金ヶ浜 (かねがはま)、ドライブインの「太平洋」 (金ヶ浜海水浴場、金ヶ浜サーフィン場、日豊海岸国定公園、「海の神 カジャケ平 石神」、シーサイドパーク 太平洋、日向ひょっとこ 手作り面、漁師 ブイ、焼きちくわ、みそ汁の貝、ワシントン椰子 (やし))  (宮崎県 日向市 大字平岩 字金ヶ浜)







<標高、位置>  金ヶ浜海水浴場 (かねがはまかいすいよくじょう)は
標高 約0 m
 北緯32度21分26秒  東経131度37分18秒

<標高、位置>  ドライブインのシーサイドパーク 「太平洋」は
標高 約10 m
 北緯32度21分32秒  東経131度37分20秒


 「金ヶ浜 (かねがはま)」は宮崎県 日向市 大字平岩 字金ヶ浜 にあります。
 金ヶ浜には全国からサーフィンやボディーボードを楽しむ人々が来ます。 金ヶ浜海岸は国道10号線の近くにあり、サーフショップ、レストラン、コンビニ店、民宿などがそばにあります。 金ヶ浜一帯は日豊海岸国定公園にあるサーフポイントです。 更衣室、シャワー、トイレ、駐車場、サーファー専用宿泊施設などもあります。 金ヶ浜海水浴場もあります。
 宮崎県 美郷町 南郷区 神門 にある「神門神社 (みかどじんじゃ)」に次の石碑 (せきひ)があります。
 「百済王守護 益見太郎 並に七人衆之碑」の石碑 (せきひ)と説明石碑から、
<説明石碑>
「天平勝宝8年 (756年、今から1230年前)内乱により祖国を追われた百済王禎嘉帝が大和国 厳島 (いつくしま)に逃れ2年後に反乱軍の追撃をさけ海路 九州の大宰府へと脱出の途中激しい暴風雨で難航し王は日向市 金ヶ浜に漂着し、山奥の神門郡に住んだ。 王子と妃 (きさき)の舟は高鍋町 蚊口浦へ流れ着き木城町の比木に安住した。 更 (さら)に王は追撃を受け東郷町 下三ヶ中水流の伊佐賀峠にて応戦したが苦戦し、王子 福智王が比木より援助し撃滅した。 当時王に随身した神門郷の7人衆有之、又王が神門に宮居を定めるに当たり豪族 益見太郎は土地を提供し宮居造営にも援助し食糧も補給したと云 (い)う。 7人衆は神門神社 宮司 原田八郎 氏の口伝えに依 (よ)れば当時 中邑、海野、小路、宮脇、村田、菊池、若杉の諸家にて鬼神野より中戸、下田家、中渡川の桑原家も加わって協力したと伝えられる。 神門郷の各々の後継者が舞楽を継承し伶人(れいじん、音楽を奏する人。)として奉仕現在に至って居る。
昭和60年12月 七人衆後継者一同建立」
 この碑文 (ひぶん)の「756年に祖国を追われた百済王」の756年は百済滅亡 (660年)の96年後、朝鮮半島の白村江の戦い (663年)の93年後、倭朝廷の内乱である壬申の乱 (じんしんのらん、672年)の84年後になります。

 <小倉ヶ浜の弘法大師伝説>
 その昔、弘法大師が日向の浜辺を通ると、老婆が蛤(はまぐり)を採(と)っていた。 大師は「見事な蛤じゃ、少し私に恵んで下さらぬか」と声をかけた。 すると欲深い「お金ばあさん」はみすぼらしい僧の姿を見て「採れるのは石ころばかりです。」と、顔をうしろに隠して断った。
 次の浜まで行くと、また老婆が蛤を採っていた。 同じように声をかけると「よろしければ、いくらでもお持ちください。」と籠(かご)の蛤をみんな差し出した。 近くに住む気のやさしい「お倉ばあさん」だった。
 それ以来、お金ばあさんの住む「金ヶ浜」では蛤が全(まった)く採れなくなり、お倉ばあさんの住む「お倉ヶ浜」では今までよりもたくさん採れるようになったという。
日向特産の高級蛤碁石(ごいし)の材料となるスワブテ蛤はお倉ヶ浜でしか採れません。

 「シーサイドパーク 太平洋」は日向市の金ヶ浜の近くにあり、太平洋を見渡せるドライブインです。 約500台の車がとまることができる駐車場があります。 昭和46年4月に出来ました。


