR真幸駅内での地元農産物の販売や市のPR活動のほかスイッチバックで出て行く列車に対して姿が見えなくなるまで手を振り続けるなど「おもてなし」の心でお客様に接することで地域のイメージアップに貢献されました。 その功績は誠に顕著でありますのでこれを顕彰するとともに今後ますます御発展を祈念いたします。 平成21年5月11日 宮崎県知事 東国原英夫」
 「真幸駅」はJR肥薩線の駅では唯一(ゆいいつ)の宮崎県内の駅です。 「真の幸せに入る」に駅名がなっているので、入場券、幸せの鐘などで有名です。 以前は駅周辺に集落がありましたが、幾度(いくど)かの山津波災害(やまつなみさいがい、土石流災害)で住民が引越しして、周辺の建物は少なくなっています。
真幸駅は矢岳駅(7.3 km)と吉松駅(7.8 km)の間にあります。 地上駅でホームは1面1線です。 1911年(明治44年)3月11日に開業しました。 現在の駅舎はその時のものです。 スイッチバック駅で、1986年(昭和61年)11月1日から電子閉塞の導入により無人駅になっています。 肥薩線の険(けわ)しい区間にあり、通過不可能な逆Z字型のスイッチバック構造で、以前運行されていた優等列車でも必ず停車する必要がありました。
1945年(昭和20年)8月22日に「肥薩線列車退行事故」が起こりました。 多数の復員軍人を乗せた列車が、真幸駅と吉松駅の間にある第二山の神トンネル内で立ち往生しました。 煙に巻かれた乗客がトンネル内を歩いて脱出しようとしました。 これを知らなかった機関士が列車を後退させてしまい、53名が死亡しました。

 「観光列車 いさぶろう・しんぺい」はJR肥薩線 吉松駅と人吉駅間を1日に2往復している列車で、吉松行きの下りが「いさぶろう」で人吉行きの上りが「しんぺい」です。 下り列車と上り列車が異なる愛称が付けられています。 この愛称は開通当時の逓信大臣の山縣伊三郎と鉄道院総裁の後藤新平の名に由来(ゆらい)しています。 途中(とちゅう)の真幸駅、矢岳駅、大畑駅では数分間停車します。 それで、駅舎などを見学でき、駅間の景色の良い所では停車し、客室乗務員による案内が行われています。

 「スイッチバック」は、入線した列車が出発するときは運転方向を逆にして、入線時とは異なる線路へ出ていく方式を言います。 その目的は、
(1)急勾配(きゅうこうばい)を登り切るため。
(2)勾配の途中(とちゅう)に駅を造るため。
(3)路線延長に伴(ともな)うもの。
の3種類の目的があります。 真幸駅の場合は(2)当たります。 近年は列車の性能が良くなったので、スイッチバック方式は少なくなっていますが、真幸駅では今も使われています。

 「真幸駅の幸せの鐘(かね)」の説明板から、
幸せの鐘(かね)、ちょっと幸せの方は1回 もっと幸せを願う方は2回 いっぱい幸せの方は3回鳴(な)らして下さい。
幸福の鐘、列車やお客さまの安全と幸福を祈(いの)り、乗務員が鳴(な)らした鐘をあなたもどうぞ。

 「山津波記念石 (やまつなみきねんいし)」についてのホーム(フォーム)にある説明板から、
山津波記念石 (やまつなみきねんいし)、昭和47年7月6日午後1時45分頃 山津波が発生、約30万立方メートルの土砂が流出した。 この岩塊は当時の山津波で流れ出たものを現地でそのまま山津波記念石として保存するものである。 尚(なお)、この石塊は重さ約8 トンである。
 そのときの土石流が真幸駅構内と周囲の集落に押し寄せ、住家28棟、非住家29棟が壊(こわ)れ、死者4人、負傷者5人の被害が出ました。 肥薩線は切断され、真幸駅構内を土砂で埋(う)め尽(つ)くし、白川沿(ぞ)いに約1.5 kmの広さに被害を与えました。 線路と駅は復旧されましたが、被害を受けた世帯は全て移転したため、真幸駅周辺はほぼ無人地帯になりました。 この土石流は今でも宮崎県最大規模のものです。

 「日本三大車窓」は鉄道列車の窓から良い景色が見えるところの3ヶ所です。 旧国鉄が制定しました。 ループ線とスイッチバックで矢岳を越えて霧島連山を楽しめる矢岳越え、狩勝峠を越え十勝平野が見えるJR北海道 根室本線の落合と新得間の旧線、善光寺平と千曲川が見えるJR東日本 篠ノ井線の姥捨駅(うばすてえき)の3つです。

 「えびの市指定文化財 中内竪(うちたて)梅木 田の神像」の説明板から、
平成15年9月11日指定。 神官座像型であり、西諸県地方に多く見られる型である。 背面に「享保(きょうほ)十乙六月吉日」(1725年)との刻銘があり えびの市内では2番目に古い田の神像である。
 「田の神さあ」の石像は江戸時代からあります。 冬は山の神になり、春には里に降りてきて田の神となり、田を守り、豊作をもたらすと言われています。 田の神石像ができた頃は、霧島の噴火、天災などで農家には厳しい時代でした。 「田の神」信仰は全国的なものですが、石像は薩摩藩独特の文化だそうです。 石像には自然石、地蔵型、神官型、農民型の4つの型があります。 最古の田の神さあは鹿児島県鶴田町紫尾にある地蔵型(1705年)のものです。 島津藩の一向宗禁止のためか、地蔵型は数が少ないそうです。

 「えびの市指定文化財 中内竪(うちたて)梅木 田の神像」の近くからは、えびの盆地(加久藤カルデラ)の向こうに霧島連山が美しく見えます。
左から夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344 m)、大幡山(おおはたやま、標高 1353 m)、甑岳(こしきだけ、標高1301 m)、韓国岳(からくにだけ、標高 1700 m)、白鳥山(しらとりやま、標高 1363 m)、飯盛山(標高 846.3 m)、栗野岳(標高 1087.7 m) が見えています。
飯盛山の少し右(西)の斜面には陸上自衛隊 霧島演習場が見えます。
えびの盆地(加久藤カルデラ)には川内川(せんだいがわ)が蛇行(だこう)して東(左)から西へ流れています。
矢岳高原と霧島連山は約33万年前にできた加久藤カルデラの外輪山です。
えびの盆地は加久藤カルデラです。
約33万年前の大噴火の加久藤火砕流(かさいりゅう)は宮崎平野、薩摩半島、大隅半島、人吉市付近まで広がりました。 この加久藤火砕流で溶結凝灰岩の地層ができました。
カルデラは火山の中心部または周辺にある円形の著しく広い凹地です。 多くは直径 1 km 以上で、噴火後に起こる火山の中心部の陥没によるそうです。


写真A: 宮崎県えびの市の国道447号線です。 奥に矢岳高原 (やたけこうげん)が見えます。 左に曲がると真幸駅 (まさきえき)、伊佐に行きます。 まっすぐ進むと吉田温泉、矢岳高原、ベルトンオートキャンプ場に行きます。 手前に行くと京町温泉駅があります。 ここはえびの市 水流 (つる)です。 北を見た景色です。



写真B: 「←伊佐、真幸駅 国道447号線、↑矢岳高原 オートキャンプ場 県道102号線」の道路標識があります。



写真C: 北北東を見たものです。



写真D: 北東を見たもの。 中央付近に国道221号線の「えびのループ橋」が小さく見えます。
このあたり(えびの盆地)はおいしい米の産地として有名です。 この山には加久藤城跡(かくとうじょうあと)、飯野城跡(いいのじょうあと)があります。
日本穀物検定協会 (東京)の2015年産米の食味ランキングで、霧島地区のヒノヒカリ (えびの市産)が最上級の「特A」評価を獲得しました。 それまでは宮崎県は九州で唯一特Aを獲得していませんでした。



写真E: 東を見たもの。 このあたりはえびの市 水流 (つる)という地名です。 右に霧島連山が見えます。
日本穀物検定協会 (東京)の2015年産米の食味ランキングで、霧島地区のヒノヒカリ (えびの市産)が最上級の「特A」評価を獲得しました。 それまでは宮崎県は九州で唯一特Aを獲得していませんでした。



写真F: 南を見た景色です。 この先に京町温泉駅があります。



写真G: 南西を見たもの。



写真H: 西を見たもの。 見えている山の麓(ふもと)付近に「真幸駅」があります。



写真I: 北西を見たものです。
日本穀物検定協会 (東京)の2015年産米の食味ランキングで、霧島地区のヒノヒカリ (えびの市産)が最上級の「特A」評価を獲得しました。 それまでは宮崎県は九州で唯一特Aを獲得していませんでした。



写真J: 道路標識の柱にも「←真幸駅」と書いてあります。



写真K: 国道221号線の「えびのループ橋」が見えます。 これは急勾配(きゅうこうばい)なので、らせん状に道路を造りなだらかにしたものです。
北東の山の上に海上自衛隊のVLFアンテナが数本見えています。
VLF(very low frequency、超長波)通信基地は海上自衛隊の電波送信施設です。 VLFは波長 10〜100 kmの非常に長い波長を持つ電波で、潜水艦との通信などに用います。 主に地表波で伝わり、低い山も越えます。 水中でも伝わります。 この基地は1991年(平成3年)にえびの市の国有林に建設され、周波数 22.2 kHz、出力 500 W。 高さ 160 mから270 mの4基2列 計8基の鉄塔間にアンテナワイヤーを張ってあります。 宮崎県 えびの市 大字大明司 字六本原にあります。