写真A: 宮崎県 日向市 大字平岩 字金ヶ浜 にあるシーサイドパーク 「太平洋」です。 以前はドライブイン 太平洋と呼 (よ)んでいました。 国道10号線沿 (ぞ)いにあります。 左にワシントン椰子 (やし)、右にフェニックスの木が見えます。 外灯、駐車場もあります。
「シーサイドパーク 太平洋」は日向市の金ヶ浜の近くにあり、太平洋を見渡せるドライブインです。 約500台の車がとまることができる駐車場があります。 昭和46年4月に出来ました。



写真B: 国道10号線です。 南を見たものです。 先に進むと美々津、都農町、川南町、高鍋町、新富町、宮崎市などに行きます。 手前に進むと日知屋、門川町、延岡市に行きます。 「P←」の看板 (かんばん)があります。



写真C: 上に大きく「太平洋」と書いてあります。 左にはコンビニ店の「every one エブリワン」が入っています。 「ういろう」の看板 (かんばん)も見えます。 国道10号線沿 (ぞ)いにあり、東には海が広がっています。



写真D: 入り口から南東を見たものです。



写真E: 東を見たもの。 中央付近に、枯 (か)れたフェニックスの木も見えます。 日向市も害虫の食害でフェニックスの木が死んでいます。



写真F: バナナのような木、ワシントン椰子 (やし)、飲料水の自動販売機があります。 ここも駐車場です。 北東を見たもの。



写真G: 北を見たもの。 左に国道10号線があります。 広い駐車場です。



写真H: 北西を見たものです。



写真I: 北を見たものです。 国道10号線。



写真J: 北西を見たもの。 国道の奥に人家もあります。



写真K: 西を見たものです。 西に行く道路もあります。 ワシントン椰子 (やし)がここにもあります。



写真L: 南西を見たもの。 国道10号線のトラックも見えます。



写真M: 南を見たものです。 入り口から自動車が入ってきました。



写真N: シーサイドパーク 「太平洋」の建物と駐車場です。



写真O: バナナのような木が多くあります。 高いものはワシントン椰子 (やし)。 この奥は海になっています。



写真P: 駐車場のそばにバナナのような木を多く植えてあります。



写真Q: 太平洋の建物の東の部分は円筒形をしています。 そこは食堂になっています。 その左に鳥居 (とりい)が見えます。



写真R: 海が見えます。 ソテツの木もあります。 東を見たものです。



写真S: 宮崎県 日向市 大字平岩 字金ヶ浜にある「金ヶ浜 (かねがはま)」が見えます。 金ヶ浜はシーサイドパーク 太平洋の北側と南側にあります。 これは北側の浜です。
「金ヶ浜 (かねがはま)」は宮崎県 日向市 大字平岩 字金ヶ浜 にあります。
 金ヶ浜には全国からサーフィンやボディーボードを楽しむ人々が来ます。 金ヶ浜海岸は国道10号線の近くにあり、サーフショップ、レストラン、コンビニ店、民宿などがそばにあります。 金ヶ浜一帯は日豊海岸国定公園にあるサーフポイントです。 更衣室、シャワー、トイレ、駐車場、サーファー専用宿泊施設などもあります。 金ヶ浜海水浴場もあります。



写真T: 日向市にある「金ヶ浜」です。 海の中に岩の小島があります。



写真U: 東を見たものです。 日向灘 (太平洋)が見えます。



写真V: 沖に大きな船が見えます。 金ヶ浜の砂浜に白波が打ち寄せています。



写真W: 海の中に岩の小島があり、棒を立ててあります。 日向市にある金ヶ浜 (かねがはま)です。 北東を見た風景です。
<小倉ヶ浜の弘法大師伝説>
 その昔、弘法大師が日向の浜辺を通ると、老婆が蛤(はまぐり)を採(と)っていた。 大師は「見事な蛤じゃ、少し私に恵んで下さらぬか」と声をかけた。 すると欲深い「お金ばあさん」はみすぼらしい僧の姿を見て「採れるのは石ころばかりです。」と、顔をうしろに隠して断った。
 次の浜まで行くと、また老婆が蛤を採っていた。 同じように声をかけると「よろしければ、いくらでもお持ちください。」と籠(かご)の蛤をみんな差し出した。 近くに住む気のやさしい「お倉ばあさん」だった。
 それ以来、お金ばあさんの住む「金ヶ浜」では蛤が全(まった)く採れなくなり、お倉ばあさんの住む「お倉ヶ浜」では今までよりもたくさん採れるようになったという。
日向特産の高級蛤碁石(ごいし)の材料となるスワブテ蛤はお倉ヶ浜でしか採れません。