写真L: 国道447号線を来て、JR九州 「真幸駅 (まさきえき)」のそばに着きました。 橋が見えます。 国道447号線を先に行くと伊佐に行きます。



写真M: 「→真幸駅、伊佐 国道447号線↑」と書いてある道路標識があります。



写真N: 「みんなで支え合う 地域づくり」の幟(のぼり)があります。



写真O: 高い所に「真幸駅」が見えます。 北西を見たものです。
「JR九州 真幸駅 (まさきえき)」は宮崎県 えびの市 内竪 (うちたて) 947 にあります。 標高 約360 m のところにあります。
”真に幸せ”の駅: 真幸駅(まさきえき)です。 JR九州の肥薩線(ひさつせん)にある駅です。 宮崎県では最初に出来た駅です。 スイッチバックの駅としても有名で、ホーム(フォーム)に「幸せの鐘(かね)」があります。 「打ち鳴(な)らすと幸せになる」と言われています。 真幸駅は宮崎県で一番人気がある駅で、観光列車の「いさぶろう・しんぺい」が来て長く停車し、乗客が幸せの鐘を鳴らしたり、駅で販売している真幸駅の美しい「入場券」、地元の物産品を買い求めたりして、楽しんでいます。 駅には名物の女性の似顔絵師(にがおえし)もいらっしゃいます。 客の似顔絵を描いて販売しています。 2007年(平成19年)11月30日に南九州近代化産業遺産群の物資輸送関連遺産の1つとして選定されました。
「真幸駅友の会」への表彰状から、
「表彰状 宮崎県地域づくり奨励賞 真幸駅友の会 殿、貴会はJR真幸駅内での地元農産物の販売や市のPR活動のほかスイッチバックで出て行く列車に対して姿が見えなくなるまで手を振り続けるなど「おもてなし」の心でお客様に接することで地域のイメージアップに貢献されました。 その功績は誠に顕著でありますのでこれを顕彰するとともに今後ますます御発展を祈念いたします。 平成21年5月11日 宮崎県知事 東国原英夫」
 「真幸駅」はJR肥薩線の駅では唯一(ゆいいつ)の宮崎県内の駅です。 「真の幸せに入る」に駅名がなっているので、入場券、幸せの鐘などで有名です。 以前は駅周辺に集落がありましたが、幾度(いくど)かの山津波災害(やまつなみさいがい、土石流災害)で住民が引越しして、周辺の建物は少なくなっています。
真幸駅は矢岳駅(7.3 km)と吉松駅(7.8 km)の間にあります。 地上駅でホームは1面1線です。 1911年(明治44年)3月11日に開業しました。 現在の駅舎はその時のものです。 スイッチバック駅で、1986年(昭和61年)11月1日から電子閉塞の導入により無人駅になっています。 肥薩線の険(けわ)しい区間にあり、通過不可能な逆Z字型のスイッチバック構造で、以前運行されていた優等列車でも必ず停車する必要がありました。
1945年(昭和20年)8月22日に「肥薩線列車退行事故」が起こりました。 多数の復員軍人を乗せた列車が、真幸駅と吉松駅の間にある第二山の神トンネル内で立ち往生しました。 煙に巻かれた乗客がトンネル内を歩いて脱出しようとしました。 これを知らなかった機関士が列車を後退させてしまい、53名が死亡しました。



写真P: 真幸駅の駐車場です。
真幸駅のホーム(フォーム)の上に「山津波記念石 (やまつなみきねんいし)、昭和47年7月6日午後1時45分頃 山津波が発生、約30万立方メートルの土砂が流出した。 この岩塊は当時の山津波で流れ出たものを現地でそのまま山津波記念石として保存するものである。 尚(なお)、この石塊は重さ約8 トンである。 (昭和47年8月 真幸駅長)、(この山津波の写真が載っています。) 宮崎県 小林土木事務所 えびの市土木課」」と書いてある看板と「その時の岩」があります。
 そのときの土石流が真幸駅構内と周囲の集落に押し寄せ、住家28棟、非住家29棟が壊(こわ)れ、死者4人、負傷者5人の被害が出ました。 肥薩線は切断され、真幸駅構内を土砂で埋(う)め尽(つ)くし、白川沿(ぞ)いに約1.5 kmの広さに被害を与えました。 線路と駅は復旧されましたが、被害を受けた世帯は全て移転したため、真幸駅周辺はほぼ無人地帯になりました。 この土石流は今でも宮崎県最大規模のものです。



写真Q: 真幸駅 (まさきえき)の近くです。



写真R: 来た国道447号線です。



写真S: 国道447号線とまわりの様子(ようす)です。



写真T: 南を見た景色です。



写真U: 国道447号線と道路標識です。



写真V: 駐車場の近くにテントがあります。 その上に「真幸駅」の看板(かんばん)、真幸駅の駅舎(えきしゃ)が見えます。 北西を見たもの。
真幸駅は周辺に人家がない「秘境の駅」としてよく知られています。



写真W: この道を進んでJR九州の「真幸駅」に行きます。 道の左に赤い彼岸花(ひがんばな)が見えます。



写真X: 「真幸駅」、「宮崎県 えびの市」の看板があり、その上に車、駅舎があります。
「JR九州 真幸駅 (まさきえき)」は宮崎県 えびの市 内竪 (うちたて) にあります。 標高 約360 m のところにあります。
真幸駅は周辺に人家がない「秘境の駅」としてよく知られています。



写真Y: 斜面に「真幸駅開業 100周年」、「真幸駅」、「宮崎県 えびの市」の看板が見えます。 奥は真幸駅の駅舎です。
「JR九州 真幸駅 (まさきえき)」は宮崎県 えびの市 内竪 (うちたて) 947 にあります。 標高 約360 m のところにあります。
”真に幸せ”の駅: 真幸駅(まさきえき)です。 JR九州の肥薩線(ひさつせん)にある駅です。 宮崎県では最初に出来た駅です。 スイッチバックの駅としても有名で、ホーム(フォーム)に「幸せの鐘(かね)」があります。 「打ち鳴(な)らすと幸せになる」と言われています。 真幸駅は宮崎県で一番人気がある駅で、観光列車の「いさぶろう・しんぺい」が来て長く停車し、乗客が幸せの鐘を鳴らしたり、駅で販売している真幸駅の美しい「入場券」、地元の物産品を買い求めたりして、楽しんでいます。 駅には名物の女性の似顔絵師(にがおえし)もいらっしゃいます。 客の似顔絵を描いて販売しています。 2007年(平成19年)11月30日に南九州近代化産業遺産群の物資輸送関連遺産の1つとして選定されました。
「真幸駅友の会」への表彰状から、
「表彰状 宮崎県地域づくり奨励賞 真幸駅友の会 殿、貴会はJR真幸駅内での地元農産物の販売や市のPR活動のほかスイッチバックで出て行く列車に対して姿が見えなくなるまで手を振り続けるなど「おもてなし」の心でお客様に接することで地域のイメージアップに貢献されました。 その功績は誠に顕著でありますのでこれを顕彰するとともに今後ますます御発展を祈念いたします。 平成21年5月11日 宮崎県知事 東国原英夫」
 「真幸駅」はJR肥薩線の駅では唯一(ゆいいつ)の宮崎県内の駅です。 「真の幸せに入る」に駅名がなっているので、入場券、幸せの鐘などで有名です。 以前は駅周辺に集落がありましたが、幾度(いくど)かの山津波災害(やまつなみさいがい、土石流災害)で住民が引越しして、周辺の建物は少なくなっています。
真幸駅は矢岳駅(7.3 km)と吉松駅(7.8 km)の間にあります。 地上駅でホームは1面1線です。 1911年(明治44年)3月11日に開業しました。 現在の駅舎はその時のものです。 スイッチバック駅で、1986年(昭和61年)11月1日から電子閉塞の導入により無人駅になっています。 肥薩線の険(けわ)しい区間にあり、通過不可能な逆Z字型のスイッチバック構造で、以前運行されていた優等列車でも必ず停車する必要がありました。
1945年(昭和20年)8月22日に「肥薩線列車退行事故」が起こりました。 多数の復員軍人を乗せた列車が、真幸駅と吉松駅の間にある第二山の神トンネル内で立ち往生しました。 煙に巻かれた乗客がトンネル内を歩いて脱出しようとしました。 これを知らなかった機関士が列車を後退させてしまい、53名が死亡しました。



写真Z: 山の木々と手前の斜面の間にJR肥薩線(ひさつせん)が通っています。 駅舎は左にあります。



写真AA: 駅舎の日の丸の旗と「鐘(かね)の絵、真幸駅開業100周年 平成23年5月11日」の看板(かんばん)があります。
下のテントでは地元の物産品などを販売していました。



写真AB: 駐車場の近くから見た真幸駅です。 駅のそばの人も見えます。 駅の構内に桜の木が植えてあります。
「JR九州 真幸駅 (まさきえき)」は宮崎県 えびの市 内竪 (うちたて) にあります。 標高 約360 m のところにあります。



写真AC: 「←西内竪 (うちたて)棚田百選へ」の看板があります。



写真AD: 国道447号線にある「駅前2号橋」と書いてあります。



写真AE: 駅前2号橋です。



写真AF: 駅前2号橋から見た真幸駅です。
真幸駅の看板に「日本三大車窓と幸せの鐘」と書いてあります。
「日本三大車窓」は鉄道列車の窓から良い景色が見えるところの3ヶ所です。 旧国鉄が制定しました。 ループ線とスイッチバックで矢岳を越えて霧島連山を楽しめる矢岳越え、狩勝峠を越え十勝平野が見えるJR北海道 根室本線の落合と新得間の旧線、善光寺平と千曲川が見えるJR東日本 篠ノ井線の姥捨駅(うばすてえき)の3つです。



写真AG: 奥から近くの山、駅舎、赤い彼岸花(ひがんばな)、斜面にある「真幸駅」の看板です。
「JR九州 真幸駅 (まさきえき)」は宮崎県 えびの市 内竪 (うちたて) にあります。 標高 約360 m のところにあります。



写真AH: 左に赤い彼岸花、あじさい、桜の木があります。



写真AI: 「平成14年8月竣工(しゅんこう)」と書いてあります。



写真AJ: 「えきまえ2ごうはし」と書いてあります。



写真AK: 来た方向を見た国道447号線です。 駅前2号橋もあります。
真幸駅は周辺に人家がない「秘境の駅」としてよく知られています。



写真AL: 真幸駅の斜面の下にテント、車が見えます。 手前は駅前2号橋です。
真幸駅のホーム(フォーム)の上に「山津波記念石 (やまつなみきねんいし)、昭和47年7月6日午後1時45分頃 山津波が発生、約30万立方メートルの土砂が流出した。 この岩塊は当時の山津波で流れ出たものを現地でそのまま山津波記念石として保存するものである。 尚(なお)、この石塊は重さ約8 トンである。 (昭和47年8月 真幸駅長)、(この山津波の写真が載っています。) 宮崎県 小林土木事務所 えびの市土木課」」と書いてある看板と「その時の岩」があります。
 そのときの土石流が真幸駅構内と周囲の集落に押し寄せ、住家28棟、非住家29棟が壊(こわ)れ、死者4人、負傷者5人の被害が出ました。 肥薩線は切断され、真幸駅構内を土砂で埋(う)め尽(つ)くし、白川沿(ぞ)いに約1.5 kmの広さに被害を与えました。 線路と駅は復旧されましたが、被害を受けた世帯は全て移転したため、真幸駅周辺はほぼ無人地帯になりました。 この土石流は今でも宮崎県最大規模のものです。



写真AM: 駅前2号橋から見たJR九州 「真幸駅」です。



写真AN: 左手前にゴミの収集所があります。 「防火水槽(そう)」の赤い看板もあります。 右上は駅舎、桜の木が何本か見えます。 国道447号線から。



写真AO: 右上に駅舎の一部が見えます。 左の斜面にススキの穂が多く見えます。 左端は国道447号線。



写真AP: 駅前2号橋の下に谷川が見えます。 かなり深いところを川が流れています。



写真AQ: 「真の幸福の郷 棚段の郷 真幸駅 西内竪地区」の幟(のぼり)があります。



写真AR: 駅の駐車場に見事な枯れ木(かれき)の根の部分が飾ってあります。



写真AS: 「真の幸福の郷 棚段の郷 真幸駅 西内竪地区」の幟(のぼり)。 駐車場の車も見えます。
真幸駅は周辺に人家がない「秘境の駅」としてよく知られています。



写真AT: テントのそばの車です。



写真AU: 「鐘の絵、真幸駅、日本三大車窓と幸せの鐘、問い合わせ えびの市観光協会 西内竪区 ミリオン友の会」、「宮崎県 えびの市」の看板があります。
「日本三大車窓」は鉄道列車の窓から良い景色が見えるところの3ヶ所です。 旧国鉄が制定しました。 ループ線とスイッチバックで矢岳を越えて霧島連山を楽しめる矢岳越え、狩勝峠を越え十勝平野が見えるJR北海道 根室本線の落合と新得間の旧線、善光寺平と千曲川が見えるJR東日本 篠ノ井線の姥捨駅(うばすてえき)の3つです。
「JR九州 真幸駅 (まさきえき)」は宮崎県 えびの市 内竪 (うちたて) 947 にあります。 標高 約360 m のところにあります。
”真に幸せ”の駅: 真幸駅(まさきえき)です。 JR九州の肥薩線(ひさつせん)にある駅です。 宮崎県では最初に出来た駅です。 スイッチバックの駅としても有名で、ホーム(フォーム)に「幸せの鐘(かね)」があります。 「打ち鳴(な)らすと幸せになる」と言われています。 真幸駅は宮崎県で一番人気がある駅で、観光列車の「いさぶろう・しんぺい」が来て長く停車し、乗客が幸せの鐘を鳴らしたり、駅で販売している真幸駅の美しい「入場券」、地元の物産品を買い求めたりして、楽しんでいます。 駅には名物の女性の似顔絵師(にがおえし)もいらっしゃいます。 客の似顔絵を描いて販売しています。 2007年(平成19年)11月30日に南九州近代化産業遺産群の物資輸送関連遺産の1つとして選定されました。
「真幸駅友の会」への表彰状から、
「表彰状 宮崎県地域づくり奨励賞 真幸駅友の会 殿、貴会はJR真幸駅内での地元農産物の販売や市のPR活動のほかスイッチバックで出て行く列車に対して姿が見えなくなるまで手を振り続けるなど「おもてなし」の心でお客様に接することで地域のイメージアップに貢献されました。 その功績は誠に顕著でありますのでこれを顕彰するとともに今後ますます御発展を祈念いたします。 平成21年5月11日 宮崎県知事 東国原英夫」
 「真幸駅」はJR肥薩線の駅では唯一(ゆいいつ)の宮崎県内の駅です。 「真の幸せに入る」に駅名がなっているので、入場券、幸せの鐘などで有名です。 以前は駅周辺に集落がありましたが、幾度(いくど)かの山津波災害(やまつなみさいがい、土石流災害)で住民が引越しして、周辺の建物は少なくなっています。
真幸駅は矢岳駅(7.3 km)と吉松駅(7.8 km)の間にあります。 地上駅でホームは1面1線です。 1911年(明治44年)3月11日に開業しました。 現在の駅舎はその時のものです。 スイッチバック駅で、1986年(昭和61年)11月1日から電子閉塞の導入により無人駅になっています。 肥薩線の険(けわ)しい区間にあり、通過不可能な逆Z字型のスイッチバック構造で、以前運行されていた優等列車でも必ず停車する必要がありました。
1945年(昭和20年)8月22日に「肥薩線列車退行事故」が起こりました。 多数の復員軍人を乗せた列車が、真幸駅と吉松駅の間にある第二山の神トンネル内で立ち往生しました。 煙に巻かれた乗客がトンネル内を歩いて脱出しようとしました。 これを知らなかった機関士が列車を後退させてしまい、53名が死亡しました。



写真AV: 斜面に「鐘の絵、真幸駅開業 100周年 平成23年5月11日」の看板。



写真AW: 斜面の下にあるテントです。 車も見えます。



写真AX: テントの中で地元の物産品などを販売していました。



写真AY: おいしそうなアケビの実です。 販売していました。



写真AZ: 直径が数cmの特大ムカゴを販売していました。



写真BA: えびの市は「田の神さぁ (たのかんさあ)」という石像が多くあり有名です。 その絵の付いた「しゃもじ」を売っています。



写真BB: えびの市はおいしい米の名産地です。 「米 穂の舞」と袋に書いてある米を売っています。 「田の神さぁ」の絵があるしゃもじも2つ見えます。



写真BC: コスモスの花が咲いていました。



写真BD: 彼岸花 (ひがんばな)が咲いていました。



写真BE: この坂道を登って真幸駅に上(あ)がります。
真幸駅は高台にあリます。 左にアジサイの花、赤い彼岸花が咲いていました。



写真BF: 近くの雑木林の様子(ようす)です。



写真BG: ここで左に曲がって真幸駅に行きます。



写真BH: 左は登ってきた道です。 奥にテント、車も見えます。 右先に登って真幸駅に行きます。



写真BI: 桜の木が多くあります。



写真BJ: 左にも桜の木があります。 斜面に苗木(なえぎ)が植えてあります。



写真BK: アジサイの花が見えます。



写真BL: 坂道の途中(とちゅう)から見下ろした景色です。 駐車場の車も見えます。
真幸駅は周辺に人家がない「秘境の駅」としてよく知られています。



写真BM: 「真幸駅開業百周年 記念樹、(樹木名 ハナミズキ)」と書いてある標柱(標識棒)があります。 左と右にハナミズキの木が植えてあります。



写真BN: 「真幸駅開業百周年 記念樹、(樹木名 ハナミズキ)」と書いてある標柱(標識棒)があります。 左と右にハナミズキの木が植えてあります。 下にテントの屋根が見えます。



写真BO: 真幸駅の駅舎、日の丸の旗(日章旗)、赤い彼岸花(ひがんばな)、左にアジサイ、桜の木が見えます。
「JR九州 真幸駅 (まさきえき)」は宮崎県 えびの市 内竪 (うちたて) にあります。 標高 約360 m のところにあります。



写真BP: 登ってきた坂道を振り返ったもの。



写真BQ: 桜の木、左に赤い彼岸花があります。



写真BR: 左は駅のトイレです。 赤い彼岸花、奥に近くの山、車も見えます。



写真BS: 左が真幸駅の駅舎です。 彼岸花が満開でした。 北西の山も見えます。 日の丸(日章旗)が駅舎にあります。



写真BT: 真幸駅のそばにも車が止まっていました。



写真BU: 左に桜の木、アジサイの花があります。



写真BV: 駅のそばから見下ろした駐車場、国道447号線です。
真幸駅は周辺に人家がない「秘境の駅」としてよく知られています。



写真BW: 駅のそばから見下ろした駅前2号橋、テント、国道447号線です。



写真BX: 手前は桜の木です。 国道447号線の駅前2号橋が見えます。



写真BY: 真幸駅の桜の木。



写真BZ: 駅のそばから見下ろした国道447号線、駐車場、テントです。 左手前に赤い彼岸花(曼珠沙華(まんじゅじゃげ))があります。



写真CA: 「JR九州 真幸駅 (まさきえき)」は宮崎県 えびの市 内竪 (うちたて) にあります。 標高 約360 m のところにあります。
入り口の上に「真幸駅」と書いてあります。 ベンチに人が座(すわ)っています。 左に「真幸駅友の会」の看板、その下に「田の神さぁ」の像が見えます。 北西を見たものです。
「JR九州 真幸駅 (まさきえき)」は宮崎県 えびの市 内竪 (うちたて) 947 にあります。
”真に幸せ”の駅: 真幸駅(まさきえき)です。 JR九州の肥薩線(ひさつせん)にある駅です。 宮崎県では最初に出来た駅です。 スイッチバックの駅としても有名で、ホーム(フォーム)に「幸せの鐘(かね)」があります。 「打ち鳴(な)らすと幸せになる」と言われています。 真幸駅は宮崎県で一番人気がある駅で、観光列車の「いさぶろう・しんぺい」が来て長く停車し、乗客が幸せの鐘を鳴らしたり、駅で販売している真幸駅の美しい「入場券」、地元の物産品を買い求めたりして、楽しんでいます。 駅には名物の女性の似顔絵師(にがおえし)もいらっしゃいます。 客の似顔絵を描いて販売しています。 2007年(平成19年)11月30日に南九州近代化産業遺産群の物資輸送関連遺産の1つとして選定されました。
「真幸駅友の会」への表彰状から、
「表彰状 宮崎県地域づくり奨励賞 真幸駅友の会 殿、貴会はJR真幸駅内での地元農産物の販売や市のPR活動のほかスイッチバックで出て行く列車に対して姿が見えなくなるまで手を振り続けるなど「おもてなし」の心でお客様に接することで地域のイメージアップに貢献されました。 その功績は誠に顕著でありますのでこれを顕彰するとともに今後ますます御発展を祈念いたします。 平成21年5月11日 宮崎県知事 東国原英夫」
 「真幸駅」はJR肥薩線の駅では唯一(ゆいいつ)の宮崎県内の駅です。 「真の幸せに入る」に駅名がなっているので、入場券、幸せの鐘などで有名です。 以前は駅周辺に集落がありましたが、幾度(いくど)かの山津波災害(やまつなみさいがい、土石流災害)で住民が引越しして、周辺の建物は少なくなっています。
真幸駅は矢岳駅(7.3 km)と吉松駅(7.8 km)の間にあります。 地上駅でホームは1面1線です。 1911年(明治44年)3月11日に開業しました。 現在の駅舎はその時のものです。 スイッチバック駅で、1986年(昭和61年)11月1日から電子閉塞の導入により無人駅になっています。 肥薩線の険(けわ)しい区間にあり、通過不可能な逆Z字型のスイッチバック構造で、以前運行されていた優等列車でも必ず停車する必要がありました。
1945年(昭和20年)8月22日に「肥薩線列車退行事故」が起こりました。 多数の復員軍人を乗せた列車が、真幸駅と吉松駅の間にある第二山の神トンネル内で立ち往生しました。 煙に巻かれた乗客がトンネル内を歩いて脱出しようとしました。 これを知らなかった機関士が列車を後退させてしまい、53名が死亡しました。



写真CB: 真幸駅の西の方の様子(ようす)です。



写真CC: 真幸駅の構内です。 桜の木の葉が黄色に色づいています。 赤い彼岸花も見えます。



写真CD: 真幸駅(まさきえき)とその北東の方です。 右にトイレも見えます。
「スイッチバック」は、入線した列車が出発するときは運転方向を逆にして、入線時とは異なる線路へ出ていく方式を言います。 その目的は、
(1)急勾配(きゅうこうばい)を登り切るため。
(2)勾配の途中(とちゅう)に駅を造るため。
(3)路線延長に伴(ともな)うもの。
の3種類の目的があります。 真幸駅の場合は(2)当たります。 近年は列車の性能が良くなったので、スイッチバック方式は少なくなっていますが、真幸駅では今も使われています。