写真X: 日向市にある米ノ山 (標高 191.6 m)が左遠くに見えています。 建物、携帯電話の基地局アンテナもあります。 金ヶ浜です。 北を見たものです。
「金ヶ浜 (かねがはま)」は宮崎県 日向市 大字平岩 字金ヶ浜 にあります。
 金ヶ浜には全国からサーフィンやボディーボードを楽しむ人々が来ます。 金ヶ浜海岸は国道10号線の近くにあり、サーフショップ、レストラン、コンビニ店、民宿などがそばにあります。 金ヶ浜一帯は日豊海岸国定公園にあるサーフポイントです。 更衣室、シャワー、トイレ、駐車場、サーファー専用宿泊施設などもあります。 金ヶ浜海水浴場もあります。



写真Y: バナナのような葉です。 奥は金ヶ浜。



写真Z: 右はソテツの葉です。 奥は金ヶ浜です。 北西を見たものです。



写真AA: 日向市にある金ヶ浜 (かねがはま)です。 北を見たものです。 遠くに小さく米ノ山 (標高 191.6 m)が見えます。
宮崎県 美郷町 南郷区 神門 にある「神門神社 (みかどじんじゃ)」に次の石碑 (せきひ)があります。
 「百済王守護 益見太郎 並に七人衆之碑」の石碑 (せきひ)と説明石碑から、
<説明石碑>
「天平勝宝8年 (756年、今から1230年前)内乱により祖国を追われた百済王禎嘉帝が大和国 厳島 (いつくしま)に逃れ2年後に反乱軍の追撃をさけ海路 九州の大宰府へと脱出の途中激しい暴風雨で難航し王は日向市 金ヶ浜に漂着し、山奥の神門郡に住んだ。 王子と妃 (きさき)の舟は高鍋町 蚊口浦へ流れ着き木城町の比木に安住した。 更 (さら)に王は追撃を受け東郷町 下三ヶ中水流の伊佐賀峠にて応戦したが苦戦し、王子 福智王が比木より援助し撃滅した。 当時王に随身した神門郷の7人衆有之、又王が神門に宮居を定めるに当たり豪族 益見太郎は土地を提供し宮居造営にも援助し食糧も補給したと云 (い)う。 7人衆は神門神社 宮司 原田八郎 氏の口伝えに依 (よ)れば当時 中邑、海野、小路、宮脇、村田、菊池、若杉の諸家にて鬼神野より中戸、下田家、中渡川の桑原家も加わって協力したと伝えられる。 神門郷の各々の後継者が舞楽を継承し伶人(れいじん、音楽を奏する人。)として奉仕現在に至って居る。
昭和60年12月 七人衆後継者一同建立」
 この碑文 (ひぶん)の「756年に祖国を追われた百済王」の756年は百済滅亡 (660年)の96年後、朝鮮半島の白村江の戦い (663年)の93年後、倭朝廷の内乱である壬申の乱 (じんしんのらん、672年)の84年後になります。



写真AB: バナナのような木とワシントン椰子 (やし)の幹 (みき)です。



写真AC: ワシントン椰子 (やし)の上部です。



写真AD: 金ヶ浜に打ち寄せる白波です。



写真AE: 宮崎県 日向市 大字平岩 字金ヶ浜 にある「金ヶ浜 (かねがはま)」です。 棒 (ぼう)を立ててある岩の小島があります。



写真AF: 左に米ノ山 (標高 191.6 m)が見えます。 シーサイドパーク 「太平洋」から見た金ヶ浜です。 北を見たもの。



写真AG: 人家が多く見えます。 携帯電話の基地局アンテナもあります。 北西を見たものです。 右は米の山です。



写真AH: 金ヶ浜の砂浜の西側はこのようになっています。



写真AI: 駐車場とシーサイドパーク 太平洋の建物です。 南東を見たものです。



写真AJ: 北西を見たものです。



写真AK: 西を見た景色です。



写真AL: 南西を見たものです。 国道10号線の奥にある高台の上にワシントン椰子 (やし)を植えてあります。



写真AM: 北から見たシーサイドパーク 太平洋です。 右の部分はコンビニ店になっています。



写真AN: 北西から見た太平洋の建物です。 2階は面白 (おもしろ)い形になっています。



写真AO: ワシントン椰子 (やし)、バナナのような木も見えます。 東を見たものです。



写真AP: 枯 (か)れたフェニックスが残っています。 外国から入ってきた害虫 (ヤシオオオサゾウムシ)の食害でフェニックスの木は宮崎県内で、多大の被害を受けています。 もともとフェニックスは外国から入れたものです。 ヤシオオオサゾウムシは、主に東南アジア、インドネシア、ニューギニアなどに分布しています。 県内の被害は、平成10年に日南海岸「いるか岬」付近で初めて発生しました。



写真AQ: ワシントン椰子 (やし)は今のところフェニックスのような立ち枯 (が)れはないようです。



写真AR: 宮崎県 日向市 大字平岩 字金ヶ浜 にある「海の神 カジャケ平 石神」の岩です。 シーサイドパーク 太平洋の敷地内にあります。 白い鳥居 (とりい)、しめ縄もあります。



写真AS: 「海の神 カジャケ平 石神」のそばに外灯、ワシントン椰子 (やし)もあります。



写真AT: 「海の神 カジャケ平 石神」と書いてあります。



写真AU: 「海の神 カジャケ平 石神」の上部です。



写真AV: 「海の神 カジャケ平 石神」の中部です。 しめ縄もあります。



写真AW: 「海の神 カジャケ平 石神」の下部です。 白い柵 (さく)があります。



写真AX: 側面から見た「海の神 カジャケ平 石神」です。



写真AY: 西を見た景色です。 左はシーサイドパーク 太平洋です。



写真AZ: シーサイドパーク 太平洋の建物です。



写真BA: 東の部分はこのように円筒形の建物です。 そこは食堂になっています。 南を見たものです。



写真BB: 東を見たものです。 日向灘 (太平洋)が見えます。



写真BC: 近くの様子 (ようす)です。 左はココス椰子 (やし)です。



写真BD: 右はココス椰子 (やし)です。 ココス椰子は害虫による被害はないようです。



写真BE: 左に「海の神 カジャケ平 石神」があります。



写真BF: 円筒形の建物の中は食堂になっています。
「シーサイドパーク 太平洋」は日向市の金ヶ浜の近くにあり、太平洋を見渡せるドライブインです。 約500台の車がとまることができる駐車場があります。 昭和46年4月に出来ました。



写真BG: 南側にも金ヶ浜 (かねがはま)があります。 金ヶ浜が見えています。 ここに金ヶ浜海水浴場、金ヶ浜サーフィン場があります。 バナナのような木が多くあります。 右はシーサイドパーク 太平洋です。 遠くに人家もあります。 南を見たものです。



写真BH: 南側の金ヶ浜です。 砂浜と白波が見えます。 ココス椰子 (やし)、バナナのような木も手前にあります。
中央付近の遠くの岩場は美々津海岸遊歩道の北端です。 そこから金ヶ浜を展望できます。



写真BI: 東を見た景色 (けしき)です。 日向灘 (太平洋)の白波、バナナのような木、ココス椰子 (やし)もあります。



写真BJ: 北東を見た風景です。 ココス椰子、ワシントン椰子も見えます。



写真BK: 北を見たものです。 芝生 (しばふ)、ワシントン椰子、ココス椰子もあります。



写真BL: 円筒形の建物、芝生 (しばふ)、ワシントン椰子などが見えます。 北を見たものです。



写真BM: シーサイドパーク 太平洋の東部分は円筒形になっています。 ここは食堂です。



写真BN: 南西を見た景色です。 人家などの建物も見えます。 左下は金ヶ浜です。 金ヶ浜の西はこのように高台になっています。



写真BO: 「金ヶ浜」の南部の様子 (ようす)です。 奥に岩場もあります。 白波、砂浜などが見えます。 南を見た風景です。
「金ヶ浜 (かねがはま)」は宮崎県 日向市 大字平岩 字金ヶ浜 にあります。
 金ヶ浜には全国からサーフィンやボディーボードを楽しむ人々が来ます。 金ヶ浜海岸は国道10号線の近くにあり、サーフショップ、レストラン、コンビニ店、民宿などがそばにあります。 金ヶ浜一帯は日豊海岸国定公園にあるサーフポイントです。 更衣室、シャワー、トイレ、駐車場、サーファー専用宿泊施設などもあります。 金ヶ浜海水浴場もあります。