写真CE: 駅の構内です。 桜の木が多く見えます。 北東を見たものです。



写真CF: トイレです。



写真CG: 真幸駅の北東部分です。 絵馬(えま)を多く掛(か)けてあります。 右寄りに真幸駅のホーム(フォーム)が見えます。 右下に水道もあります。



写真CH: 真幸駅を北東から見たものです。 タバコの吸い殻(がら)入れ、椅子(いす)も見えます。



写真CI: 駅前の広場です。



写真CJ: JR肥薩線(ひさつせん)の上り方向(北東)を見たものです。 ホーム(フォーム)とレールも見えます。 奥に土石流止めのコンクリートが見えます。



写真CK: これがJR肥薩線 真幸駅のホーム(フォーム)とレールです。



写真CL: 北西を見た景色です。 ホーム(フォーム)に人がいます。



写真CM: ホーム(フォーム)の屋根の下に「幸せの鐘(かね)」が見えます。



写真CN: 左に「真幸駅開業100周年 平成23年5月11日」の看板(かんばん)があります。 電柱の下にえびの市名物の「田の神さぁ (たのかんさあ)」の像が見えます。 駅舎も見えます。 南西を見たもの。



写真CO: 「真幸駅開業100周年 平成23年5月11日」の看板。



写真CP: 駅舎の近くにも車が止まっていました。



写真CQ: 北東を見たもの。



写真CR: 北を見た景色です。 真幸駅のレールとホーム(フォーム)です。 遠くの山も見えます。 赤い彼岸花も見えます。



写真CS: 真幸駅(まさきえき)にある4体の「田の神さぁ (たのかんさあ)」です。 しゃもじを持っています。
「田の神さあ」の石像は江戸時代からあります。 冬は山の神になり、春には里に降りてきて田の神となり、田を守り、豊作をもたらすと言われています。 田の神石像ができた頃は、霧島の噴火、天災などで農家には厳しい時代でした。 「田の神」信仰は全国的なものですが、石像は薩摩藩独特の文化だそうです。 石像には自然石、地蔵型、神官型、農民型の4つの型があります。 最古の田の神さあは鹿児島県鶴田町紫尾にある地蔵型(1705年)のものです。 島津藩の一向宗禁止のためか、地蔵型は数が少ないそうです。



写真CT: JR九州 真幸駅(まさきえき)にある「田の神さぁ (たのかんさあ)」です。



写真CU: JR 真幸駅(まさきえき)にある「田の神さぁ (たのかんさあ)」です。 しゃもじを持っています。



写真CV: JR肥薩線(ひさつせん)を矢岳駅(やたけえき)の方から海老茶色(えびちゃいろ)の列車が来ました。 ホーム(フォーム)の人がカメラを構(かま)えています。



写真CW: 3両編成の列車です。 左にホームの「幸せの鐘(かね)」が見えます。 ホームに「まさき (真幸)」の看板があります。



写真CX: この列車は右(北東)から左(南西)に進んでいます。 左に地元の人が大きな白い手袋をして、両手を上げて迎えています。



写真CY: 列車は左に進んでいます。 地元の人たちが両手を上げて列車を歓迎しています。



写真CZ: 赤茶色の列車は下り方向に通り抜(ぬ)けたように見えますが、また真幸駅に戻ってきます。 これはスイッチバックと言われるもので、急な坂のところを登るための方式です。



写真DA: 下り方向に列車が一旦(いったん)通り過ぎていきます。 デジカメで写真をとっている人も見えます。
「スイッチバック」は、入線した列車が出発するときは運転方向を逆にして、入線時とは異なる線路へ出ていく方式を言います。 その目的は、
(1)急勾配(きゅうこうばい)を登り切るため。
(2)勾配の途中(とちゅう)に駅を造るため。
(3)路線延長に伴(ともな)うもの。
の3種類の目的があります。 真幸駅の場合は(2)当たります。 近年は列車の性能が良くなったので、スイッチバック方式は少なくなっていますが、真幸駅では今も使われています。



写真DB: 一度、通り過ぎて列車が遠ざかります。 まだ地元の人が両手を振(ふ)っています。



写真DC: 真幸駅で地元の物産品などを販売していました。 左に「まさき」と書いてある看板が柱に付けてあります。 そばに「田の神さぁ (たのかんさあ)」が置いてあります。 左奥に願い事を書いてある絵馬(えま)が並べて掛(か)けてあります。



写真DD: 「アケビの実」を売っています。 三つ葉アケビのようです。 右上に梨(なし)も見えます。



写真DE: 「田の神さぁ (たのかんさあ)」です。 「えびの」と書いてあるしゃもじを持っています。



写真DF: 田の神さぁ (たのかんさあ)。 「えびの」と書いてあるしゃもじを持っています。



写真DG: 右下に新茶も販売しています。 絵馬(えま)が多く掛けてあります。 その左下に孟宗竹(もうそうだけ)を傘(かさ)立てにしたものがあります。 絵馬も下に売っています。 右奥に喫煙所(きつえんしょ)も見えます。



写真DH: 絵馬の上に「この駅には 真の幸せがあるという 目出度(めでた)いな めでたいな 真幸の駅長、(田の神さぁの絵)」と書いてある看板があります。



写真DI: 右下に「絵馬 100円」と書いてあります。 たくさん絵馬(えま)があります。 左下に孟宗竹(もうそうだけ)の傘立てが見えます。



写真DJ: 真幸駅にある絵馬です。 多くの人が願い事を書いています。



写真DK: ここには竹とんぼなどの竹細工(たけざいく)が販売されています。



写真DL: 栗(くり)、梨(なし)、アケビ、ムカゴ、野菜類、蜜(みつ)、瓶詰め(びんづめ)などが見えます。



写真DM: 真幸駅 (まさきえき)の販売店です。



写真DN: キバナコスモスの花が咲いていました。 左奥に田の神さぁ、レール、ホームが見えます。



写真DO: 真幸駅のホーム(フォーム)にある「幸せの鐘(かね)」が見えます。 「まさき」と書いてある看板がホームにあります。 ホームに椅子(いす)、スピーカー、蛍光灯の付いた電柱もあります。 ホームにツワブキの葉が見えます。



写真DP: 屋根が付いている「幸せの鐘」、「まさき 真幸 MASAKI (宮崎県えびの市)、←よしまつ YOSHIMATSU、→やたけ YATAKE」と書いてある看板も見えます。



写真DQ: ホーム(フォーム)の構造が分かります。



写真DR: JR肥薩線の「真幸駅 (まさきえき)」です。



写真DS: JR九州 真幸駅です。



写真DT: スイッチバックで折り返して戻(もど)ってきた先ほどの海老茶色(えびちゃいろ)の列車がホーム(フォーム)に入って来ました。



写真DU: 幸せの鐘と列車です。



写真DV: 左に、線路を渡ってホームに上る石段があります。 ホームに四角のミラー(鏡)があります。



写真DW: 大きな白い手袋をした人が両手を振って歓迎しています。



写真DX: この海老茶色(えびちゃいろ)の列車は観光列車の「いさぶろう・しんぺい」でした。 真幸駅の幸せの鐘と観光列車「いさぶろう・しんぺい」です。
「観光列車 いさぶろう・しんぺい」はJR肥薩線 吉松駅と人吉駅間を1日に2往復している列車で、吉松行きの下りが「いさぶろう」で人吉行きの上りが「しんぺい」です。 下り列車と上り列車が異なる愛称が付けられています。 この愛称は開通当時の逓信大臣の山縣伊三郎と鉄道院総裁の後藤新平の名に由来(ゆらい)しています。 途中(とちゅう)の真幸駅、矢岳駅、大畑駅では数分間停車します。 それで、駅舎などを見学でき、駅間の景色の良い所では停車し、客室乗務員による案内が行われています。



写真DY: 列車の側面に「ISABUROUSHINPEI 47DC」、「KYUSYU RAILWAY COMPANY」と書いてあります。
宮崎県 えびの市にある真幸駅に止まっている観光列車「いさぶろう・しんぺい」と「幸せの鐘」です。



写真DZ: 観光列車「いさぶろう・しんぺい」から乗客がたくさん降りてきました。 幸せの鐘に駆(か)け寄って早速ヒモを持って打ち鳴らしています。
観光列車「いさぶろう・しんぺい」は名物 真幸駅に約10分も停車していました。



写真EA: 楽しそうに降りて来た乗客たちが「幸せの鐘」を打ち鳴らしています。 デジカメなどで写真をとっている人も見えます。



写真EB: 真幸駅のプラットホーム(プラットフォーム)に観光列車「いさぶろう・しんぺい」から降りてきた乗客がいます。 上り方向(北東)を見たもの。



写真EC: 観光列車「いさぶろう・しんぺい」の乗客がホーム(フォーム)にいます。 JR肥薩線の真幸駅です。 左の屋根は「幸せの鐘」です。 北を見た景色です。



写真ED: 電柱の左に女性の観光列車のガイドさんがいます。 観光列車「いさぶろう・しんぺい」のガイドさんです。 真幸駅。



写真EE: 観光列車から降車した乗客がホーム(フォーム)から真幸駅に向かっています。 若い男女、若い女性の2人連(づ)れ、中高年の男性、女性、赤ちゃんを抱(だ)いた女性などが真幸駅に歩いて行ってます。



写真EF: すでに真幸駅にいた人達(車やオートバイで来た人たち。)が左に、今、降車した乗客が右に見えます。



写真EG: 真幸駅の駅舎に乗客が入っていきます。



写真EH: 左にキバナコスモスが咲いていました。



写真EI: 「真幸駅開業100周年」の看板と左端に「田の神さぁ」が見えます。



写真EJ: 「田の神さぁ (たのかんさあ)」と車が見えます。



写真EK: ホーム(フォーム)に観光列車「いさぶろう・しんぺい」が停車しています。 約10分間、停車していました。 乗客が十分に真幸駅とそこの売店などを楽しめる時間がありました。



写真EL: JR肥薩線 真幸駅の「幸せの鐘(かね)」を打ち鳴らしています。



写真EM: 左に観光列車「いさぶろう・しんぺい」の女性のガイドさんがいます。 列車に「いさぶろう・しんぺい」、「47DC」と書いてあります。 真幸駅。
「観光列車 いさぶろう・しんぺい」はJR肥薩線 吉松駅と人吉駅間を1日に2往復している列車で、吉松行きの下りが「いさぶろう」で人吉行きの上りが「しんぺい」です。 下り列車と上り列車が異なる愛称が付けられています。 この愛称は開通当時の逓信大臣の山縣伊三郎と鉄道院総裁の後藤新平の名に由来(ゆらい)しています。 途中(とちゅう)の真幸駅、矢岳駅、大畑駅では数分間停車します。 それで、駅舎などを見学でき、駅間の景色の良い所では停車し、客室乗務員による案内が行われています。