宮崎県 美郷町 南郷区 神門 にある「神門神社 (みかどじんじゃ)」に次の石碑 (せきひ)があります。
 「百済王守護 益見太郎 並に七人衆之碑」の石碑 (せきひ)と説明石碑から、
<説明石碑>
「天平勝宝8年 (756年、今から1230年前)内乱により祖国を追われた百済王禎嘉帝が大和国 厳島 (いつくしま)に逃れ2年後に反乱軍の追撃をさけ海路 九州の大宰府へと脱出の途中激しい暴風雨で難航し王は日向市 金ヶ浜に漂着し、山奥の神門郡に住んだ。 王子と妃 (きさき)の舟は高鍋町 蚊口浦へ流れ着き木城町の比木に安住した。 更 (さら)に王は追撃を受け東郷町 下三ヶ中水流の伊佐賀峠にて応戦したが苦戦し、王子 福智王が比木より援助し撃滅した。 当時王に随身した神門郷の7人衆有之、又王が神門に宮居を定めるに当たり豪族 益見太郎は土地を提供し宮居造営にも援助し食糧も補給したと云 (い)う。 7人衆は神門神社 宮司 原田八郎 氏の口伝えに依 (よ)れば当時 中邑、海野、小路、宮脇、村田、菊池、若杉の諸家にて鬼神野より中戸、下田家、中渡川の桑原家も加わって協力したと伝えられる。 神門郷の各々の後継者が舞楽を継承し伶人(れいじん、音楽を奏する人。)として奉仕現在に至って居る。
昭和60年12月 七人衆後継者一同建立」
 この碑文 (ひぶん)の「756年に祖国を追われた百済王」の756年は百済滅亡 (660年)の96年後、朝鮮半島の白村江の戦い (663年)の93年後、倭朝廷の内乱である壬申の乱 (じんしんのらん、672年)の84年後になります。



写真BP: 金ヶ浜の南の海岸はこのように岩場になっています。 金ヶ浜の白波が美しい。 南を見たものです。



写真BQ: 南東を見た景色です。 岩の海岸と白波、手前にココス椰子 (やし)、バナナのような木があります。
遠くの岩場は美々津海岸遊歩道の北端付近です。 そこから金ヶ浜を展望できます。



写真BR: 太平洋の建物です。



写真BS: 南側の金ヶ浜です。 ここには金ヶ浜海水浴場、金ヶ浜サーフィン場があります。
<小倉ヶ浜の弘法大師伝説>
 その昔、弘法大師が日向の浜辺を通ると、老婆が蛤(はまぐり)を採(と)っていた。 大師は「見事な蛤じゃ、少し私に恵んで下さらぬか」と声をかけた。 すると欲深い「お金ばあさん」はみすぼらしい僧の姿を見て「採れるのは石ころばかりです。」と、顔をうしろに隠して断った。
 次の浜まで行くと、また老婆が蛤を採っていた。 同じように声をかけると「よろしければ、いくらでもお持ちください。」と籠(かご)の蛤をみんな差し出した。 近くに住む気のやさしい「お倉ばあさん」だった。
 それ以来、お金ばあさんの住む「金ヶ浜」では蛤が全(まった)く採れなくなり、お倉ばあさんの住む「お倉ヶ浜」では今までよりもたくさん採れるようになったという。
日向特産の高級蛤碁石(ごいし)の材料となるスワブテ蛤はお倉ヶ浜でしか採れません。



写真BT: 金ヶ浜の近くの建物です。 遠くの山に送電線鉄塔が見えます。 左は金ヶ浜です。
「金ヶ浜 (かねがはま)」は宮崎県 日向市 大字平岩 字金ヶ浜 にあります。
 金ヶ浜には全国からサーフィンやボディーボードを楽しむ人々が来ます。 金ヶ浜海岸は国道10号線の近くにあり、サーフショップ、レストラン、コンビニ店、民宿などがそばにあります。 金ヶ浜一帯は日豊海岸国定公園にあるサーフポイントです。 更衣室、シャワー、トイレ、駐車場、サーファー専用宿泊施設などもあります。 金ヶ浜海水浴場もあります。



写真BU: 日向市にある金ヶ浜と近くの建物です。 南西を見た風景です。



写真BV: 金ヶ浜の波打ち際 (ぎわ)です。 ここにはサーフィン場と海水浴場があります。
「金ヶ浜 (かねがはま)」は宮崎県 日向市 大字平岩 字金ヶ浜 にあります。
 金ヶ浜には全国からサーフィンやボディーボードを楽しむ人々が来ます。 金ヶ浜海岸は国道10号線の近くにあり、サーフショップ、レストラン、コンビニ店、民宿などがそばにあります。 金ヶ浜一帯は日豊海岸国定公園にあるサーフポイントです。 更衣室、シャワー、トイレ、駐車場、サーファー専用宿泊施設などもあります。 金ヶ浜海水浴場もあります。



写真BW: バナナのような木とココス椰子 (やし)です。 奥に金ヶ浜の白波が見えています。



写真BX: 南東を見たものです。 海が見えます。



写真BY: 東の海を見たものです。



写真BZ: バナナのような葉です。 左は金ヶ浜。



写真CA: 日向市にある金ヶ浜海水浴場と金ヶ浜サーフィン場があるところです。 南を見たものです。
「金ヶ浜 (かねがはま)」は宮崎県 日向市 大字平岩 字金ヶ浜 にあります。
 金ヶ浜には全国からサーフィンやボディーボードを楽しむ人々が来ます。 金ヶ浜海岸は国道10号線の近くにあり、サーフショップ、レストラン、コンビニ店、民宿などがそばにあります。 金ヶ浜一帯は日豊海岸国定公園にあるサーフポイントです。 更衣室、シャワー、トイレ、駐車場、サーファー専用宿泊施設などもあります。 金ヶ浜海水浴場もあります。

宮崎県 美郷町 南郷区 神門 にある「神門神社 (みかどじんじゃ)」に次の石碑 (せきひ)があります。
 「百済王守護 益見太郎 並に七人衆之碑」の石碑 (せきひ)と説明石碑から、
<説明石碑>
「天平勝宝8年 (756年、今から1230年前)内乱により祖国を追われた百済王禎嘉帝が大和国 厳島 (いつくしま)に逃れ2年後に反乱軍の追撃をさけ海路 九州の大宰府へと脱出の途中激しい暴風雨で難航し王は日向市 金ヶ浜に漂着し、山奥の神門郡に住んだ。 王子と妃 (きさき)の舟は高鍋町 蚊口浦へ流れ着き木城町の比木に安住した。 更 (さら)に王は追撃を受け東郷町 下三ヶ中水流の伊佐賀峠にて応戦したが苦戦し、王子 福智王が比木より援助し撃滅した。 当時王に随身した神門郷の7人衆有之、又王が神門に宮居を定めるに当たり豪族 益見太郎は土地を提供し宮居造営にも援助し食糧も補給したと云 (い)う。 7人衆は神門神社 宮司 原田八郎 氏の口伝えに依 (よ)れば当時 中邑、海野、小路、宮脇、村田、菊池、若杉の諸家にて鬼神野より中戸、下田家、中渡川の桑原家も加わって協力したと伝えられる。 神門郷の各々の後継者が舞楽を継承し伶人(れいじん、音楽を奏する人。)として奉仕現在に至って居る。
昭和60年12月 七人衆後継者一同建立」
 この碑文 (ひぶん)の「756年に祖国を追われた百済王」の756年は百済滅亡 (660年)の96年後、朝鮮半島の白村江の戦い (663年)の93年後、倭朝廷の内乱である壬申の乱 (じんしんのらん、672年)の84年後になります。



写真CB: 金ヶ浜に打ち寄せる波です。 左の遠くの岩場は美々津海岸遊歩道の北端です。 そこから金ヶ浜を展望できます。



写真CC: 南東を見た景色です。 ここでサーフィンが行われます。
「金ヶ浜 (かねがはま)」は宮崎県 日向市 大字平岩 字金ヶ浜 にあります。
 金ヶ浜には全国からサーフィンやボディーボードを楽しむ人々が来ます。 金ヶ浜海岸は国道10号線の近くにあり、サーフショップ、レストラン、コンビニ店、民宿などがそばにあります。 金ヶ浜一帯は日豊海岸国定公園にあるサーフポイントです。 更衣室、シャワー、トイレ、駐車場、サーファー専用宿泊施設などもあります。 金ヶ浜海水浴場もあります。