写真EN: ホームに観光列車のガイドさんがいます。



写真EO: 真幸駅に乗客、ガイドさんも見えます。



写真EP: レールを渡るところです。



写真EQ: 観光列車「いさぶろう・しんぺい」の車掌(しゃしょう)さんが駅舎に歩いて行ってます。
「観光列車 いさぶろう・しんぺい」はJR肥薩線 吉松駅と人吉駅間を1日に2往復している列車で、吉松行きの下りが「いさぶろう」で人吉行きの上りが「しんぺい」です。 下り列車と上り列車が異なる愛称が付けられています。 この愛称は開通当時の逓信大臣の山縣伊三郎と鉄道院総裁の後藤新平の名に由来(ゆらい)しています。 途中(とちゅう)の真幸駅、矢岳駅、大畑駅では数分間停車します。 それで、駅舎などを見学でき、駅間の景色の良い所では停車し、客室乗務員による案内が行われています。



写真ER: 観光列車「いさぶろう・しんぺい」の車掌さんです。 JR九州 真幸駅。



写真ES: 「←人吉方面 FOR HITOYOSHI 熊本方面 FOR KUMAMOTO、→吉松方面 FOR YOSHIMATSU 宮崎方面 FOR MIYAZAKI」の看板がホームにあります。 駅舎に近いレールは人吉 熊本方面(上り)に遠い方のレールは吉松 宮崎方面(下り)に行く列車が停(と)まります。
南西を見たもの。



写真ET: 「いさぶろう・しんぺい 肥薩線 SINCE 2004、JR KYUSHU RAILWAY COMPANY JR」と列車の側面に書いてあります。
観光列車「いさぶろう・しんぺい」は2004年から運行しています。
「観光列車 いさぶろう・しんぺい」はJR肥薩線 吉松駅と人吉駅間を1日に2往復している列車で、吉松行きの下りが「いさぶろう」で人吉行きの上りが「しんぺい」です。 下り列車と上り列車が異なる愛称が付けられています。 この愛称は開通当時の逓信大臣の山縣伊三郎と鉄道院総裁の後藤新平の名に由来(ゆらい)しています。 途中(とちゅう)の真幸駅、矢岳駅、大畑駅では数分間停車します。 それで、駅舎などを見学でき、駅間の景色の良い所では停車し、客室乗務員による案内が行われています。



写真EU: 観光列車 いさぶろう・しんぺいの車内が見えます。 椅子(いす)の背に特徴があります。
「いさぶろう・しんぺい」、「KYUSHU RAILWAY COMPANY」と車体に書いてあります。



写真EV: 真幸駅に到着する時は列車の後部、真幸駅を出発する時は列車の先頭部(前部)になる部分が見えます。 これは真幸駅で線路がスイッチバック方式になっているからです。
列車の全面に「いさぶろう・しんぺい」、「140DC」 、「いさぶろう・しんぺい 肥薩線 SINCE 2004、JR KYUSHU RAILWAY COMPANY JR」と書いてあります。 上部に2個のライト、中部に2個の赤ランプ、下部にホース類が見えます。
ホームに近いレールは3本になっています。 ホームに「4 推進」と書いてあります。 左にススキの穂が多く見えます。



写真EW: 観光列車「いさぶろう・しんぺい」の下部です。 真幸駅のレールの様子(ようす)が分かります。



写真EX: ホーム(フォーム)から南西(吉松駅の方)を見たもの。 電柱に標識ランプがあります。 その左に真幸駅の白い建物があります。 左右にススキの穂が多く見えます。



写真EY: 真幸駅の建物です。 そばに車が止まっていました。



写真EZ: バイクのツアーで来た人たちのオートバイが4台ほど見えます。 左は駅舎です。 南東を見たもの。



写真FA: JR肥薩線の真幸駅です。 北東を見た景色です。 左端は観光列車「いさぶろう・しんぺい」です。



写真FB: 北東を見たもの。 乗客たちが列車に戻(もど)るためにレールを渡っています。
「観光列車 いさぶろう・しんぺい」はJR肥薩線 吉松駅と人吉駅間を1日に2往復している列車で、吉松行きの下りが「いさぶろう」で人吉行きの上りが「しんぺい」です。 下り列車と上り列車が異なる愛称が付けられています。 この愛称は開通当時の逓信大臣の山縣伊三郎と鉄道院総裁の後藤新平の名に由来(ゆらい)しています。 途中(とちゅう)の真幸駅、矢岳駅、大畑駅では数分間停車します。 それで、駅舎などを見学でき、駅間の景色の良い所では停車し、客室乗務員による案内が行われています。



写真FC: 3線のレールが見えます。 レールが交差している部分が見えます。 右に赤く光っている信号が2つ見えます。
吉松駅の方(南西)を見た景色です。



写真FD: 真幸駅の白い建物です。 エアコンの室外機が見えます。



写真FE: 「上出」と書いてある赤いランプ、「下出」と書いてある赤いランプの信号機が見えます。
ススキの穂が美しい。



写真FF: 駅の構内で3線になっているレールが先で2線になっています。 実はもう1本ススキの右にレールが通っています。
南西を見たもの。
「スイッチバック」は、入線した列車が出発するときは運転方向を逆にして、入線時とは異なる線路へ出ていく方式を言います。 その目的は、
(1)急勾配(きゅうこうばい)を登り切るため。
(2)勾配の途中(とちゅう)に駅を造るため。
(3)路線延長に伴(ともな)うもの。
の3種類の目的があります。 真幸駅の場合は(2)当たります。 近年は列車の性能が良くなったので、スイッチバック方式は少なくなっていますが、真幸駅では今も使われています。



写真FG: 電柱、信号機も見えます。 吉松駅の方(南西)を見た景色です。
「スイッチバック」は、入線した列車が出発するときは運転方向を逆にして、入線時とは異なる線路へ出ていく方式を言います。 その目的は、
(1)急勾配(きゅうこうばい)を登り切るため。
(2)勾配の途中(とちゅう)に駅を造るため。
(3)路線延長に伴(ともな)うもの。
の3種類の目的があります。 真幸駅の場合は(2)当たります。 近年は列車の性能が良くなったので、スイッチバック方式は少なくなっていますが、真幸駅では今も使われています。



写真FH: 中央下にプラットホーム(プラットフォーム)の南西端の斜面のコンクリートが見えます。 ススキの上を肥薩線が通っています。 真幸駅でスイッチバック方式で列車が向きを変えます。



写真FI: 手前は真幸駅のホーム(フォーム)の南西端の部分です。



写真FJ: 真幸駅のレールとホーム(フォーム)です。



写真FK: ホームの南西端付近から見たレールと観光列車「いさぶろう・しんぺい」、ホーム(フォーム)です。



写真FL: ホーム(フォーム)の南西端から見た真幸駅です。



写真FM: ホームの南西端から東を見た景色です。



写真FN: ホームの南東側にあるレールです。



写真FO: 真幸駅の建物です。



写真FP: 真幸駅のホーム(フォーム)の南西端です。
「スイッチバック」は、入線した列車が出発するときは運転方向を逆にして、入線時とは異なる線路へ出ていく方式を言います。 その目的は、
(1)急勾配(きゅうこうばい)を登り切るため。
(2)勾配の途中(とちゅう)に駅を造るため。
(3)路線延長に伴(ともな)うもの。
の3種類の目的があります。 真幸駅の場合は(2)当たります。 近年は列車の性能が良くなったので、スイッチバック方式は少なくなっていますが、真幸駅では今も使われています。



写真FQ: 観光列車「いさぶろう・しんぺい」が停車している真幸駅(まさきえき)です。



写真FR: JR肥薩線の真幸駅です。 左に観光列車のガイドさんも見えます。



写真FS: 右にホーム(フォーム)の信号機があります。 観光列車のガイドさんも見えます。



写真FT: 真幸駅に停車中の観光列車「いさぶろう・しんぺい」です。
「4 推進」と書いてある標識もホーム(フォーム)にあります。
「観光列車 いさぶろう・しんぺい」はJR肥薩線 吉松駅と人吉駅間を1日に2往復している列車で、吉松行きの下りが「いさぶろう」で人吉行きの上りが「しんぺい」です。 下り列車と上り列車が異なる愛称が付けられています。 この愛称は開通当時の逓信大臣の山縣伊三郎と鉄道院総裁の後藤新平の名に由来(ゆらい)しています。 途中(とちゅう)の真幸駅、矢岳駅、大畑駅では数分間停車します。 それで、駅舎などを見学でき、駅間の景色の良い所では停車し、客室乗務員による案内が行われています。



写真FU: 真幸駅のホーム(フォーム)です。 北東を見た景色です。



写真FV: ホーム(フォーム)から見た真幸駅の駅舎です。



写真FW: 駅舎の右手の様子(ようす)です。



写真FX: 真幸駅の建物です。



写真FY: ホーム(フォーム)から南西を見たもの。



写真FZ: ホーム(フォーム)、レール、ススキの穂などが見えます。



写真GA: JR九州 真幸駅です。 標高 約360 m のところにあります。



写真GB: 真幸駅です。 標高 約360 m のところにあります。



写真GC: 観光列車「いさぶろう・しんぺい」の運転席と運転手さんが見えます。 乗客が車内に戻(もど)って来ました。
「観光列車 いさぶろう・しんぺい」はJR肥薩線 吉松駅と人吉駅間を1日に2往復している列車で、吉松行きの下りが「いさぶろう」で人吉行きの上りが「しんぺい」です。 下り列車と上り列車が異なる愛称が付けられています。 この愛称は開通当時の逓信大臣の山縣伊三郎と鉄道院総裁の後藤新平の名に由来(ゆらい)しています。 途中(とちゅう)の真幸駅、矢岳駅、大畑駅では数分間停車します。 それで、駅舎などを見学でき、駅間の景色の良い所では停車し、客室乗務員による案内が行われています。



写真GD: 列車の屋根の上にエアコンの室外機が見えます。 列車の下部も少し見えています。



写真GE: 観光列車「いさぶろう・しんぺい」の車両の連結部が見えます。 電柱にスピーカー、蛍光灯があります。
「2 推進」の標識があります。 幸せの鐘の屋根も見えています。 下にツワブキの葉があります。



写真GF: 「コスモスの花」が咲いていました。



写真GG: 幸せの鐘、「まさき」の看板、観光列車「いさぶろう・しんぺい」、ベンチなどが見えます。



写真GH: 「幸せの鐘」の屋根の裏側です。 このようになっています。



写真GI: 横木から金具で「幸せの鐘」を吊(つ)ってあります。



写真GJ: 下に鎖(くさり)が伸びています。



写真GK: 鎖の下部が分かります。



写真GL: 「幸せの鐘」の中はこのようになっています。 球状の金属が外に当って音が出ます。



写真GM: 幸せの鐘を下方から見上げたもの。



写真GN: 列車内から2人がカメラを構えています。
鎖(くさり)の最下端に金属のリングがあります。



写真GO: 「幸せの鐘(かね)、ちょっと幸せの方は1回 もっと幸せを願う方は2回 いっぱい幸せの方は3回鳴(な)らして下さい。」と書いてあります。 真幸駅のホーム(フォーム)です。