写真CD: この波でサーフィンを行います。 金ヶ浜。



写真CE: 南側の金ヶ浜です。



写真CF: サーフィン場、海水浴場になっています。 左遠くの岩場は美々津海岸遊歩道の北端です。 そこから金ヶ浜を展望できます。



写真CG: 白波が美しい金ヶ浜です。



写真CH: 右に岩の小島があります。 金ヶ浜は海水浴場やサーフィン場になっています。



写真CI: ここでサーフィンも行われます。



写真CJ: 東を見たものです。



写真CK: 日向灘 (太平洋)です。



写真CL: 芝生 (しばふ)、ココス椰子 (やし)、バナナのような木があります。



写真CM: 東から見たシーサイドパーク 太平洋の建物の南部です。 2階建てです。



写真CN: 見事なバナナのような木です。



写真CO: 金ヶ浜の南の様子 (ようす)です。



写真CP: 南東を見たものです。



写真CQ: 芝生 (しばふ)と東の海です。



写真CR: 円筒形の建物、ワシントン椰子、ココス椰子、バナナのような木です。 左寄りに米ノ山 (標高 191.6 m)も見えます。



写真CS: 「太平洋」の東の部分です。



写真CT: 円筒形建物の上部です。



写真CU: 北東を見たものです。



写真CV: 北を見たものです。



写真CW: 高いワシントン椰子 (やし)があります。



写真CX: 北西を見たものです。



写真CY: 南西を見たものです。



写真CZ: 南を見たものです。
宮崎県 美郷町 南郷区 神門 にある「神門神社 (みかどじんじゃ)」に次の石碑 (せきひ)があります。
 「百済王守護 益見太郎 並に七人衆之碑」の石碑 (せきひ)と説明石碑から、
<説明石碑>
「天平勝宝8年 (756年、今から1230年前)内乱により祖国を追われた百済王禎嘉帝が大和国 厳島 (いつくしま)に逃れ2年後に反乱軍の追撃をさけ海路 九州の大宰府へと脱出の途中激しい暴風雨で難航し王は日向市 金ヶ浜に漂着し、山奥の神門郡に住んだ。 王子と妃 (きさき)の舟は高鍋町 蚊口浦へ流れ着き木城町の比木に安住した。 更 (さら)に王は追撃を受け東郷町 下三ヶ中水流の伊佐賀峠にて応戦したが苦戦し、王子 福智王が比木より援助し撃滅した。 当時王に随身した神門郷の7人衆有之、又王が神門に宮居を定めるに当たり豪族 益見太郎は土地を提供し宮居造営にも援助し食糧も補給したと云 (い)う。 7人衆は神門神社 宮司 原田八郎 氏の口伝えに依 (よ)れば当時 中邑、海野、小路、宮脇、村田、菊池、若杉の諸家にて鬼神野より中戸、下田家、中渡川の桑原家も加わって協力したと伝えられる。 神門郷の各々の後継者が舞楽を継承し伶人(れいじん、音楽を奏する人。)として奉仕現在に至って居る。
昭和60年12月 七人衆後継者一同建立」
 この碑文 (ひぶん)の「756年に祖国を追われた百済王」の756年は百済滅亡 (660年)の96年後、朝鮮半島の白村江の戦い (663年)の93年後、倭朝廷の内乱である壬申の乱 (じんしんのらん、672年)の84年後になります。



写真DA: シーサイドパーク 太平洋からの景色です。
「金ヶ浜 (かねがはま)」は宮崎県 日向市 大字平岩 字金ヶ浜 にあります。
 金ヶ浜には全国からサーフィンやボディーボードを楽しむ人々が来ます。 金ヶ浜海岸は国道10号線の近くにあり、サーフショップ、レストラン、コンビニ店、民宿などがそばにあります。 金ヶ浜一帯は日豊海岸国定公園にあるサーフポイントです。 更衣室、シャワー、トイレ、駐車場、サーファー専用宿泊施設などもあります。 金ヶ浜海水浴場もあります。



写真DB: サーフィンが行われる波です。



写真DC: 白波、バナナのような木が見えます。



写真DD: ココス椰子 (やし)の下部が左にあります。



写真DE: 左に立ち枯 (が)れしたフェニックスの木があります。 枯 (か)れたフェニックスが残っています。 外国から入ってきた害虫 (ヤシオオオサゾウムシ)の食害でフェニックスの木は宮崎県内で、多大の被害を受けています。 もともとフェニックスは外国から入れたものです。 ヤシオオオサゾウムシは、主に東南アジア、インドネシア、ニューギニアなどに分布しています。 県内の被害は、平成10年に日南海岸「いるか岬」付近で初めて発生しました。