写真GP: ホーム(フォーム)に電話機を入れてある箱があります。



写真GQ: 「まさき 真幸 MASAKI (宮崎県えびの市)、←よしまつ YOSHIMATSU、→やたけ YATAKE」と書いてある看板です。



写真GR: きれいな「ホウセンカの花と実」などが育っているプランターがホーム(フォーム)にあります。



写真GS: 観光列車「いさぶろう・しんぺい」です。 最後部に車掌(しゃしょう)さんも小さく見えます。



写真GT: ついに観光列車「いさぶろう・しんぺい」が発車しました。 ディーゼルエンジンの煙(けむり)が屋根のところから上がっているのが見えます。 最後部の車掌さんが手を上げているのが分かります。 地元の人たちが両手を上げて見送っています。 吉松駅の方向に発車しました。
「観光列車 いさぶろう・しんぺい」はJR肥薩線 吉松駅と人吉駅間を1日に2往復している列車で、吉松行きの下りが「いさぶろう」で人吉行きの上りが「しんぺい」です。 下り列車と上り列車が異なる愛称が付けられています。 この愛称は開通当時の逓信大臣の山縣伊三郎と鉄道院総裁の後藤新平の名に由来(ゆらい)しています。 途中(とちゅう)の真幸駅、矢岳駅、大畑駅では数分間停車します。 それで、駅舎などを見学でき、駅間の景色の良い所では停車し、客室乗務員による案内が行われています。



写真GU: 列車の最後尾が駅舎の前になるまで進みました。 真幸駅を発車する観光列車「いさぶろう・しんぺい」です。 列車の屋根の上にディーゼルエンジンの煙(けむり)が見えます。



写真GV: ホーム(フォーム)から見た真幸駅の駅舎付近です。 標高 約360 m のところにあります。



写真GW: これがレールの北東端です。 まず枕木(まくらぎ)がレールの上に固定してあり、次にレールを曲げて車止めにしてあります。



写真GX: レールの北東端です。



写真GY: ホーム(フォーム)から見たレールです。



写真GZ: 観光列車「いさぶろう・しんぺい」が発車して真幸駅がまた元に戻りました。



写真HA: ここが真幸駅のホーム(フォーム)の北東端付近(矢岳駅の方向)です。
白い柵(さく)がホームの上に見えます。 これは「土石流がここに来た時の岩」を残してある場所です。



写真HB: 南西を見た景色です。 幸せの鐘の屋根も見えます。



写真HC: 南を見た景色です。



写真HD: 南東を見たもの。



写真HE: 東を見た景色です。



写真HF: 北東を見たもの。 四角のミラー(鏡)があります。 「3」、「4」の標識もあります。



写真HG: 北を見たもの。



写真HH: 北西を見た景色です。 ススキの穂が多く見えます。 この上をJR肥薩線が通っています。 右が矢岳駅の方向(上り)で左が吉松駅方向(下り)です。



写真HI: 西を見た景色です。



写真HJ: 南西を見た景色です。



写真HK: 左上に肥薩線のそばの白い標識とコンクリートの四角のものが見えます。 中央奥に大きなコンクリートの土石流止めがあります。 「3」と「4」の標識があります。 ホーム(フォーム)の上の柵(さく)で囲(かこ)ってある所に「土石流で流れてきた岩」が見えます。
 そのときの土石流が真幸駅構内と周囲の集落に押し寄せ、住家28棟、非住家29棟が壊(こわ)れ、死者4人、負傷者5人の被害が出ました。 肥薩線は切断され、真幸駅構内を土砂で埋(う)め尽(つ)くし、白川沿(ぞ)いに約1.5 kmの広さに被害を与えました。 線路と駅は復旧されましたが、被害を受けた世帯は全て移転したため、真幸駅周辺はほぼ無人地帯になりました。 この土石流は今でも宮崎県最大規模のものです。



写真HL: 真幸駅のホーム(フォーム)の上に「昭和47年7月6日の山津波(山崩(くず)れでの土石流)で流れてきた岩」が残してあります。



写真HM: 真幸駅のホーム(フォーム)の上に「山津波記念石 (やまつなみきねんいし)、昭和47年7月6日午後1時45分頃 山津波が発生、約30万立方メートルの土砂が流出した。 この岩塊は当時の山津波で流れ出たものを現地でそのまま山津波記念石として保存するものである。 尚(なお)、この石塊は重さ約8 トンである。 (昭和47年8月 真幸駅長)、(この山津波の写真が載っています。) 宮崎県 小林土木事務所 えびの市土木課」」と書いてある看板と「その時の岩」があります。
 そのときの土石流が真幸駅構内と周囲の集落に押し寄せ、住家28棟、非住家29棟が壊(こわ)れ、死者4人、負傷者5人の被害が出ました。 肥薩線は切断され、真幸駅構内を土砂で埋(う)め尽(つ)くし、白川沿(ぞ)いに約1.5 kmの広さに被害を与えました。 線路と駅は復旧されましたが、被害を受けた世帯は全て移転したため、真幸駅周辺はほぼ無人地帯になりました。 この土石流は今でも宮崎県最大規模のものです。



写真HN: 昭和47年の山津波(やまつなみ)で流れてきた岩と「山津波記念石 (やまつなみきねんいし)、昭和47年7月6日午後1時45分頃 山津波が発生、約30万立方メートルの土砂が流出した。 この岩塊は当時の山津波で流れ出たものを現地でそのまま山津波記念石として保存するものである。 尚(なお)、この石塊は重さ約8 トンである。 (昭和47年8月 真幸駅長)、(この山津波の写真が載っています。) 宮崎県 小林土木事務所 えびの市土木課」」と書いてある看板です。



写真HO: 昭和47年7月6日の山津波の岩が残してあります。 真幸駅のホーム(フォーム)の矢岳駅側寄りのところにあります。



写真HP: 「山津波記念石 (やまつなみきねんいし)、昭和47年7月6日午後1時45分頃 山津波が発生、約30万立方メートルの土砂が流出した。 この岩塊は当時の山津波で流れ出たものを現地でそのまま山津波記念石として保存するものである。 尚(なお)、この石塊は重さ約8 トンである。 (昭和47年8月 真幸駅長)、(この山津波の写真が載っています。) 宮崎県 小林土木事務所 えびの市土木課」」と書いてある看板です。



写真HQ: 「山津波記念石 (やまつなみきねんいし)、昭和47年7月6日午後1時45分頃 山津波が発生、約30万立方メートルの土砂が流出した。 この岩塊は当時の山津波で流れ出たものを現地でそのまま山津波記念石として保存するものである。 尚(なお)、この石塊は重さ約8 トンである。 (昭和47年8月 真幸駅長)、(この山津波の写真が載っています。) 宮崎県 小林土木事務所 えびの市土木課」」と書いてある看板です。



写真HR: 「山津波記念石 (やまつなみきねんいし)、昭和47年7月6日午後1時45分頃 山津波が発生、約30万立方メートルの土砂が流出した。 この岩塊は当時の山津波で流れ出たものを現地でそのまま山津波記念石として保存するものである。 尚(なお)、この石塊は重さ約8 トンである。 (昭和47年8月 真幸駅長)、(この山津波の写真が載っています。) 宮崎県 小林土木事務所 えびの市土木課」」と書いてある看板です。



写真HS: 岩のそばにシュロの木があります。



写真HT: シュロの木と山津波記念石です。



写真HU: 山津波記念石とシュロの木。



写真HV: 山津波記念石の下部とシュロの木です。



写真HW: 真幸駅の山津波記念石の下部です。



写真HX: 真幸駅の山津波記念石です。 左はシュロの木です。



写真HY: 真幸駅の「山津波記念石」から小さな松の木が生(は)えています。



写真HZ: 真幸駅の山津波記念石の下部。



写真IA: 真幸駅の山津波記念石の中部です。



写真IB: 真幸駅の山津波記念石の上部です。 松の木が岩から生(は)えています。



写真IC: 真幸駅の山津波記念石とレールです。 南西を見たもの。



写真ID: 真幸駅の山津波記念石の上部です。 南西を見た景色です。



写真IE: 真幸駅のホーム(フォーム)にある昭和47年7月6日の山津波記念石です。 南西を見たもの。



写真IF: コンクリートの物が立っています。



写真IG: JR肥薩線 真幸駅のホーム(フォーム)の北東端です。 大きな土石流止めがあります。 昭和47年の山津波はこの方向から来たものと思われます。 矢岳駅の方向(上り)です。 北東を見た景色です。



写真IH: ホーム(フォーム)の上に古タイヤが置いてあります。



写真II: 手前に四角のコンクリートが見えます。 右にレールがあります。 奥は大きな土石流止めです。 昭和47年の山津波はこの方向から来たものと思われます。 真幸駅の北東端です。



写真IJ: JR九州 真幸駅の北東端(矢岳駅の方向)です。 遠くの山も見えます。



写真IK: 北西に四角のコンクリートが見えます。 そのすぐ奥をJR肥薩線が通っています。 右が上り方向で左が下り方向です。



写真IL: 北西に四角のコンクリートが見えます。 そのすぐ奥をJR肥薩線が通っています。



写真IM: 「X」の標識が右手前にあります。 真幸駅のホーム(フォーム)の東北端はこのようになっています。



写真IN: 左奥にも「X]の標識が見えます。 真幸駅のホーム(フォーム)の東北端はこのようになっています。



写真IO: 土石流止めの大きなコンクリートの物です。 北東を見た景色です。



写真IP: 「X」の標識です。 左上は土石流止めのコンクリートです。



写真IQ: 土石流止めの上方はこのようになっています。



写真IR: 北を見たもの。



写真IS: 北西を見たものです。



写真IT: ホーム(フォーム)端から南西を見た景色です。 左奥に真幸駅の駅舎が見えます。 遠くの山も見えます。



写真IU: ホームの端から南を見た景色です。 右端に真幸駅の駅舎があります。



写真IV: 南東を見たもの。
ススキの穂が見えます。



写真IW: 東を見た景色です。



写真IX: 北東を見た景色です。



写真IY: 丸い黒いものが「X」の標識の下にあります。 左手前はホーム(フォーム)です。



写真IZ: レールと草むらです。



写真JA: 山津波記念石の所に戻(もど)って来ました。



写真JB: ススキの穂が長く続いて美しい。



写真JC: レールの終端部です。



写真JD: 「赤と白の彼岸花(ひがんばな)」がレールのそばに咲いていました。



写真JE: ホーム(フォーム)から見た真幸駅の駅舎と幸せの鐘です。 左に椅子(いす)もあります。



写真JF: 「幸福の鐘、列車やお客さまの安全と幸福を祈(いの)り、乗務員が鳴(な)らした鐘をあなたもどうぞ。」と書いてあります。



写真JG: 幸せの鐘から見た駅舎です。 標高 約360 m のところにあります。



写真JH: 駅舎から見た幸せの鐘です。



写真JI: 真幸駅の名物の「幸せの鐘」です。 駅舎から見たもの。



写真JJ: 真幸駅の入場券です。 「(九)真幸駅 普通入場券 160円 旅客車内に立ち入ることはできません。 発売当日1回限り有効。 No 81103」と書いてあります。
右に「まさき駅 しあわせの鐘が鳴ります やまびこも」と書いてあります。



写真JK: 入場券の裏側です。 「あなたの”幸せ”を願っています」と書いてあります。
右に「真の幸せ 真幸駅、(幸せの鐘の写真)」と書いてあります。



写真JL: 真幸駅の入場券です。 「真幸駅発行 発行月日 JR九州 人吉駅 〒868-0008 熊本県人吉市中青井町326-1」と書いてあります。



写真JM: 「真幸駅発行 発行月日 JR九州 人吉駅 〒868-0008 熊本県人吉市中青井町326-1」と書いてあります。



写真JN: しゃもじ、肩こり治し、鹿の置物、(東国原英夫 元宮崎県知事の写真)、きんちゃくなどを販売していました。 真幸駅。



写真JO: きんちゃく、なつかしい文化人形、ストラップ、ぞうり、うちわ、お守りなどが並(なら)んでいます。 JR肥薩線 真幸駅。



写真JP: 大福、おはぎも売っていました。 真幸駅。



写真JQ: 真幸駅の駅舎の中です。 花瓶(かびん)にキバナコスモスの花があります。 古い柱時計、写真、椅子(いす)、机(つくえ)が見えます。



写真JR: 真幸駅の駅舎の中で「似顔絵師(にがおえし)」の女性がベンチに座(すわ)っておられます。 有名な女の方です。 真幸駅での似顔絵(にがおえ)は有名です。



写真JS: 台の上にスタンプ、記帳(駅ノート)、台車の上に「真に幸せになる おみくじ 1回 200円」の看板と箱が見えます。 上に丸い壁時計も一部見えます。



写真JT: 「”ほんのり えびの”と書いてある真幸駅の写真ポスター」が貼(は)ってあります。



写真JU: 駅舎の中です。



写真JV: 「真幸駅発車時刻表」です。 観光列車 いさぶろう1号(行先 吉松、種別 普通) いさぶろう3号(行先 吉松、種別 普通) しんぺい2号(行先 人吉、種別 普通)  しんぺい4号(行先 人吉、種別 普通)も載っています。
真幸駅からの運賃も載っています。



写真JW: 駅舎の中からホーム(フォーム)方を見たもの。 改札口も見えます。 箱が置いてあります。



写真JX: 蒸気機関車の写真と説明、列車の山登りなどについて掲示してあります。



写真JY: 「経産省の近代化産業遺産 真幸駅(えびの)と鞍埼灯台(南郷)」の新聞記事が貼(は)ってあります。 世界地図のデザインの振り子式柱時計も見えます。 真幸駅。



写真JZ: 右にパンフレットの棚(たな)、賞状、写真、花瓶(かびん)もあります。



写真KA: JR肥薩線 真幸駅の中です。



写真KB: 真幸駅の絵が掛(か)けてあります。 幸せの鐘も描(えが)いてあります。



写真KC: 「真に(ほんとうに) 幸せになる おみくじ」の箱です。



写真KD: スタンプ、記帳のノート(駅ノート)、筆記用具が置いてあります。



写真KE: スタンプ、記帳のノート(駅ノート)、筆記用具。 真幸駅。



写真KF: 似顔絵(にがおえ)を書く女性がお客さんの顔の絵を描(えが)いていらっしゃいます。 似顔絵は真幸駅の名物です。



写真KG: 「表彰状 宮崎県地域づくり奨励賞 真幸駅友の会 殿、貴会はJR真幸駅内での地元農産物の販売や市のPR活動のほかスイッチバックで出て行く列車に対して姿が見えなくなるまで手を振り続けるなど「おもてなし」の心でお客様に接することで地域のイメージアップに貢献されました。 その功績は誠に顕著でありますのでこれを顕彰するとともに今後ますます御発展を祈念いたします。 平成21年5月11日 宮崎県知事 東国原英夫」と書いてある表彰状が掛(か)けてあります。



写真KH: 宮崎県地域づくり顕彰授賞式の写真が掛(か)けてあります。 宮崎県庁の写真も載っています。



写真KI: 真幸駅の写真が展示してありました。 2連の赤い機関車に引かれた5両の青い車両(ブルートレイン)が真幸駅を通っています。 ホーム(フォーム)に多くの人のがいます。



写真KJ: 真幸駅の中です。



写真KK: 「真幸駅友の会、売店 営業日時 毎週/土日月 祝日 AM10:00〜PM3:00、肥薩線は100年を迎えました」と書いてある看板があります。 下に田の神さぁ(たのかんさあ)があります。



写真KL: 「真幸駅 MASAKI STATION」」と入り口の上に書いてあります。 天井(てんじょう)に電灯があります。



写真KM: 真幸駅の入り口です。 掲示板に多く貼(は)ってあリます。 外に椅子(いす)がいくつかあります。



写真KN: 喫煙コーナーです。 灰皿が見えます。



写真KO: JR肥薩線 真幸駅の入り口です。



写真KP: 駅舎の近くです。



写真KQ: 真幸駅です。 レールは奥にあります。



写真KR: 真幸駅を南から見たものです。 右に日の丸の旗(日章旗)があります。



写真KS: 駅の前の広場です。



写真KT: 西を見た景色です。 ホーム(フォーム)も軽トラックの右に見えます。



写真KU: 北西を見たものです。 奥にホーム(フォーム)が見えます。



写真KV: 駅の構内から見た国道447号線と駅前2号橋です。 手前に赤と白の彼岸花(ひがんばな)が咲いていました。



写真KW: 駅の近くです。 赤と白の彼岸花が美しい。



写真KX: 駅舎の上部です。



写真KY: 駅舎の上部。



写真KZ: JR九州 真幸駅です。 日章旗が見えます。



写真LA: 広い駐車場に降りる坂道です。 右は桜の木です。 彼岸花が見えます。



写真LB: 坂道を歩いて下(くだ)ります。



写真LC: 駐車場の近くにある売り場のあるテントが見えてきました。 彼岸花が右に見えます。



写真LD: テントに「西内竪 ふれあいクラブ生産直売店」と書いてあります。



写真LE: 国道447号線を先にしばらく行きました。



写真LF: 国道447号線から見た景色です。 遠くの山に送電線鉄塔が見えます。 その手前に家が見えます。



写真LG: 一番奥に霧島連山が見えます。 手前に白い農業用ビニールハウス、民家が見えます。 国道447号線から。



写真LH: まわりの様子(ようす)です。



写真LI: 4軒ほどの人家が見えています。 真幸駅の近くの国道447号線から見た景色です。



写真LJ: 真幸駅近くの民家です。 集落があります。 テレビの受信アンテナ、電柱、セイタカアワダチソウ、ススキの穂も見えます。 国道447号線から見た景色です。



写真LK: まわりの景色です。



写真LL: 国道447号線。 奥に真幸駅があります。



写真LM: まわりの景色です。



写真LN: 国道447号線です。



写真LO: 国道447号線です。



写真LP: 国道447号線を京町温泉駅の方に戻(もど)る途中(とちゅう)です。 霧島連山が美しく見えます。
おいしい米の名産地えびの市の稲が実(みの)っています。
日本穀物検定協会 (東京)の2015年産米の食味ランキングで、霧島地区のヒノヒカリ (えびの市産)が最上級の「特A」評価を獲得しました。 それまでは宮崎県は九州で唯一特Aを獲得していませんでした。
「えびの市指定文化財 中内竪(うちたて)梅木 田の神像」の近くからは、えびの盆地(加久藤カルデラ)の向こうに霧島連山が美しく見えます。
左から夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344 m)、大幡山(おおはたやま、標高 1353 m)、甑岳(こしきだけ、標高1301 m)、韓国岳(からくにだけ、標高 1700 m)、白鳥山(しらとりやま、標高 1363 m)、飯盛山(標高 846.3 m)、栗野岳(標高 1087.7 m) が見えています。
飯盛山の少し右(西)の斜面には陸上自衛隊 霧島演習場が見えます。
えびの盆地(加久藤カルデラ)には川内川(せんだいがわ)が蛇行(だこう)して東(左)から西へ流れています。
矢岳高原と霧島連山は約33万年前にできた加久藤カルデラの外輪山です。
えびの盆地は加久藤カルデラです。
約33万年前の大噴火の加久藤火砕流(かさいりゅう)は宮崎平野、薩摩半島、大隅半島、人吉市付近まで広がりました。 この加久藤火砕流で溶結凝灰岩の地層ができました。
カルデラは火山の中心部または周辺にある円形の著しく広い凹地です。 多くは直径 1 km 以上で、噴火後に起こる火山の中心部の陥没によるそうです。



写真LQ: 霧島連山です。
「えびの市指定文化財 中内竪(うちたて)梅木 田の神像」の近くからは、えびの盆地(加久藤カルデラ)の向こうに霧島連山が美しく見えます。
左から夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344 m)、大幡山(おおはたやま、標高 1353 m)、甑岳(こしきだけ、標高1301 m)、韓国岳(からくにだけ、標高 1700 m)、白鳥山(しらとりやま、標高 1363 m)、飯盛山(標高 846.3 m)、栗野岳(標高 1087.7 m) が見えています。
飯盛山の少し右(西)の斜面には陸上自衛隊 霧島演習場が見えます。
えびの盆地(加久藤カルデラ)には川内川(せんだいがわ)が蛇行(だこう)して東(左)から西へ流れています。
矢岳高原と霧島連山は約33万年前にできた加久藤カルデラの外輪山です。
えびの盆地は加久藤カルデラです。
約33万年前の大噴火の加久藤火砕流(かさいりゅう)は宮崎平野、薩摩半島、大隅半島、人吉市付近まで広がりました。 この加久藤火砕流で溶結凝灰岩の地層ができました。
カルデラは火山の中心部または周辺にある円形の著しく広い凹地です。 多くは直径 1 km 以上で、噴火後に起こる火山の中心部の陥没によるそうです。