写真DF: 右は枯 (か)れたフェニックスです。



写真DG: 立ち枯れしたフェニックスです。 枯 (か)れたフェニックスが残っています。 外国から入ってきた害虫 (ヤシオオオサゾウムシ)の食害でフェニックスの木は宮崎県内で、多大の被害を受けています。 もともとフェニックスは外国から入れたものです。 ヤシオオオサゾウムシは、主に東南アジア、インドネシア、ニューギニアなどに分布しています。 県内の被害は、平成10年に日南海岸「いるか岬」付近で初めて発生しました。



写真DH: ワシントン椰子が見えます。



写真DI: 白い鳥居 (とりい)が見えます。



写真DJ: 右に「海の神 カジャケ平 石神」の岩が見えます。



写真DK: 「デイゴの花」が咲いていました。



写真DL: 北西を見たものです。



写真DM: 西を見たものです。 右寄りに入り口が見えます。



写真DN: コンビニ店の「every one エブリワン」がこの一角にあります。 北を見たものです。



写真DO: 「ういろう」と書いてあります。 上に「太平洋」の看板 (かんばん)があります。



写真DP: ここが建物の入り口です。
「シーサイドパーク 太平洋」は日向市の金ヶ浜の近くにあり、太平洋を見渡せるドライブインです。 約500台の車がとまることができる駐車場があります。 昭和46年4月に出来ました。



写真DQ: 「お食事」、「おみやげ」の看板 (かんばん)が見えます。 移動販売車の「中津からあげ」店が来ていました。



写真DR: 「クレープ」と書いてあります。 右に「餃子 (ぎょうざ)」の看板もあります。 シーサイドパーク 太平洋です。 後ろにフェニックスの木が見えます。



写真DS: 西を見たものです。 国道10号線の奥は高台になっていて、ワシントン椰子 (やし)を植えてあります。



写真DT: こちらも国道10号線からの入り口です。 「シーサイドパーク 太平洋」、「every one」、「焼きたてパン、できたて弁当、たばこ、酒」、「P←」の看板 (かんばん)があります。



写真DU: 奥に日向灘 (太平洋)が見えます。 フェニックスの木やバナナのような木があります。 南東を見たものです。



写真DV: 南西から見たシーサイドパーク 「太平洋」です。 国道10号線沿 (ぞ)いにあり、東には海が広がっています。



写真DW: 以前はドライブイン 「太平洋」と呼 (よ)んでいました。
「シーサイドパーク 太平洋」は日向市の金ヶ浜の近くにあり、太平洋を見渡せるドライブインです。 約500台の車がとまることができる駐車場があります。 昭和46年4月に出来ました。



写真DX: 北を見たものです。



写真DY: 「シーサイドパーク 太平洋」、「every one」、「焼きたてパン、できたて弁当、たばこ、酒」、「P→」の看板 (かんばん)があります。



写真DZ: 奥は国道10号線です。



写真EA: 南西を見たものです。



写真EB: こちらにも飲料水の自動販売機があります。



写真EC: フェニックス、バナナのような木が見えます。



写真ED: シーサイドパーク 太平洋です。



写真EE: 太平洋の中です。 「みそ汁の貝」、「レストラン わだつみ」と書いてあります。 「わだつみ」とは海をつかさどる神です。



写真EF: 「太平洋名物 焼きちくわ」、「ういろう」、「宮崎鶏炭火焼」などと書いてあります。



写真EG: 物産品を販売しています。



写真EH: 飲料水も販売しています。 東を見たものです。



写真EI: レストラン「わだつみ」です。 これが東側の円筒形の建物の部分です。



写真EJ: ここが円筒形の建物の部分です。 2階に上がる階段もあります。



写真EK: 「お食事処」の幟 (のぼり)もあります。 「わだつみ」と書いてあります。



写真EL: 「お倉ヶ浜 日本の渚 (なぎさ)・百選」と「日向サンパーク」のポスターがあります。



写真EM: いろいろなものを販売しています。



写真EN: 「日向ひょっとこ 手作り面 河内屋作」と書いてあります。 日向のひょっとこ踊りは有名です。 「太平洋」の中です。



写真EO: ガラス製の「漁師 ブイ」を販売しています。 太平洋です。



写真EP: 日向ひょっとこ 手作り面です。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)