写真LR: 霧島連山。
「えびの市指定文化財 中内竪(うちたて)梅木 田の神像」の近くからは、えびの盆地(加久藤カルデラ)の向こうに霧島連山が美しく見えます。
日本穀物検定協会 (東京)の2015年産米の食味ランキングで、霧島地区のヒノヒカリ (えびの市産)が最上級の「特A」評価を獲得しました。 それまでは宮崎県は九州で唯一特Aを獲得していませんでした。
左から夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344 m)、大幡山(おおはたやま、標高 1353 m)、甑岳(こしきだけ、標高1301 m)、韓国岳(からくにだけ、標高 1700 m)、白鳥山(しらとりやま、標高 1363 m)、飯盛山(標高 846.3 m)、栗野岳(標高 1087.7 m) が見えています。
飯盛山の少し右(西)の斜面には陸上自衛隊 霧島演習場が見えます。
えびの盆地(加久藤カルデラ)には川内川(せんだいがわ)が蛇行(だこう)して東(左)から西へ流れています。
矢岳高原と霧島連山は約33万年前にできた加久藤カルデラの外輪山です。
えびの盆地は加久藤カルデラです。
約33万年前の大噴火の加久藤火砕流(かさいりゅう)は宮崎平野、薩摩半島、大隅半島、人吉市付近まで広がりました。 この加久藤火砕流で溶結凝灰岩の地層ができました。
カルデラは火山の中心部または周辺にある円形の著しく広い凹地です。 多くは直径 1 km 以上で、噴火後に起こる火山の中心部の陥没によるそうです。



写真LS: 霧島連山です。
「えびの市指定文化財 中内竪(うちたて)梅木 田の神像」の近くからは、えびの盆地(加久藤カルデラ)の向こうに霧島連山が美しく見えます。
日本穀物検定協会 (東京)の2015年産米の食味ランキングで、霧島地区のヒノヒカリ (えびの市産)が最上級の「特A」評価を獲得しました。 それまでは宮崎県は九州で唯一特Aを獲得していませんでした。
左から夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344 m)、大幡山(おおはたやま、標高 1353 m)、甑岳(こしきだけ、標高1301 m)、韓国岳(からくにだけ、標高 1700 m)、白鳥山(しらとりやま、標高 1363 m)、飯盛山(標高 846.3 m)、栗野岳(標高 1087.7 m) が見えています。
飯盛山の少し右(西)の斜面には陸上自衛隊 霧島演習場が見えます。
えびの盆地(加久藤カルデラ)には川内川(せんだいがわ)が蛇行(だこう)して東(左)から西へ流れています。
矢岳高原と霧島連山は約33万年前にできた加久藤カルデラの外輪山です。
えびの盆地は加久藤カルデラです。
約33万年前の大噴火の加久藤火砕流(かさいりゅう)は宮崎平野、薩摩半島、大隅半島、人吉市付近まで広がりました。 この加久藤火砕流で溶結凝灰岩の地層ができました。
カルデラは火山の中心部または周辺にある円形の著しく広い凹地です。 多くは直径 1 km 以上で、噴火後に起こる火山の中心部の陥没によるそうです。



写真LT: 北東を見た景色です。



写真LU: 国道447号線です。



写真LV: 遠くの山の斜面にループ橋が見えます。



写真LW: 遠くにループ橋が見えています。



写真LX: 国道447号線。



写真LY: 国道447号線です。



写真LZ: 来た道を振り返ったもの。 先に真幸駅があります。



写真MA: 近くの様子(ようす)です。



写真MB: このあたりは田園風景が広がっています。



写真MC: 霧島連山とえびの市の田園風景が広がっています。
日本穀物検定協会 (東京)の2015年産米の食味ランキングで、霧島地区のヒノヒカリ (えびの市産)が最上級の「特A」評価を獲得しました。 それまでは宮崎県は九州で唯一特Aを獲得していませんでした。
「えびの市指定文化財 中内竪(うちたて)梅木 田の神像」の近くからは、えびの盆地(加久藤カルデラ)の向こうに霧島連山が美しく見えます。
左から夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344 m)、大幡山(おおはたやま、標高 1353 m)、甑岳(こしきだけ、標高1301 m)、韓国岳(からくにだけ、標高 1700 m)、白鳥山(しらとりやま、標高 1363 m)、飯盛山(標高 846.3 m)、栗野岳(標高 1087.7 m) が見えています。
飯盛山の少し右(西)の斜面には陸上自衛隊 霧島演習場が見えます。
えびの盆地(加久藤カルデラ)には川内川(せんだいがわ)が蛇行(だこう)して東(左)から西へ流れています。
矢岳高原と霧島連山は約33万年前にできた加久藤カルデラの外輪山です。
えびの盆地は加久藤カルデラです。
約33万年前の大噴火の加久藤火砕流(かさいりゅう)は宮崎平野、薩摩半島、大隅半島、人吉市付近まで広がりました。 この加久藤火砕流で溶結凝灰岩の地層ができました。
カルデラは火山の中心部または周辺にある円形の著しく広い凹地です。 多くは直径 1 km 以上で、噴火後に起こる火山の中心部の陥没によるそうです。



写真MD: 田園風景の奥に霧島連山が見えます。
雀(すずめ)よけが風になびいています。
日本穀物検定協会 (東京)の2015年産米の食味ランキングで、霧島地区のヒノヒカリ (えびの市産)が最上級の「特A」評価を獲得しました。 それまでは宮崎県は九州で唯一特Aを獲得していませんでした。
「えびの市指定文化財 中内竪(うちたて)梅木 田の神像」の近くからは、えびの盆地(加久藤カルデラ)の向こうに霧島連山が美しく見えます。
左から夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344 m)、大幡山(おおはたやま、標高 1353 m)、甑岳(こしきだけ、標高1301 m)、韓国岳(からくにだけ、標高 1700 m)、白鳥山(しらとりやま、標高 1363 m)、飯盛山(標高 846.3 m)、栗野岳(標高 1087.7 m) が見えています。
飯盛山の少し右(西)の斜面には陸上自衛隊 霧島演習場が見えます。
えびの盆地(加久藤カルデラ)には川内川(せんだいがわ)が蛇行(だこう)して東(左)から西へ流れています。
矢岳高原と霧島連山は約33万年前にできた加久藤カルデラの外輪山です。
えびの盆地は加久藤カルデラです。
約33万年前の大噴火の加久藤火砕流(かさいりゅう)は宮崎平野、薩摩半島、大隅半島、人吉市付近まで広がりました。 この加久藤火砕流で溶結凝灰岩の地層ができました。
カルデラは火山の中心部または周辺にある円形の著しく広い凹地です。 多くは直径 1 km 以上で、噴火後に起こる火山の中心部の陥没によるそうです。



写真ME: 国道447号線沿(ぞ)いに「田の神さぁ(たのかんさあ)」があります。
日本穀物検定協会 (東京)の2015年産米の食味ランキングで、霧島地区のヒノヒカリ (えびの市産)が最上級の「特A」評価を獲得しました。 それまでは宮崎県は九州で唯一特Aを獲得していませんでした。
「田の神さあ」の石像は江戸時代からあります。 冬は山の神になり、春には里に降りてきて田の神となり、田を守り、豊作をもたらすと言われています。 田の神石像ができた頃は、霧島の噴火、天災などで農家には厳しい時代でした。 「田の神」信仰は全国的なものですが、石像は薩摩藩独特の文化だそうです。 石像には自然石、地蔵型、神官型、農民型の4つの型があります。 最古の田の神さあは鹿児島県鶴田町紫尾にある地蔵型(1705年)のものです。 島津藩の一向宗禁止のためか、地蔵型は数が少ないそうです。



写真MF: 「えびの市指定文化財 中内竪(うちたて)梅木 田の神像」です。 神官型の田の神さぁ(たのかんさあ)です。
日本穀物検定協会 (東京)の2015年産米の食味ランキングで、霧島地区のヒノヒカリ (えびの市産)が最上級の「特A」評価を獲得しました。 それまでは宮崎県は九州で唯一特Aを獲得していませんでした。
「えびの市指定文化財 中内竪(うちたて)梅木 田の神像」の説明板があります。
 平成15年9月11日指定。 神官座像型であり、西諸県地方に多く見られる型である。 背面に「享保(きょうほ)十乙六月吉日」(1725年)との刻銘があり えびの市内では2番目に古い田の神像である。
えびの市教育委員会



写真MG: 綱(つな)の首飾りがあります。 花が供(そな)えてあります。 「えびの市指定文化財 中内竪(うちたて)梅木 田の神像」です。
そばに田んぼがあり稲が実(みの)っています。
「田の神さあ」の石像は江戸時代からあります。 冬は山の神になり、春には里に降りてきて田の神となり、田を守り、豊作をもたらすと言われています。 田の神石像ができた頃は、霧島の噴火、天災などで農家には厳しい時代でした。 「田の神」信仰は全国的なものですが、石像は薩摩藩独特の文化だそうです。 石像には自然石、地蔵型、神官型、農民型の4つの型があります。 最古の田の神さあは鹿児島県鶴田町紫尾にある地蔵型(1705年)のものです。 島津藩の一向宗禁止のためか、地蔵型は数が少ないそうです。



写真MH: 後方から見た神官座像型の田の神さぁ(たのかんさあ)です。



写真MI: 像の横に盃(さかずき)があります。 側面から見た「えびの市指定文化財 中内竪(うちたて)梅木 田の神像」です。



写真MJ: 「田の神さあ像」の標識があります。 そばに「えびの市指定文化財 中内竪(うちたて)梅木 田の神像」の説明板があります。



写真MK: 「田の神さあ像」の標識。 後ろに矢岳高原(やたけこうげん)が見えています。



写真ML: 「えびの市指定文化財 中内竪(うちたて)梅木 田の神像」の説明板があります。
 平成15年9月11日指定。 神官座像型であり、西諸県地方に多く見られる型である。 背面に「享保(きょうほ)十乙六月吉日」(1725年)との刻銘があり えびの市内では2番目に古い田の神像である。
えびの市教育委員会
と書かれています。



写真MM: 田の神さぁのそばから見た霧島連山です。 川の水門(井堰(いせき))が見えています。 3つの四角のコンクリートが水門です。
「えびの市指定文化財 中内竪(うちたて)梅木 田の神像」の近くからは、えびの盆地(加久藤カルデラ)の向こうに霧島連山が美しく見えます。
左から夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344 m)、大幡山(おおはたやま、標高 1353 m)、甑岳(こしきだけ、標高1301 m)、韓国岳(からくにだけ、標高 1700 m)、白鳥山(しらとりやま、標高 1363 m)、飯盛山(標高 846.3 m)、栗野岳(標高 1087.7 m) が見えています。
飯盛山の少し右(西)の斜面には陸上自衛隊 霧島演習場が見えます。
えびの盆地(加久藤カルデラ)には川内川(せんだいがわ)が蛇行(だこう)して東(左)から西へ流れています。
矢岳高原と霧島連山は約33万年前にできた加久藤カルデラの外輪山です。
えびの盆地は加久藤カルデラです。
約33万年前の大噴火の加久藤火砕流(かさいりゅう)は宮崎平野、薩摩半島、大隅半島、人吉市付近まで広がりました。 この加久藤火砕流で溶結凝灰岩の地層ができました。
カルデラは火山の中心部または周辺にある円形の著しく広い凹地です。 多くは直径 1 km 以上で、噴火後に起こる火山の中心部の陥没によるそうです。



写真MN: 国道447号線。



写真MO: 矢岳高原(やたけこうげん)が見えます。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)